2020年

1月

17日

阪神大震災、私にとって。

  阪神大震災から25年目という。平成7年1月17日。その日の事、よく覚えています。2週間目だか、意を決して新幹線で神戸まで行きました、災害の現場を自分の目で確かめておきたかったのです。鉄道も、道路も、商店街も、住宅地も、何処も瓦礫の山で、人々もただ右往左往していたような気がします。
  その時、私は選挙に落選していました。私の頭の中は、四六時中、選挙のことばかりでした。小選挙区制度に変わり、遂に(神奈川県から)福岡県に転籍することを決意した頃でした。地震災害の跡地を半日余り、ただ無為に彷徨いながら、身体の奥からようやく燃えるものを感じていました。決して後戻りの出来ない決意に自信を抱くようになりました。

  その4月、遂に川崎の家をたたみ、太宰府に移り住み、全てを一からやり直しました。行った先の人々も、誰もが温かかった。かくして、今日の私がいるのです。

2020年

1月

16日

パーム油産業、マレーシアとの協力関係進む

  マレーシアではパーム油が国の一大産業として活躍しているが、その経済的側面と環境保護の立場にはまだまだ改善、改良すべき余地があるという。パーム油を絞った後の廃棄物がバイオ発電の最も有用な燃料となり得ること、さらにその品質と生産性を上げるには農地の土壌改良が必要であるが、日本企業はそれに役立つ「ゼオライト資材」を生産する技術があることなど説明する機会を与えられた。
  前日の政府関係とは別に、2日目には、パーム油生産業界としては「サイム ダービー社」、「マレーシア巡礼基金」、「連邦土地開発庁」など文字通りトップの3社、さらに国最大の耕地面積を持つ「パハン州農業開発公社」とそれぞれ意見交換をしました。いずれも国を代表する法人であって、代表者、経営者たちはいずれも経営思想も管理もしっかりしており、かつ立派な英語を駆使して、この国の将来はいよいよ確かなものであると確信しました。
  なお、私の個人的友人も何組か夜半に会いに来てくれて、私自身、益々の国際的使命感を感じたところです。

2020年

1月

15日

消防団出初式 (その 2)

1、 朝倉市 出初式
2、筑前町 出初式

2020年

1月

15日

マレーシアへの出張、「パーム油」とは

  所用でマレーシアの首都クアラルンプールに来ています。近時の東南アジア諸国の発展は目覚しいものがあり、マレーシアもその最先端で、街中の風景、高層ビル群と道路の混雑振りは、東京以上かもしれません。
  日本の企業グループとともに、地域原産の「パーム油」を原料とする燃料エネルギーと環境配慮の処理方法についてマレーシア政府との協議に出席しました。パーム油は日本では余り知られていないが、ここマレーシアではパーム油こそが単品では最重要の産業で、それをほぼ専門に扱う「一次産業大臣」らと綿密な交流をしました。日本企業もすでに実績を持っていますが、更なる結びつき強化を目指しています。
さらに環境政策全般につき「エネルギー・科学・環境省」にも出掛け担当次官とも意見交換しました。
  この国ではマハティール首相(94歳)の存在が大きく、また今日の両首脳とも女性であって、女性の活躍も特筆に値します。

2020年

1月

13日

台湾の総統選挙、民進党圧勝

  台湾の総統(大統領)選挙では与党 「民進党」の「蔡英文氏」が圧勝した。民進党は、台湾の独立をより目指す。(一方 、「国民党」は親中国の立場で、いずれは中国との同化を目指す。)
  蔡英文氏は史上最高の817万票(57%)をとり、また議会も民進党 与党が過半数を超えて53%を確保した。勝因には、根強い独立派の動き加えて、近年の香港、ウィグルなど人権問題が中国警戒論に輪を掛けた。米英日などが蔡英文氏に祝福したことを、中国当局は抗議した。今後中国は台湾の内政にも更なる圧力を掛けると表明している。

2020年

1月

13日

米・イラン危機

  米国とイランの紛争危機が複雑に進んでいる。最悪、本格戦争に行くのではないかと懸念したが、以下それは避けられそう。

  米国は1月3日、イランのソレイマニ最高司令官をピンポイントで殺害した。当然イランは国挙げての反米態勢を取り、イラク領土内の米軍基地を軍事攻撃をした。米軍には実質被害は起こらなかった。
  さらにイランは米国の再攻撃を予期して最高度のアラート(警戒態勢)を取っていたが、それがウクライナの民間航空「誤爆」に繋がり実に200人弱の人命を失う大事故となった。
  イランは結局「誤爆」の事実を認めたが、米イラン紛争の発端は、元来米国のトランプにありと非難をすり替えている。一方イランは、最高指導者ハメネイ師に対する非難まで出始めて、国内政治が不安定になってきた。
  民間航空の誤爆でイランが一方的に苦しみ始めたのを見て、米国は抑制的に対応する。日本を含む諸外国は、米イラン両方に軍事抑制、外交努力を強く求めており、結果的にその方向に進むのではないか。
誤爆ウクライナ航空機の多くの犠牲者は、国際紛争の煽(あお)りとは言え、最も不幸なこととなった。
  アメリカのイラン司令官のピンポイント殺害は、北朝鮮の金正恩を震撼させた。アメリカの「斬首作戦」の技術水準がここまで上がってきた、次は自分だという恐怖感は、今後の米朝非核化交渉にも影響しないはずはない、というのが情報筋の見方でもある。

2020年

1月

11日

消防団、出初式

  福岡市消防団の出初式。今年1年、市民の安心と安全と守るために、組織挙げての決意を誓います。外国からもたくさん見学に来ていましたが、それぞれの国には日本のような消防団(公的な消防組織とは別に自主、ボランティア的消防組織、)はあるのでしょうか。

 

  わが国の「消防団」組織は全国に張り巡らされています。全ての市町村、大小を超えて、それぞれ自主的な組織を作っており、その存在意義は極めて大きい。行政費に換算すれば莫大のものになり、国民は等しく彼ら消防団の崇高かつ犠牲的な行為に対して感謝と敬意を払わなければなりません。

2020年

1月

08日

自民党本部、仕事初め

  自民党本部での仕事初め。多くの議員が集い、新年の挨拶を交わしました。安倍総裁(総理大臣)も元気で今年に臨む決意を挨拶されたところです。その任期についてもまだ何年でもやるかの覚悟で、憲法改正や災害対策の話しをされました。議員同士、解散、総選挙のことが一番話題になっていました。

