私は何故、闘うのか。

  今私は、いま経験したこともない困難に直面している。近づく選挙において、私は野党と戦う前に与党内での新人との調整に手間取っている。この新人は県議会出身で県議会議員同志の絆は強い、結果県議会グループは同氏を全会一致で応援を決めた。さらに地元地域支部の意見集約でも大方がこれら県会議員の強い影響下にあるため、新人が有利に選ばれる可能性はある。
  一方で正式な党公認手続きは専ら党本部の決定にかかっている。私は3年前に党本部から「選挙区支部長」に任命されて公認予定者として活動しており、実際の公認の決定においては何らの条件を付けずに直接に党本部に申請するものとなっている。議論があれば当然そこで主張はする。
  私は平成2年2月に初当選して以来、都合30年間、当選8期24年間を自民党の所属として活動してきた。栄えある自民党議員として真面目に活動してきた。地元においては常に県連組織と協力し合って行動してきた。国会においても議会と自民党で多くの役職をこなしたし、政府にも入り、政務次官、副大臣、また環境大臣、国務大臣として務めた。与えられた職務は常に懸命に果たしたし、出した成果や業績にはそれなりの自負を感じている。問題を起こしたり、非難を受けて党に迷惑を掛けたことはない。
  今回新人は出馬の動機として「世代交代」を言う。仮にそれが「歳とったものは辞めろ、年寄りは去れ、無条件に」という意味なら、私は敢然と闘わなければならない。ただ「世代交代」だけで辞めろというのは聞いたことがない、日本のどの社会でも老壮青がバランスよく機能することで初めてそこに安定と発展があるからである。必要な処では「定年制度」も明示されている。
  私は、まず政治家として何をすべきで、何が出来るかを訴えたいと思う。意味も理由もなく辞めろという言葉には敢然と闘うし、それは個人の問題でなく、およそ世の高齢者、シルバー世代の人々のためにも正しく闘わなければならない。
  一方、高齢者の側で常に注意すべきことは、世の動きやスピードに決して遅れてはいけない、常に先に行くという気概がなければならない。そして自分の心身の衰えには厳しく当たり、身を処する勇気と決断力も持たなければならない。
  私には政治家としてやるべきことが余りにたくさんある。今年の新型コロナウィルス事態は全ての国民、全ての政治家に対して全く新しい経験でかつ全く新しい思考を求めることとなった。旧来の経験値や成功体験は最早意味をなさない、むしろその経験値や成功体験を突き抜けたところに次世代が見えてくる。デジタルやAIがその象徴ともいえるが、全く新しい発想こそが必要であって、そこに若い世代の役割があり、また古い世代との協働と競争こそが社会や企業を活性化させる。それが新しい時代への発展と安定に繋がる。ポスト・コロナでは国際社会も科学技術水準も大きく変わり、昭和、平成での諸条件は最早通じないということは覚悟しておかなければならない。
  私が目指すところについては要点を別紙にまとめている。これから国が目指すところ、目指さなければならないことを書いた。ローカル(地域的)なもの、政治的なものもあるが、殆どは全て公的なものである。日本として、日本人として、また政治家としてこれからやり遂げなければならない政策を書き出した。これらは全て自分が議員でなければできない政策であって、現職だからこそ出来る。元議員や評論家の立場では決して実現出来ない。政策の実現こそが政治家の使命であるとすれば、それを実現するには選挙に拘(こだわ)り、それに勝つことしか残されていない。その道が如何に険しくとも、政治家たるもの常に勝たなけれならないのだ。
  私は何故、闘うのか、その答えはそこにしかない。