第14章 別れ (1)
  AFS留学制度の活動の最後はバス旅行で締めくくることになっています。約1ヶ月間、グループに分かれバス旅行を行ない、最後にワシントンに行き、大統領に面会して、そこで解散することになっているのです。
 ヨッシーははじめバス旅行に参加せずに、このまま家にいたいと駄々をこねました。
 荷物の重量は55ポンドまでと制限がありましたので、荷物づくりが大変です。バスルームの体重計を引っ張り出して一生懸命調整しています。
 このところ家の中が沈んだ空気になりがちなため、カーチスがしきりにジョークで明るくふるまうのですが、どうもうまくいきません。
 友人達も家に立ち寄ってお別れを言いに来ました。
 「ヨッシー、旅行の間中、着るものとくに下着はいつも清潔にしてね。それがお母さんの心配のタネなの。あなたはいわば“日本の若い大使”なのよ。不潔な人は、人に悪い印象を与えますからね。これから旅行中にお世話になる所のお母さんのことも心配してあげないとね。」と私が厳しく言うと、カーチスが傍で、
 「なに、下着のままで川か何んかに飛び込めばクリーンになるさ。それが一番手っとり早いぜ。」ヨッシーは真面目な顔付きで、
 「お母さん、分かったよ。下着はたくさん持っているから大丈夫だよ。毎日取り替えるし、自分で洗濯も出来るし。」
 「食事の時も、立派にしてね。」
 「もちろんさ、いつも教えられた通り“スリー・エス”小さく食べる、ゆっくりとしかも姿勢を真直ぐにして、これは忘れないさ。」カーチスは「おい、旅行中にお金が無くなったらどうするんだい?」
 「そりゃ、何も買わないだけさ。」
 その晩私は寝室でヨッシーが私の母あてに書いた手紙を読み返していました。母への手紙がこっそり私のもとへ転送されて来ていたのです。

 おばあさん、僕は本当に幸せな1年を過ごすことが出来ました。僕はいまや、2人の強く頼もしいお父さんと2人の優しいお母さんがいます。これからどんな困難があっても決してくじけずに頑張ります。僕はいつまでもアメリカのお母さんを“お母さん”と呼び続けます。お身体を大切に。

 親愛なるヨッシーより

 木曜日の昼、息子達はマクドナルドのハンバーガーを食べて帰ってきました。
 「お母さん、ひとつお願いがあるんだ。お母さんの顔写真を1枚欲しいんだ。パスポートに入れていたのがあったでしょう。あの笑っているやつさ。僕はお財布に入れて、いつも持っていたいんだ。」
 「ああ、あれは駄目よ。だってあの写真は自分でもひどいと思っているんですもの。それに写真はたくさんとっていたでしょ。」と私が言いましたが、彼はどうしてもといってききません。絶対他人に見せないという条件でとうとう写真を渡してしまいました。
 「もうひとつお願いがあるんだけど……。」
 「一体なんなの?」
 「日本には、ミドルネームというのがないんだ。僕はシャクレットという名前を自分のミドルネームにしていたいんだ。許してくれるでしょう?」
 「もちろん私はOKよ。お父さんだってきっと喜ぶわ。」
 とうとう一番最後の日がやって来ました。その日は日曜日でしたが、教会に行くのはやめにして、めいめいがリラックスしやすいようにしました。いまは1秒1秒を止めてしまいたい気持ちでした。ヨッシーは私達に日本の古い話し“青の洞門”の話しを聞かせてくれました。人を殺した男が僧侶になって30年もの間岩山を手でくり抜いて、ついにトンネルを掘ったというお話しです。「お母さん、日本に来たら、きっとこのトンネルに連れて行くからね。」と言ってくれました。
 昼食後、荷物のチェックをしてから。彼は夕方まで、ひとり物思い顔で、家の近所の公園などをぶらついていました。
 この町の風景を心に刻みつけていたのでしょうか。夕方、オクラホマ州全域の留学生がタルサに集まり、お別れの前夜祭が素晴らしいプールのある家で行なわれました。留学生が15人とそのホストファミリーや、AFSの役員や関係者などで総勢130人程の大パーティです。若者達は笑い、はしゃいでプールで水しぶきを上げて泳いでいます。
 1年前、ぎこちない感じだった若者も、いまや立派に英語で語りかけ、その成長ぶりがうかがえます。スウェーデン、西ドイツ、パキスタン、トルコ……など。「まるで小さな国連」がいまプールの中で無邪気にはしゃいでいます。おいしい食事も終わって、余興の時間となりました。3人のアメリカインディアンの子供の特別出演があり、ドラムに合わせて“部族踊り”が披露されました。神秘的な音楽とリズムにみんな息をのみました。
 プールでシンクロナイズを見せてくれた女生徒達。手品を見せてくれたブラジルの男の子。フィリッピン帰りの女の子達の“バンブーダンス”などが続きました。そして、
 「最後に飛び入り出演があります。ハーモニカの演奏です。ハラダ・ヨシアキどうぞ。」
 司会者の声と共に、ヨッシーがステージの中央に進み出てお辞儀をすると、
 「日本の歌で、父母に感謝をする曲を演奏します。」彼の奏でる“仰げば尊し”はパーティに参加していたみんなの胸をうつもの、感激に涙をうかべる人も見られました。
 次に彼は一転して“ボート遊び”の軽快な曲をふきました。みんな目の前のプールにボート遊びの思いでをうつし出しました。
 「最後に今年一年、最も多くリクエストされた“上を向いて歩こう”を演奏します。」物悲しい東洋のメロディは、誰もが明日の別れを思い出させられるものでした。(註 坂本九の“上を向いて歩こう”は“スキヤキ・ソング”という名前で前年より全米で爆発的な人気を博した。)
 演奏が終わると、拍手がしばらく止みませんでした。とうとう、今日一日が終わり、とうとうヨッシー達留学生の1年が終わったのです。
 帰りの車の中で「お母さん、僕は今晩よく眠れるように随分思い切り泳いだんだよ。」「よく見ていたわ。」帰ると彼は、先生や友人達に電話を何本もかけていました。
 そして日記帳を持ってきて家族のみんなに何か書いてくれと頼みました。私たちはためらわずに「あなたは“日本の星”」と書いてあげました。
 「お母さん、本当に楽しかったよ。今度はお母さん達がきっと日本に来てよ。僕がいろんな所へ案内するから。僕はオクラホマの人間として胸を張って生きていくつもりさ。」そう言いながら彼は突然私の首に抱きついて泣きはじめました。
 「ねえ、本当に楽しかったわ。でもこれですべて終わりじゃないの。これは幸せの始まりなんだわ。」
 私はハンカチを取り出して、彼のクシャクシャになった顔を拭いてあげました。
 
(続く)