2020年

1月

04日

「さらなる精進で、再閣僚を目指す」。原田事務所の新年事務所開き。

  1月4日は毎年、原田事務所の事務所開きです。地元の多くの役員、後援会が集って頂き、年頭に相応しい力強い集会となりました。 私は挨拶に立ち、・ 昨年は環境大臣として、お陰様で大任を果たせたこと。自分なりに懸命に使命を果たす努力をしたこと。
・ 具体的には、CO2対策、石炭火力の抑制、レジ袋有料化、フロンガス問題、水素ガス開発、海洋プラスチック削減対策について解決策を出したこと。更に福島原子力処理水の海洋放出問題、鹿児島県馬毛島問題など全日本的問題を決着させたこと。
・ 自民党総務会長代理に戻ってからは、外交問題、高等教育問題でも積極的発言を心掛けていること
などを演説しました。

  併せて、私は自分なりに、政治的評価が高まっていることを自覚しており、これからは更に自らを高め、もう1、2回は「大臣職」を目指すことこそ、自分の政治生命に対する国民の皆様への責任であると言明しました。

  そのためにも、今秋には衆議院選挙が必至と言われているが、断固とした当選を果たしたいとして、出席皆様の激励拍手を頂きました。

2020年

1月

03日

天満宮で祈る

  1月2日、太宰府天満宮に初詣でしました。地元ですから、天満宮には行くことは多いのですが、正月三が日には久しぶりです。今日は天気よし、暖かく、風もなしということで見たこともないほど多くの参拝客が押し掛けています。人々にとって祈ることは多く、また今年はこの太宰府が元号「令和」の発祥の地となったこともあって、特段の人数になったのでしょうか。
  私も多くのことを祈りました。家族の健康と安全、家庭と仕事の繁栄、国と地方の繁栄、世界の平和と発展、さらにオリンピック、パラリンピックの運営、そして今年はいよいよ衆議院選挙が必至です。必勝を誓いました。
神様は必ず聴いてくれます。  私たちの祈りに必ず応えてくれるのが神様なのです。

2020年

1月

02日

元 日産自動車会長「ゴーン被告」の逃亡 (私の解釈)

  正月早々、日本を、いや世界を驚かせたのは元日産会長ゴーン被告の逃亡事件であろう。金融商品取締法や会社法違反のかどで起訴されていたが、例外的に保釈を許されていた。今回無断でレバノンに出国(逃亡)したが、これは海外渡航禁止という厳しい保釈条件を破ったことになる。裁判所は保釈を取り消し、彼自身にとって事態は深刻となった。
  そもそも日産とのトラブル、訴訟には、その計り知れない業績も含めてゴーン被告に同情すべき点が無かったわけで無い、司法手続きで公正に判断されるところであった。しかし逃亡事件で、過去の行動と実績、人格と人間性において信用を失い、司法による弁解の可能性まで捨ててしまった。日産の関係者からすれば、「ああいう男だったのだから」と、全て過去の関わりと決別できる、却って踏ん切りも付いた。
  身柄がどうなるか分からないが、追っ手が来るので、レバノンから一歩も出られない。万一日本に戻ればそもそも出入国管理違反の刑事事件から出直すこととなる。犯罪に上下はないが、「高度な経済犯」から単なる「逃亡犯」に成り下がった。実に哀しくも馬鹿な男になった。

2020年

1月

01日

元旦、一番機と富士山

  元旦の福岡発一番機。今年も良いことありそうな。
  皆さま、明けましておめでとうございます。

2019年

12月

31日

年末ご挨拶( その 2 )。原発処理水、馬毛島問題など

  9月10日、私は大臣退任の記者会見において「東京電力 福島原発の処理水は海洋放出しか選択肢はない」と発言しました。これは思いつきではなく、在職の1年間に、多くの専門家とも話し合い、また放射線量も小さく、原子力規制委員会委員長も認めておられた。いわゆる「風評被害」に対しては政府が補填する・・・。批判覚悟で発言すると、驚くほどの反響が起こり、マスコミも大きく取り上げ、韓国など外国も敏感に反応しました。が遂には今や政府をも動かして、今後はその方向で動く勢いです。「だれかが言わなければならなかった」と、不肖私が高く評価されるようになりました。

  11月30日にはいわゆる「馬毛島問題」が決着しました。政府(防衛省)と地権者との間で島の権利売買が正式に成立したのです。15年近く揉めてきた問題が一気に解決した背景には、率直、私が全面的に関わってきました。約1年半、私が密かに政府との調整、民事事件の調整を担いました。決着して1カ月経った今、既にその予算措置、具体的運用も始まっていますが、私は、ひたすら馬毛島問題の解決こそが、対米、対中国、北朝鮮などで国の防衛、安全保障上必須の要件であると信じていたことです。自分の行動が国政をかくも直接的に動かすとは、政治家冥利に尽きます。 (新聞記事)

  大臣職から自民党(総務会長代理)に戻ってからは、専門の外交安全保障問題に専心して、来年4月と言われる習近平国家主席の「国賓問題」を急先鋒で異議を唱えています。また党の特命を帯びて「大学英語入試改革」という文部科学分野にも取り組んでいます。

2019年

12月

30日

年末ご挨拶、お世話になりました。来年もよろしくお願い致します。

  今年も大変にお世話になりました。余りに多くのことを体験し、報告したいこともありながら、十分対応できませんでした。それでもこのフェイスブックを通じて、多くの皆様と交流できたことは、私の生きる大きな喜びと励みでありました。
  昨年10月からの「大臣職」は丁度1年続き、私の政治家人生に大きな自信と影響を与えました。大臣というものは、その組織の最高権力者であり、ほぼ何でも決められる、しかし組織の全ての責任者であって、決して逃げることは出来ない立場です。毎週2回の記者会見は国民に直接向き合って話していることで、自ら心身ともに鍛える極めて得難い機会でした。
  今年は「改元」の年でした。「平成」から「令和」という改元の歴史的瞬間に立ち会えたこと、それ以上に天皇退位と新天皇即位という国事、皇室行事に閣僚として立ち会えたことは、何より稀有な体験で、改めて身の幸せを感じました。
  環境大臣としては、全力を尽くしました。環境対策のグリーン化、パリ協定への取り組みのほか、石炭火力の抑制、炭素税導入への取り組み、フロンガス対策、海洋プラスチック対策、レジ袋の有料化、水素こそ究極の環境エネルギー、九州大学や東京工業大学との特別協定締結、動物愛護活動、新宿御苑の改革など、組織として、また政治家として懸命に取り組みました。また東京電力 福島原発処理水の「海洋放出」発言や鹿児島県「馬毛島対策」なども政治家として渾身の力を発揮したものであります。これらは日々のツイートと9月に出版した著書『環境対策こそ企業を強くする』に詳しく報告しています。

