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8月20日の明け方のことです。信じられないような出来事が起こったのです。ちょうど目が覚めて、何時かしらと時計に手を伸ばした瞬間、それこそ家中に響きわたるようなもの凄い音がしたのです。
夫のジョーも思わず驚いて目を覚ましました。「あっ、何だいあの音は……。家に何かぶつかったみたいだぞ!」
私は急いでベッドから起きると、部屋着(ローブ)に手を通しながら言いました。
「あなた、ひょっとしたらヨッシーがベッドから落ちたんじゃないかしら……。」 私と夫は居間を通って子供たちの部屋のドアを開けました。私が想像していた通り、やっぱりヨッシーがベッドから落ちていたのです。私たちの新しい息子― ヨッシーは、顔をしかめながら床の上で腰をさすり、起き上がろうとしているところでした。
同じ部屋で寝ていたカーチスも、飛び起きていました。
「いやぁ、びっくりしたよ。ヨッシーは床に落ちたというよりも、ベッドからジャンプしたんだよ。154ポンド(約70キロ)の巨体がだよ。あまり大きな声で日本語の寝言を言うのもだから、ちょっと僕がのぞこうとした時なんだ。急に彼はベッドから飛び上がったんだ。スキーのジャンプの選手みたいに……。そして床のマガジンラックで頭をガツンだよ。」
「大丈夫?」と私。
「ヨッシー。ちょっと見せてごらん。」
夫のジョーが心配そうにのぞき込みます。
「お父さん、大丈夫だよ。」
彼は、そう言いながら額を夫に見せました。私は彼の顔がつやつやとして、何んとも可愛らしくて整っているのに初めて気がついて、ついおどけて冷やかしてやりました。
「ヨッシー、このタルサの最初の朝に、なんとまあ、大騒ぎなこと。」
「僕よく分からなかったんだよ、なんかこう高い崖の上から飛び降りたような夢を見てたみたいなんだ。」
ヨッシーは、こう言いながら目をパチパチさせていました。彼の言葉は、ちょっと私を心配させました。何かの雑誌で、日本の若者の自殺は、世界一多いとか、しかも崖から飛び降りるケースもあるとか、いやなことが書いてあったことを、ふっと思い出してしまいました。
「おい、心配ないぞ。まぁ、頭は割れてないから大丈夫だ。でも、しばらくの間、額に青痣(あざ)が出来るが、まあ仕方ないな。自業自得(じごうじとく)だな。」夫が元気づけるように、わざと明るく言うと、ヨッシーは黒い瞳を真ん丸にして、興奮して言いました。
「お父さんお母さん、心配いらないよ。これは僕にとってグッド・トレーニングだよ。僕は、これからアメリカで多くの事を学ぶんだ。まあ、このベッドが僕にとってのファースト・レッスンだ。取(と)りあえずベッドの中でうまく寝られる練習をしなきゃいけないな。」
「日本ではどうやって寝ていたんだい?」とカーチス。
「そりゃ、日本ではフトンと呼ぶマットを床の上に敷いて、その上に寝るんだよ。だから落ちたりはしないんだ。だって、こんな薄いマットだからね。」
ヨッシーは、二本の指で5インチ程の厚さを示してみせました。
その時、ジリジリジリと目覚まし時計が私たちのベッドルームで六時半を告げました。
急いでベルを止めにいったジョーが、大きな声で叫びました。
「おーい、カーチス。ヨッシーの額に冷たい濡れタオルをかけてやりなさい。それから母さん、月曜日は朝から忙しいから、少しでも早く出かけたいんだ。卵とベーコンを急いで頼むよ。」
私も走って台所に行ったのですが、ベーコンのことなどすっかり忘れてしまって、何かひとり、すごく珍しい事に出会った時のように嬉しさと、どきどきするような興奮を覚えていました。ただ、ちょっと不安な気持ちにもなったのです。私はヨッシーを預かるこの一年、何とか上手く乗り切らなければならないと思っていました。それは息子のカーチスのために。何故ならカーチスは、兄も姉も家に居なくなったため、いかにも淋しそうだったからです。それに夫のジョーのためもあります。ジョーは、ヨッシーを家に迎える際、最初は反対していたのです。それに、私自身、外国の子供を預かることが間違っていなかったことを証明するためにも。
私は留学制度で外国の子供を預かっている他の多くの家庭を考えてみました。
果たしてうちのジョーみたいに頭から駄目だと決めつけていた父親はいるのかしら?とふと思ったりもしました。彼の最初の反応はこうでした。「外国の子供を預かる?君は頭でもおかしくなったのかい?これ以上苦労をさせられるなんて真っ平だね。長男のケントは歯科大学でフーフ言ってるし、娘のサニーは州立大学だし、彼女の旦那はまだ奨学金で学校に行っているんだよ。カーチスだってまだ高校だし、僕はもう十分だね。この子たちで……。もうたくさんだ。」
