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勉強の方も本格的になってきました。
ヨッシーは猛烈な勢いで宿題や予習をするようになりました。数学と科学は彼にとって十分なじみのある科目でした。2足す2は4であり、H2Oは水の分子記号であることは、アメリカも日本も同じなのですから。
部屋の長い机の上に一面、本やらノートをひろげたまま書いたり消したりの作業を繰り返しながら、きっと正しい答を出すのに努力しているのでしょう。その勉強ぶりには、夫のジョーもびっくりするほどのもので、友人や近所の人たちによく自慢気に話題にしていました。彼は勉強をする時、ノートに走り書きをしながら記憶をするくせがあるようですが、多くの場合、日本語の“象形文字”でメモをしているのです。私は珍しさもあってゴミ籠に捨ててあった書き損じの分をスクラップしてありました。英語も含めて比較的順調にいく科目と、フランス語とアメリカ史のようななかなか骨の折れる科目とがあるようです。今まで見たことも聞いたこともない事柄に直面して、彼は苦悩し、時には壁に向って何やらぶつぶつと自分で自問自答したりしていました。この国で過去に起った事件や年代について訳の分からない暗記事項がたくさんあるので、きっとヨッシーの頭の中にゴチャゴチャと入り込んでパニック状態が起っているのではないでしょうか。
しかしこの問題はひとり彼のみの悩みではないと思うのです。留学生はみんな、このアメリカ史というのは最も苦手なのです。
しかも留学生にとって必須科目ですから逃げる訳にはいかないのです。彼らは難しい留学試験に受かった訳ですから、英語の力は相当あることは当然ですが、それでも本を読み理解するスピードは、まだ非常に遅いため、同級生についていくには大変な努力が必要なのです。昼も夜も彼はこの苦労と一生懸命闘っている様子です。次第にアメリカ史の勉強のコツが分かってきたのか、そのうちワシントンとかリンカーンについて私に話しをしてくれるようにさえなりました。
カーチスとヨッシーは、勉強するとき長い勉強机に並んで坐ります。この机はジョーが子供達のために大分昔に手作りしたものです。並んで勉強している時、カーチスが何か宿題でカベに当たり、苦しんでいるとヨッシーが身をのり出して助けてやろうとします。何か少し話したり、ペーパーに何か図を書いたりしているうちに、問題が解けてしまうようです。もちろん逆もあります。
カーチスが身をのり出してヨッシーに教えていることもあります。こういう情景を部屋の外から見て私はこう思いました。国と国の場合も同じように、それぞれの問題を相互に力を合わせながら温かく解決していうことが出来ないものだろうか。しかし実際には、国際問題というのは、いつもややこしくなっていくような気が致します。
2人が頭をぶっつけんばかりにして何か紙に書いているのを見ると、急に涙がこぼれそうな感情に襲われる時がありました。奇妙な気持での新しい体験でした。
アメリカ史が依然と大儀そうでしたので、私はこっそりと先生に会いに行ったことがあります。先生は形どおりの挨拶をすませると、「なかなか大変ですね。今のところ5段階のCとDの間ですよ。頑張らなくちゃ。」ということでした。私も「出来ることは何んでもいたします。」と言って帰ってきました。そのことは彼には何も言いませんでした。
しかも彼の事だから、きっとうまくやってくれるという信頼感が湧いてきたのです。
私はヨッシーが将来多くのスピーチ(演説)をやることについて少々心配になり始めました。というのは、近いうちに留学生達全員が集まって大会が行なわれることになっているのです。12月になると、彼ら留学生達は町のいろいろな団体にゲストとして招かれてスピーチをする機会が増えてくるのです。これがなんと年間40回から50回にも及びます。ある日の午後、エジソン高校でのスピーチ大会がわずか3日後に行なわれることを知りました。
「ヨッシー、ちゃんとスピーチの準備は出来ているのでしょうね。」「うん、でも毎日試験があるんで、とても時間がないんだ。」
それから2日間、彼の様子を見ても一向にスピーチの練習をやっている気配をありません。スピーチ大会が明日に迫った日の夜、思い切ってカーチスに聞きました。カーチスは「練習をしている様子は全然ないよ。でもあいつの問題なんだから、つっついたって仕方がないだろう。」と投げやりなことを言います。私は気が気でありません。
スピーチ大会の朝、学校へ行く時の彼は何かぼんやりとして元気のない顔をしていました。小さな声で「行って来ます。」と言いながら「お母さん、今日の大会には来てくれる?」と言うので、私はことさら元気な声で、「もちろんよ。きっと頑張ってね!」と笑顔で送り出しました。
