第15章 それから (1)
  30日間のバスの旅行の間、彼から28枚の葉書と3通の手紙、それに3回のコレクトコール電話をくれました。
 ホワイトハウスでは、全米から5000名の留学生が集まってきてケネディ大統領の話しを聞きました。ヨッシーは最前列にいいたため、大統領と握手をしたうえ、言葉を交わすことも出来たようです。
 日本に帰ってからの彼は、高校の生徒達の前で帰国の挨拶をし、得意のハーモニカでアメリカの国歌“星条旗よ永遠なれ”を聞かせたそうです。日本の高校生に戻ってからの彼は猛勉強の末、東京大学に入学することが出来ました。柔道も熱心に続けて、とうとう4段になることが出来ました。英語力を生かして、テレビタレントとして著名な野末陳平氏の英語の家庭教師をしたり、IMFの総会や東京オリンピックの学生通訳として活躍をしました。この間、アメリカ留学時代の友人、ゴードンやジムが日本に行った時は、大変お世話になったようです。そして、息子のケント、カーチスと共に私達夫婦も日本訪問で久しぶりにヨッシーと再会を果たすことが出来ました。
 ヨッシーの東京大学の卒業式の時、長男のケントがちょうど滞在中だったので、卒業式にも参列したのです。その時の様子を手紙で書いて寄越してくれました。

 何日か前から雨が降り続き、ヨッシーの家の前の道が泥んこになってしまったので、彼は長靴をはいて卒業式に出席しました。学長の話が終わると、卒業生達がヨッシーに何か話すようにと拍手で促しました。
 正装した来賓達が威儀を正している中で、泥んこの長靴をはいた我がヨッシーが、壇上にあがって演説をしたのです・・・・・・。

 東京大学を卒業した彼は、いったん鉄鋼会社に就職をしたのですが、すぐに辞めて通産省に入りました。それに苦労をして司法試験にも合格をしました。
 通産省では鉱山行政や国際機関の仕事をしていましたが、選ばれてボストンのタフツ大学フレッチャー大学院に派遣されて外交問題を専攻しました。留学中うれしいことに、彼は婚約中の知子とアメリカで結婚したのです。大学院を終了しての帰途、長女の裕子を連れてヨッシー一家が我が家を訪ねてくれました。その時の喜びをご想像ください。私達にとって娘と孫がいっきに増えたのですから・・・・・・。

 その後、ヨッシーは通産省に戻って持ち前のバイタリティを発揮して、繊維問題、発電所の建設問題、経済援助、中小企業行政などにあたって、中堅官僚として大活躍をしています。忙しい毎日を過ごしながらも、彼は時折手紙を書いてくれます。
 「僕は今、中小企業の年間予算の編成などをやっています。企業のリーダー達の意見をよく聞き、お互いの気持がよく通じる仕事をしたいと思っています。」と張り切っています。そう言えば、彼は17歳の昔から「将来はきっと大蔵大臣になるんだ。」と言っていました。私は彼ならきっと大蔵大臣にだってなれると確信してるのです。彼がいままで挑戦し、あらゆる困難を乗り切ってきた“不屈の精神”を持ち続けているかぎりは。(第15章終わり)