  新しい年が始まります。明くる令和2年におきましても、どうぞよろしくご指導お願い致します。皆様にとりましても最上の年となりますように。

2019年

12月

26日

日中会談、「国賓問題」に疑義。日中韓首脳会議。

  中国を場所にして、日中韓三ヶ国首脳会議が行われた。報道は物々しいが、特段に目立つものはない。
  習近平国家主席の「国賓問題」。安倍氏と習近平氏との会談で、新聞各紙には、安倍氏が、尖閣侵入問題や日本邦人の拘束問題に強く自制を要求したと書いてあるが、一方外務省が各議員事務所に届けた議事録には、そのやりとりは一切触れてない。穿(うが)った見方をすれば、習近平氏との実際の会談では専ら「歓迎、歓迎」を称えるだけで、尖閣問題など殆ど触れておらず、しかし、報道官の記者会見では「安倍首相が自制を要求した」類いの説明をしたとも考えられる。外務省の悪い癖で、私は外務省の担当(事務方)を電話で詰問したが、要領は得なかった。
  私は真剣に懸念しているのだが、国賓問題は本当にこのままでいいのかということ、アメリカや世界の国々、何よりわが国民が許すかということ。「国賓」と「来日」とは天地ほどの差がある。私は更に国の善処を訴えていくつもりである。

  日韓会談では安倍首相は「徴用工問題」で原則論を突っ張り、何ら妥協を見せなかったことは良かった。

2019年

12月

25日

インターネット情報のハッキング(盗聴) 対策研究会

  高度、複雑化した今日の経済、金融社会で、インターネットを使ったバンキング(銀行決済)やいわゆる仮想通貨、ビットコインなどの活動範囲が急速に広がっていますが、同時にそのハッキング(盗聴)やセキュリティ(安全管理)問題が切実になっています。大きな事故も起こっています。便利さと危険は常に隣り合わせです。
  私の周りには、それぞれの専門家が多くいますので、今回研究会を開催して、最先端の現状とこれからの対策などを講演しました。多くの企業、金融機関の人々が参加して活発な研究会となりました。なお私自身も最近では、この分野の研究会にしばしば出席しており、次第に理解が進んできたことを嬉しく思っております。   (場所 : 議員会館 国際会議場) 

2019年

12月

22日

中国、大連市の活力

  大連市に移動。「一方集団」と「万達集団」という中国の巨大経済集団が合同で開発中の 都市開発計画を見学しました。新しい土地に25万人規模の都市開発を目指す、医療、介護、環境、教育など未来の福祉社会とインフラ整備を創造するという、桁外れの発想と規模には圧倒される思いでした。およそ中国人の持つスケールには敵いませんが、何ら学ぶべきもの、また日本が手伝えるべきものを考えたものです。

2019年

12月

22日

中国要人との懇談、「尖閣列島への侵入を止めよ」

  寒い北京から、亜熱帯と言われる「海南島」に飛んだ。南シナ海に直面した中国南端の場所で、「中国国際友好連絡会 (友連会)」の会長「陳 元(ちんげん)」氏、副会長「辛 旗 ( しんき)」氏らと断続的に会談した。同組織はすでに長い伝統と大きな政治力を持った非政府組織で、陳元氏は、経済金融畑の最高位を歴任、革命時代の「陳雲 元国務院副総理」を父に持つ。
  政治、経済、国際問題など多くのことを率直に話し合った。私は来年4月に予定されているという習近平氏国賓問題を取り上げて「日本は国家主席の来日を心から期待している。しかし今日の日中間で、日本固有の尖閣列島に毎日のように中国の公船が侵入していたり、10名近くの日本人が明示の嫌疑なしに警察に拘束されており、これらが続く限り国民が習近平氏を歓迎することにはならない。中国にはこれらを直ちに止めて欲しい。」と言った。先方からは、尖閣問題には「政府間の高次のレベルで解決して欲しい」類いの回答をしながら、「関係所管には伝える」とした。

  海南島とは中国の隠れたる観光地で、鑑真和上に縁のある壮大な「南山寺」、さらに南端の中心都市「三亜(サンヤ)」を一望する「鹿の山」を楽しみました。

2019年

12月

22日

中国要人との会談

  いくつかの所用で中国に来ています。北京においては、先ず近郊の「通州市」まで遠出し中国の企業グループ「一方集団」本部事務所を訪ね、医療福祉介護を全体として管理する一大メディカル計画の説明を受けました。日本と同じく近い将来の超高齢化時代に備えた壮大な計画で、日本の有力企業との協力を模索しています。
  次いで、北京に戻り「故宮」を観光しました。「天安門」にまで連なる旧「宮廷」群につき室内で歴史的流れなどの説明を受け、さらにその荘厳なまでの建築を観光しました。零下5度。

2019年

12月

18日

英語「大学入試改革」で、私立小学校を見学

  懸案の英語「大学入試改革」では、私が自民党の検討会委員会の委員長をしていますが、その検討の一環として、都内の私立小学校( 「昭和女子大学附属」)を見学してきました。小学校2年生と5年生の2クラスの英語授業を実地に見学しましたが、遊戯的な要素を取り入れた工夫と合わせて、徹底したlistening ( リスニング 、聞き取り)で全て進められており、日本人教師が全て英語で話しかける、子供たちはほぼ正確に聞き取ってその指示に従う、という授業です。               英語教育の基本は先ず耳からの聞き取りが必須で、文字や文法など目から入ってくるものは後から着いてくる、という語学教育思想に依っています。私にとってはかなり衝撃的な体験でした。
  議員団と教師陣との意見交換でも様々な意見と回答が出され、大いに学ぶところがありました。これだけの英語授業は、やはりこの有名私立学校だから出来ることで、一般の公立学校ではとても難しいという印象は拭えません。
  自民党での私の使命(仕事)は、先ず英語の大学入試という極めて技術的、具体的な課題に対応することですが、しかし同時に、日本人の英語教育は本来どうあるべきかという根源的な課題にも対応したく、その回答作りは容易ではありません。今後中学校、高等学校、大学等々、場合によっては先進的な外国系企業等をも訪問して英語の教育、実践活動も視察したいと思っています。

