ある医療事件(千葉大学腸チフス事件)のこと

  私の主催する研究会(「医療と医薬の未来を語る会」)は、時節柄のテーマ「新型コロナウイルス」を「大曲貴夫教授」(国際感染症センター長)が講演されることで、予定通り賑わった。
  閉会後、私の所に若い医者が挨拶に来た。「國島広之教授」(聖マリアンナ大学)で、やはり感染症の専門家という。昔私が川崎市にいたとき、地元の病院の先生で、選挙応援を含めて大変にお世話になった人、その息子さんということは直ぐに分かった。立派な息子さんで本当に嬉しかった。大先生は遠く他界しておられた。

  私が古く「厚生政務次官」をしていた頃、平成10年か11年頃。その國島先生が、数人で私の部屋にやって来られた。「同窓のS医師をどうしても救いたい」というのが相談の内容。

  昭和40年頃、「千葉大学腸チフス事件」というのがあって、これは当然大事件となり、私でも新聞記事を記憶していた。その犯人こそがS医師で、刑事処分は既に終わっていた。しかし彼は未だ冤罪として罪状を争っており、同時に医師免許の回復を目指している。厚生省の「医道審議会」でもう一度医師免許の審議をやり直して欲しい、それを皆卒業同窓の誼(よし)みで応援しているとの由。

  私は厚生省事務方の協力も得て本格的に取り組んだ。「医道審議会」というのは省内最も格式の高い審議会で要件も複雑であったが、なんとか開会に辿り着いた。結果、余りの社会的大事件の評価が覆ることはなかった。

  私はS医師とはその期間を通じて知己を深めた。尚お懸命に持ち続けようとする医師としての誇りには本当に尊いものがあり、在所の青森と東京を何度か行き来させ、就職まで手伝ったことを思い出したのです。