第2章 愛の贈り物(1)

 学校が始まるまであと2週間、カーチスと友人たちはヨッシーに町の全てを見せようと計画を立てました。家には2台の車がありますので、どっちの車でいくか議論していました。シボレーは買ったばかりで乗り心地もいいのです。もう1台の緑色の49年型プリマスはもう15万マイルも走り、すっかりくたびれていますが、私たちにとってはかけがえのない車で今でも“緑の弾丸”と呼んでいます。ヨッシーが「あの古い車がいいよ。」と言いますと、カーチスも「当然だよ。」と答えました。
 友人たちは彼を市内の遊び場に、あちこちと連れて行きました。ボーリング場では、今まで一度もやったことがなかったのに、150点以上の好スコアを出したそうです。動物園にも連れて行きましたが、猿小舎の前では本当に楽しそうにしていたそうです。
 ただビリヤード場に行った時は、彼は入るのを嫌がりました。
 彼は「日本ではビリヤードという所は、あまりいい遊び場と思われていないんだ。だから僕は入りたくないんだ。」と言ったそうですが、「いや心配ないんだ。良くないビリヤードもあるけどここは大丈夫だよ。」と説得しましたら、彼は納得して中に入ると、今度はビリヤードに大変な関心を示して、ついにはジョンを負かしてしまいました。しかしピンポンはどうしても苦手なようです。
 スピードも速いし、身のこなしもいいのですが、しくじったり、ころんだりすることが多いのです。「どうもあいつはピンポンのこつが分からないらしい。」とカーチスは言いながら、ラケットの振り方を教えています。
 その時カーチスが何気なく呼んだ“つまずき野郎(Stumblebum)”というのが、ヨッシーのそれからの愛称になったのですから本当に面白いものです。その後もピンポンの練習は続けていましたが、一向に上達する気配はありませんでした。
 
 ある時、ドライブ・インに駐車して子供達数人でコーラを飲んでいました。カーチスとジムは車の前のシートに、ヨッシーとリチャードは後のシート。ヨッシーは飲み終えたコーラのコップの底についた氷を取ろうと、コップを逆さにしてストローで奮戦していました。ジムが「なかなかうまい具合に箸が出来てよかったじゃないか。」とからかったところ、ヨッシーは真顔で「これは日本ではストローと呼ぶんだよ。」と答えました。三人はもう我慢出来ないとばかり、どっと大笑いしたので、隣の車の人たちは何事かと、いっせいに見ていたそうです。
 娘サニーの婿のフレッドが週末に遊びに来たことがありました。カーチスとヨッシーと3人でプールに泳ぎに行ったわけです。フレッドは半ズボンの下に水着をつけていたのですが、ヨッシーはそんな事が分かりません。フレッドに遅れまいと一生懸命走ってついて行きました。フレッドはプール脇に来ると、いきなり半ズボンを脱いで、そのまま水に入ろうとしました。ヨッシーもそれを真似て半ズボンを脱ごうとしましたが、そこはいっぱい人のいるど真ん中、カーチスが気がついて、あわてて追いついて、更衣室に引きずり込んだのでした。
「おい、しっかりしろよ。どこで着替えるつもりだい。」「いやあ、失敗は誰れにでもあるさ。」カーチスが家に帰ってくるなり大声を上げました。「あいつには、これから先が思いやられるよ。」

 娘のサニーは大学で美術を専攻しているのですが、大学に戻る前、ヨッシーの顔を木炭でスケッチしたいと言い出しました。
 ある日、半日ぐらい彼はサニーのモデルとして、随分窮屈な思いをしたようでした。「お父さんヤンキー・ドウル(Yankee Doodle)って一体どういう意味なんだい。」ある日の夕方、食事の席でヨッシーは、いきなりこう聞きました。
 夫のジョーは、煙草に火をつけながら、ちょっと考えて「お前は、アメリカ史を勉強したことがあるかい?」と聞き返しました。
「うん、少しだけど、世界の歴史を勉強した時に、アメリカのことも勉強したんだ。」
