嗚呼、御霊よ、安かれ

  お陰様、連日多くの友人達が来訪されます。
  都立「小山台高校」柔道部の後輩たち。入閣のお祝いに駆けつけた。私は大学4年頃、柔道を一番熱心に稽古していた。ある時高校の柔道部に顔を出したら全くピリッとしない。私は発案してその夏、チームを合宿に連れて行った。長野県大町市。1週間ほど、稽古では徹底的に鍛えた。夜は夜で楽しく過ごした。その縁でこの学年とは特に深く結びついた。
  この写真の中に1人だけ欠けたのがいる。「小野泰伸君」。このチームのマネージャーで、体は小さかったが頑張り屋だった。彼が大学を出た時、丁度私は選挙(神奈川県)に出る準備を始めていた。私は小野に頼んで事務所を手伝ってもらうこととした。小野は秘書として懸命に働いた。昭和61年は当然ながら落選、そして平成2年2月、遂に当選を果たして美酒に泣いた。この5年間は殆ど小野がひとりで事務所を仕切っていた。初当選で浮かれていたある日、チームの同級生の谷屋利隆が私の所にふらっと来た。いきな...り、先生、小野を辞めさせてくれ、と言う。びっくりして、お前何を言う、小野 無くしてこれから俺はどうするんだ、と怒鳴った。「小野が体がきついと言っています。少し病気が進んできたようです。どうか聞いてやって下さい。」。私は、始めて事の重大さに気づき、決心した。小野が持病(糖尿病、若年性)を持っていたのは知っていた。以来、小野は他に仕事を求めていたが、いつも事務所を気遣ってくれた。
  そして2年後、亡くなった。私は今でもあの事務所の5年こそが、小野の命を縮めたもの、と心を痛めているのです。