第10章 悪 夢 (1)
 
 息子達が学校から帰ってきたとき、私がベッドに寝ていたので心配だったのでしょう。「お母さん風邪をひいたの、元気だしてよ。」とヨッシーが声をかけてくれました。
 実は風邪のせいだけではなく、他にある悩みがあったのです。その日早く学校の保健医から電話があったのです。
 保健医の話によると、ヨッシーのツベルクリンの反応を見たところ、陽性の結果が出たことが判ったというのです。夫が仕事から帰ってからそのことを告げると、彼は冷静に、「あまり心配をするな。それは何も結核だということを意味するのではないからね。」と慰めてくれました。
 「でも日本はまだ結核が多いみたいよ。」
 「そうかな。万が一彼が結核だとしたら、われわれも一度診てもらわなければならないが……。もしそうだったら困ったね。」
 その晩、私達はほとんど寝つけませんでした。それに私は、ヨッシーが留学を打ち切って泣く泣く帰国する夢さえ見たのでした。
 翌朝、2人が学校に出かけるのを見とどけて、私はグリフィン教頭を呼び出して、このことを話し助けを求めました。
 グリフィン教頭は「分かった。すぐ医者の所へ行って相談してみよう。何か分かれば連絡しよう。」と力づけてくれました。
 私は神にも祈る気持で2時間を待ちました。「大丈夫、心配ないよ。医者がいうには、日本に出る時にうった注射で陽性が出たそうだ。レントゲン写真もOKだ。でもヨッシーは少し憤慨していたよ。何んにも説明しないでいきなり医者に連れて行ったりしたものだから・・・・・・。」
 私達はこうして、やっと悪夢から解放されたのでした。

 3日後、私は父の様子が悪くなったので、イリノイ州に戻り、母の側にいてやりました。夫や子供達からの手紙や電話が私にとって心からの慰めでした。夫の手紙で、ヨッシーがとうとう10試合目で負けてしまったことを知りました。セントラル高校のロン・ホワイト選手は、昨年来の優勝選手で、ヨッシーは彼と対戦し、8対2で負けたのです。彼は9連勝と勝ち続けてきたのに、いまは敗戦のショックで沈みきってしまいました。
 同僚たちやジョー、カーチス達が励ましても、いまは黙って下を向いたままだそうです。コーチも心配して“あまり気にするな”と肩を叩いてくれましたが、この敗戦はヨッシーにとってあまりにショックが大きかったようです。
 翌日曜日、夫と子供達は友人達2、3人と2、30キロ郊外のギブソン湖までフィッシングに行きました。一夜明けてようやく気を取り戻したのか、ヨッシーは初めてジョーに口を開きました。
 「お父さん、僕負けたためコーチに悪いことしちゃった。」「とんでもない。負けたことは悪いことじゃないんだよ。君は全力を尽くしたじゃないか。このアメリカでは一生懸命やった者が負けたって、それはちっとも恥ずかしいことじゃないんだよ。君が今日まで9連勝を達成したことに対して、みんな感心しているんだ。明日からまた新しい日が始まるんだ。」ヨッシーは素直に耳を傾けていました。
 翌日、イリノイの私の所にヨッシーから手紙が来ました。「今年は自分にとってレスリングの1年目だ。その割には自分でもよくやったと思う。もう悩まないから安心して下さい。」
 それから数日後、父は亡くなりました。
 ミズリー州のゴールデンシティの教会で、悲しい父のお葬式が行われ、近くの墓地に埋葬されました。母はいまや悲しみのどん底におりました。この小さな村へヨッシーが来てくれたことは、どれほどみんなを慰めてくれたことでしょう。母の泣きつかれた小さな肩をヨッシーががっしりとした腕で支えて歩く姿は、私達の誰れの眼にも忘れ得ぬうれしさとして残っています。
 父の葬儀が終わって私達は母を連れてオクラホマに戻ってきました。帰ってきてホッとする間もなく、ヨッシーにはまたレスリングの試合が待ちうけています。母は最初のうちレスリングが怖いから嫌がっていましたが、きっと気が晴れるからと言って無理やり連れ出しました。その夜のレスリングの試合で、彼は力の限りをマットにぶっつけ圧勝でした。観衆は再び彼の技と強さに魅了されていました。母はヨッシーを3番目の孫息子と呼び、彼は当然“おばあちゃん”と呼び、良く通じ合えるようになりました。(続く)