「お父さんは、その言葉がどこから来たか、よく知らないんだ。くわしくは百科事典でも調べなきゃいけないな。でも昔の開拓者時代の歌で“ヤンキー・ドウル・カム・ツウータウン。”(ヤンキー野郎が町にやって来た)という歌があるんだよ。“ドウル”という乱暴な言葉がついているのは、多分南北戦争で痛い目にあった人間たちがつけたんじゃないかな。ヤンキーというのは、もともとニューヨークの人間の事をいうのだけど、他の国からは、アメリカ人全体をヤンキーというらしいなあ。」
 カーチスが横から口をはさみました。
「おい、ヨッシー、君だってここにいる間はヤンキーだぞ。ヤンキー・ヨッシーだ。そうだ面白いことが浮かんだぞ。“ヨッシー・ドウル・カム・ツウー・タウン”(ヨッシー野郎が町にやって来た)こりゃあ面白いぞ。君のことだぞ、こりゃ!」
 彼は、じっくり考えるように目を窓の外に静かに向けていました。駒鳥が2羽パシャパシャと水浴びをしているのが見えました。「ヨッシー・ドウル……。」両方の黒い瞳が急に明るく輝きはじめました。
「おい、これは面白いぞ。僕は今日からヨッシー・ドウルだ。そう呼んでよ、これからは。」ジョーは大きく煙を吐きながら、「ようやく一件落着したか。」と微笑みながらつぶやきました。
 数日後の夕食の時、カーチスが私達にこう言いました。「ヨッシーがとても柔道をやりたがっているけれど、この町には相手がいないだろうな。」ヨッシーは例の通り黙々と食事をしていましたが、少し元気がありません。「本当に僕にとって、柔道は大切なんだ。ここにいる間、柔道がなかなか上達しないだろうが、まあ、力を維持するくらいのことは出来るだろうね。」
 早速、ジョーが電話帳をめくって、フリードマンという、柔道の練習場をやっている人を捜し出しました。電話で事情を説明したところ、町のYMCAに柔道クラスがあり、ヨッシーに出来たらアシスタントとして来て欲しいという話しでした。フリードマンさんは、どうやらこの町で唯一の黒帯の持主のようです。年齢も50歳を大分越えていましたし、本人はもっぱら教えることに専念しておられる様子で、ヨッシーが現役のアシスタントとして参加してくれることを大変喜んでおられたのです。2日後、YMCAの会員券が送られてきた時には、彼は小躍りするほどの喜びようでした。
 それには毎週火曜と木曜の夜7時から9時までと書かれてありました。
「お母さん、これ見てよ。本当に僕はなんでもうまくしてもらえるから幸せものだね。」
 そう言いながら、芝生に飛び出してジャンプをしたり、走りまわったり、ころがったり、一人で柔道の練習を始めたみたいでした。
 さあ、とうとうガレージの中が柔道場に変わったのです。大きなマットが敷かれました。先生のヨッシーはカーチスに柔道着を持って来てくれましたので、それを着ていよいよ柔道のレッスンの開始です。柔道着というのは、非常に強い布で丈夫に作られていることを初めて知りました。そして上着と下着(ズボン)に分かれています。襟もないしボタンもないし、実にゆったりと作られていて、お腹の所で帯を締めるのです。帯はランクに応じて色分けされています。
 そんな事も、彼に教えてもらいました。カーチスはもちろん初心者ですから、黒帯をつける資格はありません。
 せっかくヨッシーが黒帯を持ってきてくれたのに、どこかで探して白帯を買ってやらなければなりませんでした。
 ヨッシーは顔を引き締めて、いよいよカーチスに柔道を教え始めました。まず転んでも怪我をしないように練習です。次ぎには、いくつかの投げる技を見せてくれました。その技には、それぞれ名前がついています。カーチスはヨッシーの要領のいい教え方で大分わかったようでした。
 こうして何日か練習を続けているうちに、二人ともだんだんと本格的な技が出来るようになってきました。二人でいつもとっ組み合いをしています。自分達の部屋で、ガレージで、またバックヤードで、組みついては投げたり投げられたり、ころげたり、急に家の中が全く騒々しくなりました。悲鳴を上げたりハアハア息を切らせたり、顔を真赤にして、ときにはお客さんが来ている前でも平気でやるものですから、喜ぶ人も中にはいますが、大抵は眉をしかめます。それでも渋い顔で見ているのです。
