今なぜ、渋沢栄一『論語と算盤(そろばん)』なのか

  このコロナ禍では、ステイホームもあって、いつもより多く本を読みましたが、その中でも渋沢栄一「論語と算盤」(再読)には改めて感心しました。(渋沢は2024年予定の新札「一万円」の肖像として登場します。)
  「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一 (1840〜1931年・昭和6年)は生涯で470もの会社、組合の設立に関わり、まさに日本の経済インフラを作り上げた実業家である。王子製紙、東京海上火災、東京電力、東京ガス、サッポロビール、国鉄(JR)・・・が含まれる。彼の真の偉大さはその功績ばかりでなく、今から100年以上も前にはすでに資本主義に内包する問題点、矛盾点を的確に見抜いていたこと。資本主義は自分の利益を増やしたいという欲望をエンジン、原動力として進むもので、これは正しい、しかししばしば暴走してバブルや危機を引き起こす。これに歯止めを掛けるためには人々の内面、精神からの道徳的抑制が必要であって、それを孔子の『論語』に求めた。わが国で論語は、江戸時代にはすでに武士社会の行動の規範となっていた。渋沢栄一は「そろばん(商売)は論語より出来ている」と言い、実業と道徳はバランスが取れてこそ、個人も国も豊かになると言いきった。
  彼は埼玉県(深谷市)の農家に生まれ刻苦勉励、17歳で武士になり、政府(大蔵省)に奉職、30代で実業家になろうと決意した。国を動かしているのは政界や軍部ばかりではない、当時の欧米諸国が強さを誇ったのは、商工業経済が発達したからであって、日本が肩を並べるには実業界がもっと力を持つべきであると考え、自らそれを実践することとした。
  実業とは商売や工場生産が利潤を上げることである、しかし自分の利益さえあがれば他はどうなってもいいと考えは、却って国を危うくする、社会のためになる道徳に基づかなければ、本当の経済活動は長く続かない。大切なこと、利益を欲して懸命に働き、現実に立脚した道徳とがバランスよく並び立った時、国家も健全に成長すると説く。人は往々にして自分に自分の利害に関係ない時は全力で取り組まない、人の邪魔をさえする。道理と欲望が合わさっていないと、人から奪い取ってしか満足できない不幸を繰り返すことになる・・・
        <3つのポイント>
  ・実業と道徳が一致していなければ富は永続できない。
  ・横取りする競争ではなく、「自己開発」に努める競争をすべし。
  ・一個人の利益よりも、社会全体の利益になる仕事をすべし。
  私(原田)が最も驚くのは、渋沢が「論語」ほか東西の古典に本格的な学習を積み、その理解たるや100年後の今日にまで些かも時代差を感じさせない説明や引用を加えていることである。