小笠原の人々との交流と課題

  硫黄島から小笠原までは(往復)海上自衛隊のヘリコプターにお願いした。所要80分。
  父島に着くや、実に小笠原村長、議会議長ら100人近くの人々の出迎えを受けました。首に花飾りのレイをかけられ、小さな子どももたくさんいました。夕刻には中央公民館で心のこもった歓迎会を頂いた。「一度は来たいと思っていたが、遂に夢が実現しました。素晴らしい歓迎を受けて、これからも小笠原のために全力で頑張ります。私は実は令和の発祥の太宰府の出身です・・・」と挨拶しました。
  小笠原諸島は本土から1000キロ離れている。明治時代に日本に編入されたが、戦後から昭和43年まで米国の施政下におかれた。古く漁業、捕鯨の関係で欧米人が棲みつき同化している。大小30の群島だが、有人島は「父島」1500人、「母島」500人のみで、周りは「兄島」、「弟島」、「姉島」、「妹島」、「婿島」、「姪島」など家族呼び名を冠した無人島が散在している。
  本土から直接の空路はなく、基本的に週1便だかの定期船に依存しています(片道24時間)。飛行場建設が島民年来の悲願であり、私も具に状況を聴取しました。飛行場建設に当たっては環境政策(環境影響評価)との調整が非常に大切な要素です。
  諸島全体、観光資源としての自然景観は見事なものがあり、行政全体として正しく規制が行われていると感じます。
  なお、4年前の中国漁船の小笠原地区サンゴ侵入事件においては、私も自民党員として激しく抗議活動したことを思い出しました。(現在は沈静化)