九州大学と「古河(ふるかわ)財閥」のこと

  九州大学が全面移転して、新しく生まれ変わる(伊都キャンパス)。福岡で生まれ育った者として、こんなに誇らしいことはありません。その上で・・・

明治34年(1901年)、帝国議会を終えた明治天皇の車列に男が飛び出した。羽織はかまの正装、手には「謹奏」の包み紙が。男の名は田中正造、足尾銅山(栃木県)の鉱毒の窮状を訴える、厳罰も覚悟の直訴である。政府は「正気不全」をもって不敬罪は免じた。...
足尾銅山の惨状が伝わると世間が沸騰した。後の首相 原敬は「古河財閥」に対し社会貢献事業を勧めた。古河側は文部省の指導を受けて建物を建設(福岡市箱崎)、丸ごと国に献納した。かくして開学したのが九州帝国大学、今の九州大学である・・・(西日本新聞 10月1日)

  私は「古河」という名前に無関係ではありません。私の父親は戦前、若い頃から福岡県筑豊地区、「古河鉱業」という炭鉱に事務職員として勤めていました。親戚も皆同じです。20年あと、炭鉱が閉山して、父が神奈川県に転職(富士通)したのも古河鉱業のお世話によるものです。私の両親は終生、古河とともにあり、いつも「会社のお陰」と言っていました。当然私は生まれた時からこの名前しか知らないくらいでした。
長じて古河財閥と足尾鉱毒事件、そして田中正造翁のことも学びました。それでもなお私はいつも古河のことを身内のように思っていました。

  非常に勝手ながら、私は九州大学との縁を更に近く感ずるようになりました。