嗚呼、中村哲氏!アフガンで倒れる。

  中村哲氏が、あれほど尽くしたアフガンの地で凶弾に倒れるという、絶対にあり得てはならないことが起こった。そのヒットマンとその背後を、ただひたすら悔やむのみ。
  中村氏は、福岡県の人で、結局彼はあのアフガンを福岡県のような土地にしたいと思ったのです。アフガンの河川工事を何本も仕上げましたが、その究極の原点が朝倉市の筑後川 『山田堰(ぜき)』と言われる特殊な河川工事でした。福岡県の人が多くアフガンに技術指導に出掛け、またアフガンの人々がしばしば朝倉市を訪れてきましたが、全て中村氏の指導によるものでした。私も何度か同席したものです。今年5月にも記念大会、(地元の石工で特殊工法を開発した「古賀百工(ひゃっこう)」の生誕300年祭)において、私は中村氏を前にして、先人たちの偉業と中村氏の世界規模の献身振りを讃えたところでした。実は最後に「君と私は中学校の同窓生だ。西南学院中学校(福岡市)で私が2年上」と言って、固く握手を交わしたところです。
  本当に惜しい、悔やみきれない事件でした。中村氏の遺徳を今後どう繋いでいくか、後世に大きな仕事を残されました。

中村哲「治安の回復には『100万発の砲弾よりも1本の用水路』」

※※ < 山田堰(ぜき)> とは筑後川は「暴れ川」として古代から地域を苦しめてきました。実に江戸中期17世紀半ばに地元の石工「古賀百工」と有志が立ち上がり凡ゆる困難と犠牲を乗り越えて特殊工法を開発、遂に筑後川の氾濫を抑えました。河川の遺構は今もなお現役で、地元朝倉市が誇る豊かな農地田園こそこの「山田堰」に依るところが大きいのです。