しかし、カーチスと私は、あきらめませんでした。何とかして彼のトンカチ頭を柔らげようと試みました。折にふれてジョーに「ねえ、外国人なんかいると、結構こんな時、楽しいんじゃないかしら?」などと、しつこく言い続けました。それが効を奏したのでしょう。最後にはとうとう、ジョーが大好きな魚釣りに行く準備をしているタイミングをとらえて攻め落としてしまったのです。
「まあ仕方がないや。お前達がそこまで言うのなら。でも半年だけだぞ。それ以上は絶対駄目だ。」
受け入れ態勢を決めて、AFS(アメリカン・フィールド・サービス。国際的な規模で高校生の交換留学を行っているアメリカの民間機関。)の事務局から手紙で、初めて日本の子供が来るのだと分かった時、実はもうひとつの悩みが出来たのです。
「ねえ、お母さん。日本人だからといって、別に、問題はないよね。お父さんだって戦争で死んだ伯父さんのことなんか忘れることはないと思うけど、もうずいぶん古い話しだもんね。そうじゃないか、いや絶対大丈夫だよね。」とカーチスが念を押すのです。
でも本当のところ、そんなに“絶対”でもないのです。夫のジョーは、内面では結構強情なのです。一見してもう文句は言わないように見えますが、内心では決して満足していないのです。しかも一家の主に少しでも不満があると、全体の計画にとって困ったことになりかねません。いつものように夫を仕事に送り出すと、ひと息ついた私は決まって台所の引き出しから分厚い封筒を取り出すのです。この封筒には、ヨッシーの書類が入っています。
学校の成績表、連絡事項、そして推薦状が2通、その他に彼が自分で書いた信条書が入っていました。
「受取人様へ」という書き出しで、過去に成功したこと、これからの希望や方針などいろんな事が書いてありました。家族についてもいろいろと紹介してあります。ヨッシーのお父様は、ヨシマサ。お母様は、アヤコ。ヒデノリは2歳年上のお兄さん。妹のミツコは15歳。その弟は14歳のヨシヒデ。朝食を大急ぎで食べると、50分程電車に乗って学校へ行くこと。放課後は、決まって柔道のお稽古をすること。それから1人学校に残って遅くまで勉強すること。ハーモニカを吹くことが得意で、とくにフォスターの曲が好きだということ……。
そして彼はアメリカに来たい理由として、こう書いていました。「私は自分の目と耳で実際の生活を見たり聞いたりすることによって、本当のアメリカを理解したいと思っています。」
それからしばらくたって、とうとう彼から私達宛に手紙が届いたのです。私たちの名前や住所が決まったために、改めて興奮したトーンで挨拶が書かれていました。彼は“誰れにも感謝したい気持ちで一杯だ”と書いて来ました。そして彼のアメリカン・ブラザー(アメリカ人の兄弟)の“得意なスポーツは何か”、“ぜひ柔道を教えたいので、彼のために柔道着を1着持っていく”と書いてきました。まだ彼は17歳だというのに、最近黒帯の二段をとったということも書いてきました。お母様のアヤコからも手紙が来ました。私が少し前にアヤコに出した手紙の返事です。私は心配なさらないよう、私が1年間責任を持ってお預かりしますと書いて置いたのです。彼女の手紙は本当に真剣そのものでした。
親愛なるシャクレット御夫婦様
私はヨシアキの母です。私は彼がこれからの1年間を皆さまと一緒に生活させて頂けると聞いて、本当にうれしく思っています。私も夫も英語はよく分かりません。この手紙はヨシアキが翻訳してくれましたが、ヨシアキがいなくなれば、他の子供たちがきっと助けてくれると思います。
父の名前はヨシマサといいます。彼は家の近くにある大きな電機会社に勤めています。彼は技術者ではありませんが、管理職の1人です。ヨシアキは何でも食べます。彼は食べ過ぎるため、よく腹痛を起しますが、あまり心配は要りません。私は彼が小学校に入学して以来、今日まで1度も学校を休んだことがないことを誇りに思っています。これは多分何でも好き嫌いなく食べられることが原因ではないかと思っています。ただ、ひとつだけお願いがあります。それは私共は普段、ライスを食べています。出来たら月に1回くらいは、ライスを作って頂けたら有難度いと思います。私の名前はハラダ・アヤコといい、現在は42歳です。私は永いことお習字を習い、書くことを趣味にしています。お習字では、高段者となっています。その他、編物や読書も大好きです。毎日忙しく生活していますが、息子や娘が立派な大人になっていくのを見ていると少しも疲れを感じません。
私はヨシアキが1日も早く皆様の家族の一員としてやっていけるようお祈りしながらペンを置きます。
敬具
ハラダ・アヤコ
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