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私たちの街にも秋が静かに訪れていました。庭の木の葉も赤く染まり、どこかひっそりとした気配が感じられるのです。自然の微妙な変化とはうって変わって、子供達の社会では最も華々しいスポーツのシーズンがやって来たのです。学校と学校とのライバル意識がだんだんと高まり、母校への帰属意識が燃えたぎってくるのでしょうか。普段はおとなしい温厚な人達までもが、いつの間にか拳をふり上げ大声で"やっつけろ"などと叫ぶようになってしまうのです。
私達はいつも秋が大好きなのですが、ヨッシーは何故か楽しそうな表情が見えません。
彼は少し暗い表情でこう言いました。
「秋になると僕はいささか憂うつになるんだ。日本中の学生にとって、秋は勉強の季節なんだ。すぐに入学試験が来るんだよ。試験は多勢の人が受けるけど、相当の人が失敗するんだよ。」
ヨッシーの話しには、同情しますが、だからといって仕方がありません。アメリカにいる時ぐらい秋の美しさを満喫して欲しいのです。それでも彼はフットボール試合を思い切り楽しんでいるように見えません。大観衆の中で、彼は一人冷めているようなのです。
競技中に大歓声が上がると「騒々しいなあ。」といったり、時には「仲々うまいじゃないか。」ということもありますが、それを言うのが精一杯なのです。
あの喧騒の中で本を読んだりさえするのです。しかも「見てるだけじゃつまらないなあ、だって自分は何もしないんだもの……。」とつぶやきます。
ジョーもサジを投げて、結局あの子は自分がやらなければ気がすまないタチなのだということになりました。
さあいよいよヨッシーの柔道活動が始まりました。カーチスも家を出るときは心配そうな顔付きでした。二着の柔道着、ひとつは黒帯、もうひとつは初心者用の白帯で形よく包まれています。私は別の用事で今夜は行けませんが、夫のジョーはこの日を大変楽しみにしていて、早くから車の用意をして待っていました。
夜9時半、家族四人がまた台所のソファーで一緒になりました。今晩起ったことをみんなで報告し合うのです。ヨッシーはまだ身体が上気しているのでしょうか、コップで何杯も水を飲み干しています。彼の柔道のクラスには十二人の生徒がいます。三人が黒人だそうです。ひとりは茶色の帯の"ブラック・ビル"(黒人のビル)といい、同じ茶色帯に白人のビルがいましたので、彼を"ホワイト・ビル"(白人のビル)と呼んでいました。茶色の帯は全部で四人。フリードマン氏とヨッシーが黒帯のエキスパートです。
「お母さん"ブラック・ビル"って凄い力なんだよ、でも僕はあいつが大好きだ。それから来年の一月、柔道の大きな試合があるんだって。カーチスも僕もその試合に参加できるんだってさ。」
その夜、寝室でジョーがひとり思い出し笑いをしていました。「あいつのやり方があまりに凄いんで、皆んなびっくりしていたな。相手に向うとき、技をかける時、彼はいちいち大きな雄たけびを上げるんだ。相手ばかりでなく見ている観客だって腰を抜かしちゃったよ。あれはきっと日本人の柔道マンのやり方なんだな。ヨッシーはなかなかの闘争心だな。彼の足の払い方なんか、まるで壁でもぶちこわす程の勢いだよ。」
二回目の柔道レッスンの時は、私が車で連れて行きました。トレーニングの責任を持たされていたヨッシーは、全員を休ませずに目を配っていました。彼らはヨッシーの号令でマットの上でひっくり返ったり、とび上がったり倒れたり、いろいろな体操をしました。体育館の隅々まで活気がみなぎっているのです。体操が終わると、二人ずつペアになって、技のレッスンが始まりました。ヨッシーは、厳しい表情や柔和な表情をおりまぜ、力強い声で辛抱強く、スピードのある技のやり方を一生懸命に説明しています。練習台を相手に多彩な技をかけながら、いつもまわりの人たちの動きに目を走らせます。
「カーチス、右手を強く押して。」とか、
「トム、左足が動いてないぞ。」とか、その瞬間瞬間に短く、かつ鋭い声で指示を与えているのです。
