第4章  災  難 (2)

 ヨッシーはそのうちにある悩みを打ち明けました。彼が日本のお母さんを心から愛していることは、彼の話しぶりからもよく分かりました。そして今はそれをアメリカの母である私にも向けてくれることに気がついたのです。夕食の終わったあと、他の者たちはすでに席を立ったのに、何かもじもじしていたので、何か話があるような気がしたのです。こういうときの彼は急に静かになり、お皿か何かじっと見つめるような仕草をするのです。
「お母さん、少し言いにくいんだけど……。」横腹に手をあてて指はシャツを掴んでいます。「僕は女の子に何んて話していいかよく分からないんだ。」私もちょっと返事につまりました。「きっとお母さんも理解できないと思うんだが、日本ではあまり女の子と一緒にならないんだよ、日本では“男女七歳にして席を同じくしない”という言い方だってあるんだ。僕はあまり日本でも女の子と話したことがないし、ましてアメリカの女の子と向かい合った時、一体何をしゃべっていいか本当に困っちゃうな。」
「ヨッシー、よ分かるわよ。だってあなたは見知らぬ土地にいるんだから面喰うのは当然よ。決して怖れないことね。そのうちこんなことに心配していたのかと、きっと笑える日が来るから、勇気を出してね。」
 彼の黒い瞳は私をじっと見つめて、やがて私の言うことが本当だと納得したような顔つきになりました。
「女の子だからといって特別に意識することはないのよ。男の子に対するのと同じような気持ちで気軽に話しかけるのよ。きっと素敵な女の子がたくさん出来ると思うわ。」
 彼は神妙な顔をして聞いていましたが、
「何とか自信が湧いてきたよ。有難うお母さん。」私は覚えたての日本語で「ヤッタアー!」と声を上げてしまいました。
「ところでヨッシー。ひとつ教えてくれない?以前にある本で、日本の“河童”のことを読んだことがあるんだけど、“河童”っていうのは、池の中に住んでいて、人間の子供なんかを河に引き込んで溺れさせたりするんだって。ただ、胡瓜が嫌いで、胡瓜を池に投げ込むと必ず逃げ回るんだって。今でも日本人は“河童”のことを信じているのかしら?」「よく分からないけど、地方によっては、そんなこともあるかも知れないな。」
「習慣と文化とか、実に楽しくて素敵だと思うわ。日本の習慣でアメリカ人が見習うべきものって、どんなものがあるかしら?」
「そうだな。例えば、お客が長居して大変疲れるときがあるでしょう。そのときはほうきを逆さにして客が見えやすいところに立てかけて置くんだよ。それは暗黙のうちに早く帰ってほしいという意味があるんだ。」とヨッシー。
「それはいい考えだわ。早速実行してみようかしら。」と笑い合いました。「でも電気掃除機ではどうにもならないな。」と彼が言ったので、また大笑いしました。
 ちょうどいい機会なので、彼にデートのときの注意事項を教えておこうと思いました。
 彼は少し恥ずかしそうにしていました。
「いいこと?アメリカの女の子たちは、日本みたいに三歩下がって歩くなんてことはしないものよ。一緒に並んで歩くときは、男の子がいつも車道の側を歩くの。コーナーで曲がったりする時も、女の子のそばから素早く走って都合の良い側に立って歩くのよ。しかも、こういうことが自然に出来るようにならなければ本物じゃないわね。」
 彼はそのうち、女性を単に最初にドアを開けて通すばかりでなく、ドアを明けて通す間、ちゃんとホールドしておくことすら覚えました。デパートの重いガラスのドアで、私もそれとなく確かめてみましたが、ヨッシーはちょっとぎこちないけれど、はっきり意識して私をレディファーストとして扱ってくれたのでした。私はついに「やったね。」と褒めてあげました。彼はこの科目も優等で卒業したのです。「次は回転ドアのことを勉強する必要があるわ。」「えっ、あんなの簡単じゃないか。」とヨッシー。
「そうでもないの。やはりレディがスムースに通過できるように、男性はいろいろ配慮しなければいけないのよ。」
 これも町の銀行に連れて行って、実際に回転ドアを使って教えました。私が通る前にドアに手をかけ静かに後ろから押してくれるようになったのです。
 学校では勉強のかたわら、レスリングのシーズンを控えて猛練習に余念がありませんでした。ところが不運なことに突然お尻におできが出来てしまったのです。
 彼はおできの痛みに耐えながら、しきりに身の不運を訴えます。
「お母さん、本当に残念だ。今こそ練習をしてレギュラー選手にならなければいけないのに。僕はずいぶんタフなつもりなんだけど、どうも皮膚が弱いらしいんだ。」
 夫のジョーはレスリング部のトレーナーと連絡をとって、おできには熱いタオルと石鹸を使ってゆっくりともむように指導していました。私はただ横で同情する以外に他に方法を知りません。ヨッシーは、私たちの激励にもかかわらず、ただ、「畜生、チクショウ。」と口惜しがっていました。学校ではおしりが痛いために椅子の端半分にだけ腰かけていたようで、クラスメートたちもさかんに同情してくれたようです。事情を知らない女の子が、「ヨッシーどうしてそんなすわりかたをしているの?」と聞いたところ、ヨッシー、顔をしかめて教室の天井をにらみながらいわく、
「うん、これ僕の趣味なんでね。」
もちろん女の子は不思議そうな顔をしていたようです。
 翌朝もよほど痛んだんでしょう。夫のジョーに、もっとよく効く薬をつけてほしいと頼みながら、5ドル紙幣を渡そうとしました。
 ジョーは「分かった。別の薬を買ってきてやろう。でもお金はいらないよ。」と言いました。ヨッシーは「でもお父さん、アメリカでは薬は高いんだよ。」
「おい、お前よりお父さんのほうがはるかにアメリカのことは知っているんだよ。」
 それから数日後、おできがようやく治った日のことでした。学校から帰ってきたヨッシーを見て私はびっくりしてしまいました。
彼の左目の瞼が赤く腫れ上がり、しかも縫ったような跡が見えるのです。
「まぁ、ヨッシーったら、いったいどうしたの?」私は大声を上げてしまいました。
 ジョーも居間から飛び出してきて「おっ、ダンディーになってきたね。」と皮肉を言いました。「いやあ、体育館で暴れていたら、誰かの頭にぶつかって目が切れたんだ。大したことないよ。」「全くあなたってついてないのね。おできが治ったと思ったら、今度は大怪我。シェークスピアの言葉に“災難というものは来る時は連隊でやって来る”というのがあるのよ。」そんなことを言ったら、案の定、ヨッシーは、その後にも足を捻挫してしまいました。全くさんざんなことが続いてしまいました。(第4章終わり)