嗚呼、我が師との再会と佐久美術館

  長野県は軽井沢のとなりに「佐久市」というのがある。軽井沢での閣僚会議を終えて、私は佐久市に急いだ。師として仰ぐ「神津武士(こうづ ぶし)」先生が待っておられるからである。最近といっても7、8年になる。今先生は93歳になられる、実に矍鑠(かくしゃく)と、相変わらず声はでかい。私の訪問を心から喜んで頂いた。
  話は40年くらい遡る。私は関東通産局総務課長をしていた。ある日、えらく声のでかい人、「佐久市長」という人が事務所にいきなり入って来た。いきなり入って来て、課長の私にいくつか地元の陳情を告げた。そして嵐のように去って行った。少し失礼な、しかし凄い人だとだけ強い印象を残した。初めて、政治家とはこんなものかと肝に残した。その後陳情の処理は多少手伝ったような気がする。
  数年経ち、昭和58年のある時、市長からいきなり連絡があり、是非佐久市に来てくれという。美術館が出来たという。おっとり刀で駆けつけると、なんと盛大な落成式では、この美術館は原田さんの付けてくれた通産省の補助金で完成したと一番で紹介する。事情を掴めないまま、私はただ有難い言葉として受け取ることとした。
  私は、その後選挙活動に入り、いつも悪戦苦闘の中にあった。ただ私の政治家像は常に、無意識に、ヨオッと右手を挙げて大声で事務所の中に入って来たあの瞬間の佐久市長があった。先生は程なく市長を引かれたが、何故か気が合い、以後ずっと、長野で、東京で、忘れた頃にごあいさつしている。先生は、まことに勝手ながら、私の政治の師なのだ。
  今日も、私の大臣の様子をテレビで見て、周りのものに自慢しているよ、と相変わらず大きく笑われる。私はただ面が赫らむばかりだ。先生のご長寿と更なるご指導を祈るばかりだ。

  その美術館、『佐久市立近代美術館』は横山大観、平山郁夫などを収蔵する。今もなお、営々と地元の皆様に大事にされているという。