2019年

12月

17日

日中ブロックチェーン協力を目指して

  いわゆる「ブロックチェーン」は世界の経済金融の新しい技術として発展途上にありますが、とりわけ日本と中国ではそのことを熱心に進めています。金融の国際化の中で、この技術手法をより加速しようと準備を進めています。               世界の環境対策や通商、交通、SDGsなどの振興のためにも有効という観点から日中民間での組織化を目指すことになりました。
  ブロックチェーンとは「暗号資産」、「仮想通貨」と言い換えられるように様々の特徴を持っており、国の規制や管理の必要性など未だ課題の多い分野ですが、取り組めばさまざまな可能性が生まれてきます。

2019年

12月

14日

英国総選挙、ジョンソン首相圧勝

  英国で長く続いてきたEU離脱問題は議会解散、総選挙の結果、保守党の圧勝で決着が付いた。保守党365議席、労働党203議席、与党保守党が過半数(326)を制し、文句なく離脱問題にけりがついた。
  まず春過ぎにジョンソン首相(党首)が登場した時は、元気だけは良さそうで、その破茶滅茶振りと、根回しなどしなさそうなこの国の議会運営には大いに驚いた。さらにいきなり解散総選挙を持ち出したジョンソン氏には危うささえ感じたが、結局解散を断行、そして今回の圧勝。結局これが政治指導者の生き様なのだと改めて感じ入った。
  EU離脱(Brexit) の国民投票から3年余、ゴタゴタ続きで、国民も大変だろう、日本の産業にとっても大いに関わりを持っており一日も早く事態が収まることを祈る。
  「大英帝国」と言われた昔の英国、その頃の政治家たちは今の後輩たちのドタバタをどう思っているか。

  どこの国にも政治の歴史と文化がある、わが国の政治は他国にどう見えているか。

2019年

12月

14日

もうひとつの クリスマスパーティー

  12月も半ばを迎え、世の中もすっかり、年末、クリスマスのシーズンです。東京でも地元でもすっかりそのムードで、おかげさまで何か所もパーティーの掛け持ちです。楽しくも賑やかなクリスマスソングを合唱したり。
ひとつは「大宰府市民合唱団」の楽しい音楽会でした。

  もうひとつ。筑紫野市の障害者福祉法人「はーとand はーと」のクリスマス会、私は欠かさず参加して、楽しい時を過ごします。障害の子供も大人も懸命に生きています。私はいつも挨拶では、「ご家族もご苦労されていますが、皆さんが幸せになれるように私たちが全力で守りますから、何でも言ってきて下さい。就職も出来るように努力しましょうね」と言いました。今日も日頃の稽古のクリスマス ソング、私たちも手拍子で合唱しました。「ソフトバンク応援歌」の余りの元気良さに、涙も出てきました。

  私はこの組織立ち上げの時から応援しています。障害者対策は政治の原点です。

2019年

12月

13日

習近平氏「国賓問題」、自民党総務会にて

  習近平氏の「国賓問題」について、自民党総務会においても正式に議論が始まった。衛藤征士郎議員(元衆議院副議長)がその問題点を指摘し、合わせて二階幹事長に党として慎重に扱うべきと提案した。次いで私が持論を展開した、曰く、わが国固有の尖閣諸島への日常の侵入や日本邦人の故なき拉致、南シナ海などへの国際法違反を見過ごしたまま、国賓として招き、天皇陛下に会わせるとしたら、米国は、世界中は、いやわが国民が許すとは思えない。来年3月、4月の政情を予測すると、非常に悲観的となる。かの米国アイゼンハワー大統領の来訪が中止されたのは1960年で、岸内閣がやがて潰れた。仮に国賓とするならば、中国側には徹底した改善を要求すべきである・・・。あと武見敬三議員ほかがフォローした。
  結果、自民党総務会としては幹事長、政調会長ら執行部が至急扱いを検討するとのことで終わった。
  引き続き党外交関係委員会が開かれたので、私がこの問題を提起して、議論を引っ張りました。

2019年

12月

11日

「吉野彰博士」、ノーベル賞受賞のことば

  「『研究者として環境対策をさらに追求していくこと』、『若い世代に科学技術発展の重要性を伝えていくこと』、この2つが私のこれからの『責任』です。」
  「研究は辛抱強く頑張っていれば、必ず成功に結び付きます。」

  (吉野博士の開発したリチウムイオン電池は、環境対策として進める再生エネルギーの活用を飛躍的に拡大するなどの効果をもたらします。)

2019年

12月

10日

「Asia Golden Star Award」(アジア・日本 優良経営者表彰)

  私は多くの国際的活動をしていますが、この「アジア日本優良経営者表彰」もそのひとつです。マレーシアの「ダトスリ財閥」の主導で、マレーシアを中心としてアジア各国に最も積極的に投資や進出した日本企業を表彰、側面支援するという活動で、今年はその3回目、私は当初から応援しています。
  華やかな大パーティの中で、私は「特別名誉顧問」を受けた上で、多くの受賞者に表彰状を授与する役も担いました。このところアジア諸国の経済活動は目に見えて高まっており、日本の協力が大きいことと合わせて、日本自体も決して安閑とは出来ないという印象です。
  私も国際活動を通じて、世界、とりわけアジア諸国への経済支援を強化したいと思います。

2019年

12月

09日

刑務所の大売り出し。刑務所見学で学んだこと。

  私の選挙区の直ぐ隣り、宇美(うみ)町にいわゆる刑務所があります。「福岡刑務所」。九州では中核的な刑務所です。毎年受刑者が手掛けた木工品、家具、民生品の一般売り出しが行われます。私も何年か振りに出掛けました。
  先ずは所長室に案内され、最近の諸事情を聞き、私もいろいろな話を致しました。次いでお願いをして所内を見学しました。実に広大な施設で、所長らは工場、工場と呼びますが、要するに受刑者がさまざまに作業する工場で、木工、機械、衣服、食品など殆どの業種が工場ごとに分かれています。整理、整頓。一般の企業の工場と雰囲気は変わりません(今日は休日)。ほぼ全館、受刑者の生活空間、職員の業務環境、屋上運動場も、屋内体育館も、身の引き締まるような講堂も・・・刑務所の中の人々の毎日がよく理解出来ました。
  最も普通と違うのが、凡ゆる廊下、部屋、窓、出入り口には厳重な金網と施錠が付けられていることです。ここには1200人の受刑者、職員600人、一大社会がここで営まれています。

