「川合辰雄氏」、(その2)、「桜のリレー」伝説

  福岡市に「桧原(ひばる)桜」伝説がある。昭和59年ごろ、南区 桧原地区には桜の木が7、8本立っており、その季節には住民を喜ばせていた。急に道路拡張工事が始まり桜の木は切らなければならなくなった。それを知ったある文化人が、せめてこの季節が終わるまで20日ほど切らずに残して欲しいと、市長あての嘆願書を歌に託し、枝にぶら下げた。(「花あわれせめてあと二旬 ついの開花をゆるし給え」)
  直ぐにそれを散歩の途中で見つけた人がいて、彼は会社の広報課長に、なんとかならないかと命じた。実はこの人こそ、当時九電社長の「川合辰雄氏」その人。課長は知り合いの新聞記者(西日本新聞)に相談し、記者はそれを大きく記事にした。地域は大騒ぎとなり、一方で嘆願運動が起こった。「進藤一馬市長」はせめて桜のシーズンだけは工事を延ばしたいと返歌で応じた。(「花惜しむ大和心のうるわしや とわに匂わん花の心は」)
かくして全国運動に発展し、桜の木は遂に切らずに一括して他処に移植、これが今の「桧原桜公園」に落ち着いた。これらは「桜のリレー、心のリレー」と呼ばれ麗しき市民運動の鑑となり、川合辰雄氏も進藤一馬氏も名社長、名市長として歴史に名を残すこととなった。