約1時間程たってから、私も学校へ行きました。私は知り合いや留学生委員会の人達の席よりも、むしろ生徒達が坐っている中に席をとりました。大変な観客です。500人収容できる講堂がほとんど一杯に埋まっていました。色とりどりの飾りつけで、若々しいアメリカのエネルギーが舞台に次ぎ次ぎに繰り広げられて、それはとても印象的でした。
プログラムが進むにつれて私は胸が次第に高まるのを止めることが出来ませんでした。
ついに司会が2人の留学生―ガテマラのディアルマ嬢と日本から来たヨッシーを歓迎するアナウンスをしました。
ディアルマ嬢がまず、にこやかに舞台に上がりました。黒い瞳、それに巻き上げた黒い髪、なんと素敵な女の子でしょう。まるで音楽を聴くように、きびきびとしたスペイン語で、彼女は自己紹介をし、それをまた英語で翻訳をしてみせました。アメリカでの生活とガテマラの生活の違いなどを手短かに話しました。スピーチが終わると、万雷の拍手が起きてディアルマは舞台の上の椅子に腰をかけました。
司会が次にヨッシーを紹介します。彼が柔道の選手であること、レスリング部に強引に引っ張られたことなどを話しました。大きな拍手と笑い声の中を、ヨッシーが舞台に上がってきました。彼は一呼吸おいて、観衆を見渡しました。会場がしいんとなったところでヨッシーは、いつもより少し高い声で話しはじめました。日本語、続いて英語ですこしずつゆっくりと進めて行きます。
「私はハラダ・ヨシアキです。私は日本の東京からやって来ました。私はまだ英語が十分ではありません。ですから長い話しは出来ません。それで私は、あなた方全てのお客さまを日本旅行に連れて行ってあげようと計画しています。この旅行は、バスでもなく飛行機でもなく、船でもなく、私の魔法の道具―ハーモニカによってであります。」観衆の口から驚きと喜びの声が上がった。彼はポケットからおもむろにキラリと光る“道具”を取り出しました。
「私は日本で最も親しまれているクラシック“荒城の月”を吹きたいと思います。」
彼は素晴らしいメロディを演奏してくれました。観衆は息をのんでいました。見事に演奏が終わると、会場から割れるような拍手がまき起りました。ヨッシーのあの魔法のために全ての観衆がとりこになってしまったのでした。彼は舞台の中央に立っています。やっと私は我にかえりました。涙があとからあとからこぼれてくるのです。私はハンカチでそっと涙を拭きながら、ふと友人の言葉を思い出しました。
「ヨッシーは若い魅力を存分に持っているわ。ジェームス・バリーの言葉に“魅力さえあれば、他に何もいらない。魅力がなければ何をやってもうまくいかないものだ”というのがあるでしょ。」
ひとり感傷的になっているうちに舞台は次ぎ次ぎに変わっていきます。6人のチアガールがステージ一杯に踊りまわりながら“今晩のフットボール試合では宿敵ネイスン・ヘール高校をやっつけよう”と大いに士気を盛り上げています。またまた若さと熱気でホールの天井を突き抜かんばかりです。
(その晩の試合は残念ながらヘール高校に負けてしまいましたが。)
翌金曜日、ヨッシーは他の留学生たちと共に市内の留学生大会に呼ばれました。カーチスも付き添いとして一緒について行きました。夕方になって帰ってきたカーチスが「お母さん今日の大会、だれがかきまわしてしまったか分かるかい?」と言いました。
「ヨッシーは全く大変な役者だよ。」ヨッシーは横でにやにや笑っています。
「とにかく紹介されるや、マイクをいきなりむんずとつかみ“ハロー、エブリワン”と大声で始めちゃったんだ。“幸か不幸か、先日は皆さん方のヘール高校によって、わがエジソン高校はフットボールでやられてしまいました。しかし、気をつけて下さい。この次はエジソン高校がやっつける番ですから……”この調子で完全に挑発的なんだ。僕は舞台の下にいて、あまりきついことを言うなと合図したんだが、とにかく皆の度胆を抜いちゃったんだ。」
私もこんな話しを聞くと、大会に行けなくて残念でなりませんでした。
ヨッシーは家庭にもよく溶け込んで、しかも日に日に友人達も多くなりました。それにアメリカについて知る量が着実に増えているようです。彼が知識を吸収しようとするその貪欲さは、彼の食欲の旺盛さに優るとも劣らない程です。
ある日、私の友人から連絡がありました。
「ヨッシーが学校で少しまずいことになっているみたいよ。幾何の授業の時間、つまらないからと、あまり出来のよくない子とペチャペチャとしゃべったり、先生と言い合いなんかするそうよ。ある時なんか、解き方が二つある幾何の問題で“自分の解き方が絶対に正しいやり方だ”と言い張ったものだから、クラスの中が全員しらけちゃったんですって。」私は「どうも有難度う。お願いだから誰れにも言わないでね。」と言って電話を切ってから、背筋が少し寒くなるような思いがしました。(第3章終わり)
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