  閉ざされた空間から外に出ると、賑やかな大売り出しがありました。多くの市民が年に1回、バーゲン場に駆けつけていました。商品はいずれも刑務所内で作られた素晴らしい出来栄えで、正直買いたい物ばかりです。「昔は桐ダンスなどがよく売れた、今は家が小さくなりアパートでは、タンスや抽斗(ひきだし)は余り売れません」、とは所長の説明。私は目指して、靴の売場に行き、ぴったりのものを履かせてもらいました。余りにぴったりで、そのまま履いて帰りますと言うと、店中歓声が上がりました。広い会場には若いタレントたち(AKB 48の妹分みたいな子)も慰問に来ていました。

  受刑の人々、これだけの立派な製品が作れるのです。一日も早く出所して、世の中で頑張って欲しいものです。

*** <懲役(ちょうえき)>

  刑法上の刑罰で禁錮、拘留と異なり労役、役務が義務付けられる。外国に無い、日本独自の制度とされる。この間、一定の作業が義務づけられ自立、厚生、社会復帰を目指し、労賃の貯蓄も行われる。

2019年

12月

07日

地元の中学校修学旅行

  地元の中学校が国会見学に来てくれて、私も心から嬉しく思いました。スカイツリーとディズニーランドにも行くそうです。しっかり勉強して下さいね、と送り出しました。

2019年

12月

07日

中国 山東省の経済使節団

  中国山東省の経済使節団が来訪して、日本との交流、日本からの投資促進を目指した大運動となりました。国(経済産業省)が迎えうつ形となりましたが、最初は私の事務所が世話するところから始まりました。中国の活力、バイタリティにはただ驚くばかりです。
  私も来賓代表として演説しましたが、山東省は日本の対岸にあり、人口も1億人、中国でも最も豊かな地域で、孔子、孟子、孫子など歴史の人々を生んだ地域としても有名です。中央政府が大きく肝入れしている理由も分かります。

2019年

12月

06日

嗚呼、中村哲氏!アフガンで倒れる。

  中村哲氏が、あれほど尽くしたアフガンの地で凶弾に倒れるという、絶対にあり得てはならないことが起こった。そのヒットマンとその背後を、ただひたすら悔やむのみ。
  中村氏は、福岡県の人で、結局彼はあのアフガンを福岡県のような土地にしたいと思ったのです。アフガンの河川工事を何本も仕上げましたが、その究極の原点が朝倉市の筑後川 『山田堰(ぜき)』と言われる特殊な河川工事でした。福岡県の人が多くアフガンに技術指導に出掛け、またアフガンの人々がしばしば朝倉市を訪れてきましたが、全て中村氏の指導によるものでした。私も何度か同席したものです。今年5月にも記念大会、(地元の石工で特殊工法を開発した「古賀百工(ひゃっこう)」の生誕300年祭)において、私は中村氏を前にして、先人たちの偉業と中村氏の世界規模の献身振りを讃えたところでした。実は最後に「君と私は中学校の同窓生だ。西南学院中学校(福岡市)で私が2年上」と言って、固く握手を交わしたところです。
  本当に惜しい、悔やみきれない事件でした。中村氏の遺徳を今後どう繋いでいくか、後世に大きな仕事を残されました。

中村哲「治安の回復には『100万発の砲弾よりも1本の用水路』」

※※ < 山田堰(ぜき)> とは筑後川は「暴れ川」として古代から地域を苦しめてきました。実に江戸中期17世紀半ばに地元の石工「古賀百工」と有志が立ち上がり凡ゆる困難と犠牲を乗り越えて特殊工法を開発、遂に筑後川の氾濫を抑えました。河川の遺構は今もなお現役で、地元朝倉市が誇る豊かな農地田園こそこの「山田堰」に依るところが大きいのです。

2019年

12月

05日

「英語教育」を見直す。自民党委員会 委員長として。

  この秋、大学入試にかかる英語試験の方式について、大きな社会問題、政治問題が発生した。萩生田文科大臣が、予定された統一試験の実施を延期するという決断でとりあえず終結した経緯がある。自民党では先ず問題点を検証して本格的対案を作ることとし、私がその検討委員会の委員長(「作業チームWT・座長」)に指名された。
  英語は国際活動には必須の素養として、「読み」「書き」のみならず「聴く」「話す」の4領域を、従来にもましてバランスよく修得することが必要となった。それを大学の入学試験で活かすためには出題から指導、採点まで複雑となり、より専門的な民間試験団体の活用、指導教官の育成など検討課題も多い。それら課題を抽出し、整理し、将来の英語教育への指針を作るとなると相当な努力と調整力が必要となる。大仕事である。
  私は座長として「英語教育の将来を決めるこの委員会においては、入学試験をどう運営するかという制度論、技術論と合わせて、英語教育は本来どうあるべきかという基本議論をしなければならない。さらに入学試験がどうなるかに悩みながら、今日も日夜受験勉強に直面している受験生、保護者のことも忘れてはならない。」と挨拶しました。

2019年

12月

02日

遂に解決、馬毛島(まげじま)問題

  鹿児島県の「馬毛島」では深刻な議論が続いてきた。この小さな島は20年近く、国と地元地権者らとの売買問題が縺(もつ)れに縺れ、なお解決の糸口は見えなかった。国 (防衛省) は、ここを日本の安全保障、日米防衛作戦の要衝として買い取ることを強く目指しており、日米安保の態勢の維持強化の観点からは、一刻も早くその解決を急がなければならなかった。一方地権者はその権利行使には民事的、経済的困難を抱えていた。
  この度の懸案決着、「全島、一部留保、160億円」は、国も、多分米国も、地元も、そして地権者も、長く待ち焦がれたもので、高く評価されて然るべきものと言えよう。

  実は、本件には私も深く関わってきた。もう1年半にもなるか、その地権者が知人とともに訪ねてきた。「T氏」は、窮状を懸命に訴えた。25年以上にもわたって馬毛島の開発に努め、その後に国との調整が始まり、難航し、混乱の極みにいることを切々と訴えた。実にこれが私と馬毛島問題との発端であった。爾来何度にわたって密室に籠もり、議論し、検討し、解決策を見つけようとしたか。そのうち私も大臣となったりしたが、内輪の検討を休むことはなかった。ただ、最大の課題は、相手方(国)の窓口がはっきりしなかったこと、当方に関係取引先とで多くの民事的紛争、訴訟を抱えていたこと、債務支払いの取り立てや経営破綻の危機が日常にもあったことが事態を複雑にしていた。