緑色の帯がヨッシーの相手をした時、何かしきりに質問をしました。ヨッシーは相手をむんずと釣り上げると、どっと投げました。そして大声で「練習中に話しをするな!」と一喝したのです。
柔道クラスは、この"超過激"な先生が現れてから急に引き締ってきました。フリードマン氏もこの超過激な相手には大喜びでした。
こうして火曜日と木曜日の夜は、ヨッシーは柔道に明け暮れるようになったのです。
そしてさらに、カーチスと二人して柔道の紹介をするよう、あちこちからお誘いがかかるようになったのです。
それと同時に、レスリングのトレーニングも本格的に始まりました。毎日六時限目には、二時間以上の"ロープ昇り""腕立て伏せ""壁押し"などの基礎トレーニングを行なうようになりました。"手押し車"(相手が両足を持ち上げて自分で手だけで歩く運動)では、ヨッシーは、なんと体育館を横切り、ドアを出て廊下をどんどん歩いて生徒たちの溜り場を通って職員室まで行ってしまい、学校中の評判になってしまいました。家に帰ってくると、ガレージが体育館に変わり"腕立て伏せ""バーベル""縄とび"……と続きます。「僕の頭は二時間以上続けて勉強すると疲れるので、ちょうどトレーニングすると具合がいいんだ。」
レスリング選手としては新米ですので、覚えなければならない事が沢山あります。投げ技、抑え込み、逃げ方、フォール、いろいろな技の組み合わせ方など、ハンドロックなどの反則技、点数の数え方などひとつひとつマスターしていくのです。コーチの先生方もヨッシーの技のマスターするスピードには、びっくりしていました。きっと柔道の基礎があるからでしょう。
ある時、練習中に肩の筋肉を痛めてしまいました。トレーナーの先生が治療してくれたのですが、薬箱から塗り薬を出して筋肉に塗っていたところ、ヨッシーは不思議そうな顔で「変わった臭いがするけど、先生一体何んという薬ですか?」と聞きました。先生は「アトミック・ボーム」と答えると、彼はいきなり飛び起きて数フィートも逃げ出したという話しです。まわりにいた生徒達や先生がびっくりして、それから大笑いしてしまいました。
ヨッシーは興奮していて、何故人が笑っているのかわかりません。先生が笑いながら声をかけました。「おい、心配するなよ。よく見ろよ。"Atomic Bomb"(原爆)と間違えちゃいけないよ。」「これは肉離れによく効くんだよ。」ようやく意味が分かったらしく、やっと皆んなの所に戻ってきて笑いの輪に入ってきて「やあ、びっくりしたなあ。」このエピソードは、二、三日の間、学校中に広まって笑いのタネになったそうです。
そんなことがあってからはしばらくして、彼はトレーニングのひとつとして、夜中にランニングをする決意をしました。レスリングにはどうしてもスタミナが必要だというのです。毎晩深夜になると、ドアをこっそり開けて出て行きます。初めの頃は8ブロックのコース、次に9ブロック、さらに4キロ程離れた川岸まで走るようになりました。何時に戻って来たのか、朝ベッドルームに行くと、走ったままのジーンズとセーターでベッドの上で眠りこけていることも何度かありました。そんなことが何回か続いたため、ジョーが忠告しました。
「お母さんが言うには、お前は川岸まで走っているらしいな。それは少し走り過ぎじゃないかな。それに真夜中に走っているのを人が見ると、何か悪い事でもして逃げているように思うかも知れない。まさかピストルで撃つとは思わないが、いいか、あまり無理をせず、出来るだけ家のまわりで運動をした方がいいよ。」「お父さん、よく分かったよ。僕も走っているうちによく犬に追いかけられてすごく恐いんだ。そういう時は立ち止って犬を怒らせないように歩くんだ。二、三日前、走っている脇に急に車を止めた奴がいたんだ。そして大声で"おい、ヨッシーじゃないか、この真夜中に毎晩走っている奴がいて誰れかと思っていたが、君だったのか"と言って、僕には暗くって、相手が誰れだったかよく見えなかったけど……。」
それ以来、真夜中のマラソンも遠出はしなくなりました。 (続く)
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