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生まれは福岡の筑豊ですが、小学校2年から5年(昭和28ー30年)までの少年時代は北海道で過ごしました。雨竜郡沼田町浅野というところです。筑豊と同じ炭鉱の町ですが、冬には2階の窓もふさがるほど雪が積もり、零下20度〜30度くらいになります。スキー、スケートをはいて学校に通いましたし、男の子の仕事は家でも学校でも除雪(雪かき)です。屋根のつらら落しも、危険ですが大切な仕事です。
雪に閉じ込められる長い冬、靴といえばゴム長です。5月まではゴム長が離せませんし、10月にはもう雪が舞い始めます。それだけに春は待ち遠しいものでした。
その「春の足音」を知らせてくれるのは、馬糞でした。当時、食料品も日用品雑貨も燃料の石炭も、運搬手段は「馬」です。夏は馬車、冬は馬橇(ばそり)です。雪道を行く馬の糞、その上に雪が積もり、翌日通る橇(そり)の馬がまた糞を、その上にまた雪が降る……。春が来て雪が溶け始めると順々にそれが現れる、という訳です。私にとっての雪国の春は、不思議とこの風景が出てくるのです。
物のない戦後の復興期に厳しい自然のなかで多感な少年期を送ったこと、なかでも町の柔道場での寒稽古は、我慢強さを育て、努力することの大切さを教えてくれました。兄弟喧嘩で歯が立たなかった3つ上の兄に勝ちたい、そんな不純な動機で習い始めたのですが、凍てつくよ うな真冬の道場で鍛えられた日々が、私のなかで今も生きています。
昨年(H13)春同窓会で久しぶりに訪れた沼田町には、そんな思い出が当時のまま残っていました。NHKのドラマ「すずらん」で「明日萌(あしもい)驛」は、すっかり全国的になりましたが、私にとっての「恵比島駅」は今もまだ昔のままです。そういうご縁で、私の国会事務所には西田篤正町長さん、吉田好宏町会議長さんらが気安く訪ねてくれます。私も“道産子”の一人だと誇りを感ずるひとときです。
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| 平成14年11月発行「りぶる12月号」−あの時…あの頃−より |
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