  私の役割は、多分大きいものがあった。政府側との調整を密かに続けた。さらに当方の抱える身内や企業との民事紛争には、私の民事知識が役に立った。かくして、今年も10月になり11月を迎え、収束への雰囲気が高まってきた。いくつものヤマを迎え、それが去り、あゝもう永久に解決はないのかと絶望を繰り返したこともあったが。そして11月29日金曜日、両サイド弁護士、「T氏」ら当事者の懸命の理解と譲歩によって、遂に決着したとの速報には、私も万感、しばし茫然となったものである。

  それが少しでも国家国益に繋がるのなら、私も良いことをしたと自分を褒めることになる。

2019年

12月

01日

中曽根康弘元総理、逝去

  中曽根元総理が亡くなられた。戦後日本にとって最も偉大な指導者のひとりで、戦後の保守政治を確立したという表現に象徴される。
  われわれ自民党の政治家にとっても特に重要かつ大きな影響力を残された。私ももちろん直接にご指導受けた。一番の親友 柳本卓治君(元参議院議員)が終生、中曽根先生の秘書役を務めていたこと。また私が選挙区を神奈川県から福岡県(現 太宰府市など)に替えた時、当選してご挨拶に伺った。 「難しいところ、よく頑張った」と心から褒めて下さった。
  この夏参議院選挙の応援に群馬県(高崎市)に立ち寄った。先生の設立した私塾『星雲塾』を訪問して、改めて先生の想いの大きさを感じた。(写真はその日に書き遺した日記)
享年101歳、大往生の人生、心からご冥福をお祈り致します。

2019年

11月

29日

石炭火力発電、抑制への動き

  地球温暖化や異常気象、最近の環境問題はもはや他人事ではない、環境政策は今や最も重要な国家政策である。その中で「石炭火力」の抑制はとりわけ重要と言われており、わが国の国連はじめ国際的位置づけも重要で、「環境先進国」を維持するためにも、さらなる具体的施策、具体的行動が必要である。私も努力してきたつもりだが、後任の小泉環境大臣にも持てるパワーを全開するよう働きかけている。

2019年

11月

27日

香港の区議会選挙、民主派圧勝

  世界注視下で香港の区議会選挙が行われ、いわゆる民主派が8割の議席を取って、親中派を圧倒した。この地域では首長選挙などは事実上の任命制であって、本当の民主的選挙は区議会選挙のみとされている。香港の執行部、それ以上に中国本体が受けた衝撃も大きく、今後この国の政治態勢、民主的選挙のあり方についても大きく影響するものと考えられる。

2019年

11月

26日

台風19号被災地、衆議院委員会 視察

  10月中旬に起きた台風19号は東北地方に大きな被害をもたらしましたが、今日(11月25日)には衆議院「災害対策特別委員会」(委員長代理)として、福島県郡山市、本宮市、宮城県丸森町を現地視察しました。事前の学習や報道で予備知識はありましたが、現実に現場を目の当たりにすると、改めて自然災害の大きさを実感しました。これら両県は東日本大震災を経験した所でもあります。私も2年半前の地元 福岡県朝倉市、東峰村豪雨災害を二重写しに思い出しました。3市町ではそれぞれ意見交換、見舞金授与、記者会見などをこなしました。

2019年

11月

24日

GSOMIAと「基地開設60周年記念」

  航空自衛隊 「春日基地開設60周年」記念式典が行われた。広場においては晴天の下、精強な軍事訓練演武が披露された。
  式典では挨拶に立ち、「・・・期せずしてGSOMIA(日韓軍事情報協定)の延長が妥結した。韓国政府の決断には心から敬意を申し上げるが、この裏に日本政府とアメリカ政府の言葉に尽くせぬ努力があったことを忘れてはならない・・・」と演説しました。一方韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領は、やはり「弱腰」と非難されているらしい、韓国の政治も難しい。

2019年

11月

23日

千客万来 (その 2)

  ④ 『世界愛犬連盟』の執行部。日本は虐待防止活動ではまだ世界に後れています。私の愛犬、故「福ちゃん」の思い出板も参加。

  ⑤ 『志(こころざし)プロジェクト』の皆さんと本年度優勝の「ありな(愛凛七)さん13歳」。

  ⑥ 国土強靱化、国道整備の強化について意見具申、福岡県市町村長ら。

2019年

11月

23日

おかげさまで、千客万来

  ① 来年度の農業政策に向けて陳情。福岡県 農業指導者たち。

  ② インドネシアから、看護、介護関係者。女性はイスラム教のスカーフです。明るく賑やかなところは、日本の女性と同じです。

  ③ 東京の手伝いでお世話になっている大学生たち。彼らこそ、政治の主役。行きつけ、赤坂『タコ部屋』店にて。

2019年

11月

22日

習近平氏、「国賓来日」(その2)

  私は、一昨日の自民党総務会に続き、今日は「麻生派」昼食会において、習近平氏「国賓来日」につき発言しました。曰く「日中間は基本的にうまくいっているが、尖閣諸島、東シナ海ガス田等多くの現実的な安全保障問題が多発している。政府が外交を決める前に、自民党としての危機感をしっかりと発表すべきである。国民はどう思うか、アメリカはどう思うか、第三国はどう思うか。私のメールは国民の怒りで炎上しています。みんなに真剣に考えて欲しい・・」。前週には、武見敬三議員が同趣旨を発言しています。

2019年

11月

21日

安倍首相、在職歴代1位

  安倍晋三首相が在職2887日を超え、『桂太郎』氏を抜いて歴代1位となった。これを新聞、テレビなどが一斉に扱い、「安倍一強」など(不思議に)否定的な論調も多い。以下は、私が最も優れていると思った新聞記事。

