「オリンピック柔道、55年」(大祝賀会)。ルスカ夫人との再会は。

  柔道がオリンピック種目になったのは、1964年(昭和39年)「東京オリンピック」の時。次の「東京オリンピック」を来年に控え、今年はその55年目にあたり、盛大な記念祝賀パーティが行われました。主催は世界柔連のビゼール会長、山下康裕全日本会長、井上康生全日本監督ら。来賓には皇族、森元総理はじめ綺羅星の如き、1000人規模の大パーティです。過去の金メダリストたちが、悉く参列し表彰され、柔道ファンにとってはこれ以上の祭典はありません。

  その第1回目、東京オリンピックでは、かのオランダの「ヘーシンク」選手が外国人初という歴史的な優勝を遂げた。その決勝の瞬間に、私は日本武道館のその場にいました。
  ヘーシンク選手は早くに亡くなっており、今回、身内の男性が代理受賞をされた。
1972年「ミュンヘン・オリンピック」では、オランダの「ルスカ」選手が、2階級で、金メダルを獲得した。

  選手は既に故人であって、夫人が出席されていた。私は、実はこの夫人と再会(!)したことになる。ミュンヘン大会前の1年間、ルスカ選手は日本で稽古を積んでおり、その時私は彼と講道館の道場で知り合うことになった。オリンピックで彼は見事に優勝した。そして大会の2、3ヶ月後、私はスイスのジュネーブに仕事で暫く滞在したことがある。ある日、私は思い立って連絡を取って、アムステルダム(オランダ)に飛んだ。そしてルスカ選手のアパートを探し訪ねて、夫妻に大歓迎を受けた。本物の金メダルというもの、しかも2個も、初めて触らせてもらった。

  遠い昔のこと、ルスカ夫人は記憶はしておられなかったが、それでも優しく応じられた。記念のサインもしてくれた。私は「故人によろしく」(という表現がオランダにあるかどうかわかりませんが、)らしき言葉で別れました。

  ルスカ選手との実際の稽古は今も体に残っています。(投げられ続けて)「立っている暇のない」という、柔道表現があるが、私の柔道生活でのエポックのひとつです。