我が国にとってロシア外交がいかに重要であるかは言をまたない。ロシアとの間に北方領土問題が厳然と存在する。北方4島は紛れもなく我が国固有の領土であり、この問題の解決なくして平和条約を締結し真の日露関係を樹立することもあり得ない。そしてこの状態は、実は日本ばかりでなくロシアにとっても不幸なことなのだ、今やそのこと故に貿易も投資も中国、韓国から大きく後れを取り始めた。私は2005年(平成17年)秋から丁度1年間、「衆議院外務委員長」の任あり一応外交の表面にいたのだが、個人的体験も踏まえてロシア外交を論じたい。
  2005年11月、プーチン大統領が来日した。その1週間前私はヨーロッパ出張からの帰路モスクワに立ち寄りロシア外務省の事務トップと会い領土問題で激論を交わした。ところがプーチン大統領と小泉首相との間では殆ど話題にさえならなかった。何のための訪日か、議題にすらならないならむしろ来ないほうがよかったのではないかと私は批判した。
  2006年2月7日、北方領土返還全国大会が九段会館で行われた。私も呼ばれていたのだが私の真ん前の首相の椅子が遂に空席のまま終わった。小泉首相が国会答弁だかで来られなかったのだが、代理を出すか、そうでなければそんな椅子は初めからぶん投げておく方が良かったと私は事務方を叱った。案の定、2,3日あと、そこの空席の写真だけが外電で流されていた。
  7月4日から5日間、私は志願して北方領土に『ビザなし交流』で渡った。非常に強い抵抗を受けたのだが国会議員として、また5人もの人数で渡ったのは今まで例がないとのこと。最北端のエトロフ島まで行き、行った先々で島民たちと領土問題で大議論した。なお『ビザなし交流』という名の民間交流は、本当にそれが領土返還運動に寄与する事業なのか(それとも少し惰性に流れてないか)、一度総括する必要があるとの印象を持った。
  8月16日、北方領土海域でロシアの巡視船から日本の漁船に発砲し乗組員1人が死亡、残り3人が連行されるという事件が起こった。23日、私は外務委員会理事会を招集し、正式にロシア大使館(がルージン臨時代理大使)に対し厳重抗議し乗組員と漁船の返還などを強く求めた。またロシア上院外交委員長コサチョフ氏への抗議がきっかけとなり同氏との間でロシア・インターファックス紙と産経新聞でそれぞれ往復の論戦をした。
  8月30日から4日間、サハリン州を訪問し「サハリン・フォーラム」に出席した。学者、民間人の会合ではあるが私も基調演説を行い、領土問題などで積極的な発言をした。ほぼ完成間近のサハリン・プロジェクトUも見学した。三井、三菱など日本人関係者にはロシア側の出方に十分用心するようにと注意を促したところ、1週間ほどしてからロシア政府、州政府が環境問題を指摘し始め(難クセ以外のなにものでもないのだが)、その後の展開はご承知の通り、(実質国営)ガスプロム社が強制買収することとなった。・・・・・・・・

  私が乏しい体験を語るまでもなくロシアは外交の相手としては余りに巨大で権力的であって、西欧流の民主主義や合理主義が必ずしもそのまま通用するとも思えない。しかもロシアは原油高等による財政、経済の好転は今や我が国からのオッファーや取引を以前ほど必要としないともいわれている。しかしゴルバチョフの『ペレストロイカ(政治改革)と情報公開』、エリツィンの『法と正義』など正統な先人達の拠って立つ基盤をもう一度想起して領土交渉の体勢を立て直さなければならない。
  北方4島は日本の固有の領土である。実に豊かな資源と自然がそこにある。今は貧しいが、しかし間違いなく、また当然ながら定住化が進み、また地域発展も続いていることはこの目で確かめて来た。そして我が国との間に国交上の障碍がある間に(ビザを出すとか出さないとか)、第三国が着実に入り込んできている。北方領土、海域はアメリカ、カナダ、韓国、中国らにとって無限の資源とポテンシャル(可能性)を備えた垂涎の場所である。我が国の基本方針は粘り強く交渉することでそれで60年が経過した。あと60年我慢するのも勿論一案だが、「粘り強く」だけでいいものか、時間の徒過は先方でなくこちら側に決定的に不利ということ、遅れれば遅れるほど不利となることを知らなければならない。『ビザなし交流』など民間交流で相互理解が進むことは、悪いことではないが現状固定につながるだけで問題解決には余り寄与しない。ある意味では貿易、投資などの経済交流も現状固定に作用することも知っておかなければならない。私は結局「解」を持たない、しかしはっきり言えることは時間的に急がなければならないこと、それは正面から国家レベル、外交交渉をすべきであって、サハリン州とか民間交流など妙な変化球では絶対に解決しない、ということである。よって私は早急に『北方領土省(仮称)』を作り、担当の大臣にそれだけを担当させる、しかもそれは期限を切ってやる、5年とか10年とか、その気迫こそが今必要であって、さもなくばこの4島は永遠に戻ってこないであろう、と敢えて私は断言したい。
  7月9日未明、遠ざかる「エトロフ富士」に私は必死に手を振りながら、必ず迎えに来るから、と呼びかけた。「富士」は真っ暗闇の中も米粒になるまで望郷の想いを訴えていた。