  「安倍首相は同じ山口県の『桂太郎』を抜いて歴代最長となった。野党をはじめ「長期政権の弊害」ばかり論ずる人が多いが、政治の安定、外交の継続性、長期政策の実現など、今われわれ日本人は素晴らしい時代にいる。安倍氏に長期政権を託したのはわれわれ国民であり、それこそ民主主義の正しい実践そのものであって、周りの国を見ればすぐ分かる。
  たしかに在任期間が長ければいいというものではない、大事なことは何を成し遂げたかである。戦前3度内閣を率いた桂太郎は、日英同盟締結、日露戦争勝利と大きな実績を残した。比較的地味に扱われているが、往時の軍人、山縣有朋、乃木希典、東郷平八郎らの派手さと抗いながらの政権運営、人心掌握は、今とは全く違う苦労があったに違いない。
  安倍首相にとって、日露戦争勝利に匹敵する実績といえば「憲法改正」しかないだろう。それを成し遂げて初めて桂太郎を超えたことになる・・・」 ( 11月20日「世界日報」コラム )

2019年

11月

19日

習近平氏の「国賓」来日、これでいいのか

  来春に予定されているという中国習近平主席の「国賓」来日について、日中間のさまざまな現実問題を見過ごしたまま、祝賀ムードだけで良いのか。
  自民党総務会において、私は発言した。「日中間は今、非常に良い関係にあるといわれており、日韓間が困難だけにことさらその感が強い。ただ祝賀ムードだけで良いのか。ほぼ連日、尖閣列島への侵入が続き、東シナ海ガス田は解決が見えず、南シナ海はアジア安全保障上最大の火種、日本人の失踪さえ起こる。香港やチベットなど中国の内政問題に口出せとまでは言わないが、日本との間でこれだけ現実のトラブルがありながら、それを国賓として、天皇陛下にまで会って頂く。わが国民はどう思うか、アメリカはどう思うか、世界中の人々はどう思うか。まずは自民党として、政府に対しその是非を問い、中国には正対して抗議すべきである・・・」
  自民党総務会。自民党組織では、最高、最終の組織とされる。私は、満を持して発言した、これだけの外交案件となれば十分な時間こそ必要で、時間切れこそ避けなければならないからだ。
残念ながら、今日の総務会では反応はなかった。

2019年

11月

18日

盲学校 (その2)

  この盲学校は110年の歴史を持っています。実に明治時代から、わが国は盲人、聾唖者(ろうあ者=聴覚不全)を擁護してきました。十分かどうか、わが先人たち、指導者たちが、少なくともその意識で懸命に努力してきたことには、心から誇りを覚えます。
  校長室には2つの写真が掲げられています。あのヘレン・ケラー女史、もう1つは「貝島嘉藏」氏、貝島氏は地元福岡県の石炭実業家として大変に有名な人。大きな財を築かれて、その多くを福祉事業に尽くされた (ことは初めて学びました。)

  「開校110年記念式典」は予定通り、整然と進んでいました。ただ途中で気付いたこと、全く拍手がないことです。あたかも拍手することが許されないような、重苦しい雰囲気でした。

  私は意を決して立ち上がり、後ろの来賓席に向かって大声を掛けました。「今日はお祝いの式典です。大きな拍手で激励してやりましょうよ。」それがきっかけか、次第に拍手は広がり、最後の生徒代表の挨拶には、会場万雷の拍手で応えました。

  盲学校と言っても暗くなる必要はない、大いに盛り上げて元気付けようではありませんか。

2019年

11月

18日

盲学校で思ったこと

  光を失った子、光を知らない子、に出会って私は涙を止めることが出来なかった。どんな世界に生きているのか。真っ暗な世界なのか、希望はあるのか。
一方、私は今、明るい光の中にいて、こんなに幸せでいいのか・・・

  地元の盲学校「福岡視覚特別支援学校」の「開校110周年記念式典」が行われました。幼児から中学生まで多くの子どもたちが出席していました。校長やPTAや来賓の挨拶が進む、その都度生徒たちは立ち上がって挨拶します、元気よく。最後に生徒代表が挨拶します、感謝に溢れた、立派な言葉で挨拶しました。

  続いて生徒たちによる生活発表。男の子と女の子2人の発表では本当に泣きました。「お父さん、お母さんにはいつも抱かれていました、自分はお母さんのお手伝いすることが一番嬉しいです。今は杖を使ってひとりで遠くに出かけるようになりました。買い物にも行けます。大きくなったら、支援学校の先生になります・・・」

  続いて賑やかな舞台に変わりました。ドラムの演奏、コーラス合唱、決して上手ではありませんが、本当に懸命に歌います。校歌もまた心を大きく揺さぶります、「光」や「夢」、「明るさ」と「希望」、生徒たちにとっては本当にすがるような言葉に違いありません。

  盲学校こそ、政治の原点が詰まっています、弱き人、悩める人たちをどう支えるか。

2019年

11月

17日

福岡県 「八丁トンネル」開通。『原田トンネル』?

  福岡県朝倉市と嘉麻市を結ぶ国道322号線八丁峠道路(「八丁トンネル」)が開通した。地元の期成会が出来て20年以上、工事に掛かって13年、大工事であったが、福岡県の道路トンネルとしては最長(3.8キロ)で、北九州から久留米を直結する縦断道路。その開通による地域的、経済的、社会的影響は計り知れない。雲ひとつない秋空の下、嘉麻市での式典、テープカット、地元芸能、通り初め。場所を替えて朝倉市で懇親会が行われ、大変思い出深いものとなりました。

  追 ① このトンネル開発は、元県会議長「吉原太郎氏」が終生取り組んでこられ、今日は未亡人らが遺影とともに出席された。2年前、トンネルの貫通記念式の際、私と2人で意気投合、このトンネルの実質提案者「佐藤信秋氏」(現 自民党参議院議員、当時 建設省道路局官僚)を招いて感謝の飲み会を開こうと約束しました。その約束は最早果たせないまま、佐藤氏には今日のことを報告します。後日 飲み会を実行し、天上から吉原先生にも参加して貰おうと考えています。
  追 ② 実は、私は、嘉麻市(旧山田市)で生まれ、現在は朝倉市を活動基盤としています。私は挨拶の中で「私事で大変恐縮ですが」と断ったうえで、「私にとっては、嘉麻市と朝倉市という2つの故郷を結ぶ特別のトンネルとなりました。」と広言して、人々の笑いと拍手を頂きました。散会後、「言ってみれば『原田トンネル』だね」と冷やかされた(蔵内勇夫 自民党前県連会長)のには参りました。

2019年

11月

15日

天皇陛下への謝辞記帳

  大嘗祭を前にして、私は皇居にひとり参内しました。大臣を辞して2ヶ月、この間大臣職に対するご慰労を込めて天皇陛下より小型金盃を賜りました。ついては慣例に従い、私は年長の故をもって、他の大臣を代表して参内、「賜物御礼」と銘打ち、陛下への謝辞の記帳をして参りました。身の引き締まる瞬間でした。

2019年

11月

14日

『九州 国道整備決起集会』、九州はひとつ、頑張ろう!

