「知の巨人」堺屋太一さん、逝く

  堺屋太一さんが亡くなった。本当に大きな人であったが、堺屋さんの「謦咳(けいがい)に接した 」(偉人と直接に触れる) ことは私の誇りでもある。同じ(旧)通産省に勤めていたが、年代に差があり余り重なりは無かった。一度だけ、私が予算担当の時、直々に省内で予算の陳情に来られたことがある。
  その後、外に出られて、大阪万博成功、文筆や社会活動、エネルギー危機の『油断!』、『団塊の世代』、『峠の群像』などを発表され、大いに世の中を覚醒された。私も政治家になる頃で、1、2度事務所に挨拶に行ったり、一度は私の会合に来て頂いたこともある。民間人大臣(「経済企画庁長官」)としても活躍され、国会内で挨拶することもあった。本当は後輩としてもっと甘えていくべきところ、格の違いに萎縮して遂に打ち解けるまではいかなかった。
  あれだけの学績と将来を見通す力、それを表現する筆力などは、恐らく他の再来は許さないであろう。日本の官僚の優秀さは世界一だが、将来を率先して目測する力が出て来ないと、いつも案じておられた。実は私もその思想下にある。