 カーチスは少しずつ自信がついたのでしょう。ヨッシー以外の相手と一戦やりたくなったようです。フランクという男の子ですが、彼はあまりスタミナも腕力もないような子でしたが、彼がちょうどバックヤードに顔を出すと、カーチスが強引に引きずり込み、覚えたての“跳ね腰”や“体落し”や“内股”でどんどん投げるのです。はじめのうちフランクは“参った参った”といいながら逃げて行きましたが、YMCAに行って是非柔道を習いたいと言ってきました。ヨッシーは大声で「そりゃいい事だ。きっと待っているから。」と大喜びでした。ジョーが夕方帰宅すると、カーチスは得意になって、フランクを柔道で痛めつけたことを報告するのです。するとヨッシーは急に厳しい表情で「おい、カーチス、あんな弱いのを相手にして威張ったって駄目だぞ。」
「いやあ、参った。確かに君の言う通りさ。」
 夕食の時間が、いつも私達のおしゃべりの時間です。ある日の夕食の時間に、こんな会話がありました。「僕は日本で小学生や中学生の子供をたくさん教えていたんだよ。僕がアメリカに向って町を出る時、子供達が多勢で駅まで見送ってくれたんだ。みんな柔道着をきたままでね。」彼は窓の外をながめて、その日の事を懐かしむような顔をしました。
 ヨッシーとカーチスは家の中で、しょっちゅうレスリングをして暴れていました。もちろんヨッシーは力ではカーチスが相手ではありませんでしたが、ひとつだけ弱点がありました。それは彼がすごくこそばゆがることです。時々大声で「参った参った」という悲鳴が聞えてきました。でも彼らの部屋は騒々しいだけではありません。勉強をする時間になると、馬鹿笑いも影をひそめ、しきりに何かを真剣に議論している様子が聞えます。
 すっかり沈黙したりもします。また議論が始まり、次ぎから次ぎと議論がつきない様子です。友人たちはヨッシーに日本のことをよく質問します。しかも彼はその質問を心から楽しんでいる様子です。彼も日本の政府の機能、国会が衆議院と参議院とに分かれていること、日本の門戸は1854年、ペリー提督が締結した日米和親条約によって開かれたことなど、日本は四つの島から出来ており、約1500マイルの長さ、これは大体メーン州からジョージア州までの距離と同じですが、形は弓状になっています。
 彼はまた芸術のことも論じます。“歌舞伎”は大衆的なドラマであり、“能”は古典的な劇であること、また皇室の“雅楽”は実に7世紀に出来上がったもので、未だに素晴らしい伝統音楽を聞かせてくれることなど、いろいろな事を教えてくれるのでした。
 またある時は、日本の教育システムのことを誇りを持って説明してくれました。“東京”というのは、東方の“都”という意味だと教えてくれました。昔は“江戸”といっていたのが、1868年に“東京”となったのだそうです。東京は密集しているので火事が怖いということ。でも消防組織は世界一といえるくらい優秀であること。1923年、大地震が起って約9万1千人もの犠牲者が出たそうです。
「日本には20以上もの全国的新聞があります。鉄道が発達していて、一日に200万以上乗降する大きな駅もあるんだ。東京タワーは1092フィートもあり、エッフェル塔よりも少し高くて世界一なんだ。東京のデパートには、コンサートや演劇ができるホールを持っている所もあるんだけど、それは大抵屋上にあるんだよ。日本は土地が狭いので、どうしても上にスペースを確保する必要があるんだ。だって全面積のわずか20%しか耕せないんだ。」
 東京では“ギンザ”という所が旅行者が買い物に必らず訪れる所だそうです。“ギンザ”とは“銀を作る工場”という意味だそうです。現在では90%以上の家庭がTVかラジオを持っています。受信機を持っている家庭では、毎月受信料を払わなければなりません。三輪自動車は、よく私たち外国人を驚かせます。これらは通常大変な量を乗せているようです。日本では何んでもオーバー・ロードしているように思います。(続く)