  表記の集会が早朝に行われ、九州各県 市町村長らが一同に揃いました。道路整備の重要性は言うまでもなく、未だ九州には遅れたところが多く残されており、また近年の熊本、朝倉、佐賀などの豪雨災害の跡地は復旧途上でさらに緊急対策が必要、また昔にあった「道路特定財源」こそ目指すべきという意見も発表された。「武末(たけすえ )那珂川市長」の顔も見えます。最後は全員の「頑張ろうコール」で閉じました。
  例年今の時期は自民党の予算編成を前にして、地方自治体の陳情、要望活動が集中して、霞ヶ関、永田町界隈はいつになく活気に溢れています。議員事務所も地元関係者の応接に懸命です。

2019年

11月

11日

韓国全国紙『東亜日報』でも「処理水問題」報道

  私の「福島原発 処理水」発言は、韓国でも有名になっており、韓国『東亜日報』も記事に取り上げました。9月発言の当初には随分とニュースとなりましたが次第に理解が進み、最近では必ずしも悪い報道ばかりでないと言われています。
  「彼は国務大臣、国会議員、政治家として責任を持って発言した」と取材した通り正確に書いてくれていることは良かったと思います。
  日韓関係はこれでいいはずはない、いずれか早い時期に回復することを強く望みたい。

2019年

11月

10日

天皇即位、大祝賀パレード

  素晴らしい秋空の下、東京では「祝賀御列の儀」が行われ、国中にお祝いと喜びの輪が広がりました。私も是非参列したかったのですが、地元行事と重なり、地元での移動車内でしっかりとお祝いしました。日本人と生まれたことの幸せを改めて感じました。

2019年

11月

09日

早稲田大学、わが「準 」母校

  学園祭の早稲田大学で講演をしました。「人物研究」という小さなサークル(40人くらい)でしたが、私にとって若い人と話すことは大変有意義でした。私の生きてきた道、政治、経済、憲法議論、外交問題を話し、質疑の中では「LGBT(性的少数者)」や「表現の不自由展」など難しい話も出ました。
  なお私は昔、司法試験の受験中、東大は学園紛争中だったので早稲田大学に通って勉強していました。
  また早稲田大学創設の大隈重信侯は佐賀県出身、慶応大学創設の福沢諭吉侯は大分県出身、私の福岡県からは国士舘大学創設の「柴田徳次郎」侯がおり、九州北部3県こそが日本の大学発祥の地であると自説を展開したところです。

2019年

11月

08日

千葉真一、芸能60年

  往年のアクション スター千葉真一さんの「芸能生活60年、80歳誕生日 」記念パーティーが行われて、私も招待を受けた。千葉真一といえば激しいアクションで、大人気のほか、よく怪我をしないものだと思っていた。私も真似して、皆んなを笑わせてこともあった・・
  我らの千葉真一に今の若い人の馴染みはどれほどか。私ら、日頃パーティーは多いが政治がらみばかり、さすがに芸能人のパーティーは趣きが異なり、感心することしきり。1000人の客、映画技術を駆使しての演出で、千葉真一の半生がよく分かった。自ら学校を創り多くのアクションスターも育てたという。千葉は、高倉健、大山倍達(空手家)、深作欣二(映画監督) 3人を「生涯の師」と呼び挙げ、泣いた。(最後に北島サブちゃんもお祝いに)

2019年

11月

07日

発展する、テンプル大学

  アメリカに本部をおく「テンプル大学 日本校」(Temple University Japan TUJ)は、今国内でも非常にユニークな国際大学として発展しています。この大学がこの日、東京の雑居ビルから、晴れて独自の校舎を持つキャンパスに移りました。厳密には「昭和女子大学」の一部を借り受けて本格的態勢を整えたということで、日本の国際教育にも大きなステップを加えたものと評価すべきものと思います。
  もう何十年も前、我が国には多くの外国系大学が進出したことがあります。しかし色々な理由で、(多分文部科学省の規制が厳しすぎたのが一番の理由と思うが、)結局全部撤退して、今唯一日本にきちんと残っているのがテンプル大学といえます。当然並大抵の大変な苦労と努力があったものと思います。例えば、学生の通学学割が外国大学には認められてなかった、なぜなら日本の大学基準に沿わないから。また消費税負担の問題、校舎の管理問題など、日本の政府、政治といちいちうまくいかなかった。その際、何故か細田博之代議士と私とで、相談を受け解決してきた経緯があります。今回の移転も、2人で協力したものです。
  実は私は同大学の学長ブルースさん(Bruce Stronach)とは本当に古い友人で、ともに30代前半、私がボストンのTufts大学Fletcher大学院に留学していた時、指導教官に指示されて2人でMichigan州の日本企業への現地調査に出かけたことがある(2週間くらい)。爾来ずっと兄弟分として付き合い、彼は遂に日本に住み着くようになり、そして横浜私立大学学長を経て今日、TUJの学長を務めるようになったのです。
ブルース君と会うたびに、あのミシガン湖の寒村で勉強した日々を思い出すのです。

2019年

11月

06日

< 参考> 5月27日分 日記

トランプ大統領との会話、瞬時に「global warming !」

  トランプ大統領の来日は、その存在感故に国中の耳目を一身に集めました。世界の政治指導者であり、この人とどう折り合うかは、国としても現実の問題であります。(好悪は別として、)政治家としても大いに考えさせられる3日間でした。

  長い列、人混みの中で、ようやく私の番が来ました。直面すると、190センチ、100キロ以上の体格にはさすがに圧倒されます。テレビで余りに馴染みの顔で、初対面とは思えません。人懐こい。 

  私は自分を「環境大臣です」、と紹介して、「お会いできて光栄です」と型通りに挨拶しました。彼はいきなり「global warming (地球温暖化)は重要だ、global warming は国際的に協力しなければならない。」と返しました。続けて「中国は難しい国だ。」と加えました。私は、「日本とアメリカこそが力を合わせて頑張らなければなりません」と結びました。早や、別れですが、握手はグローブのような大きな厚い手でした。

  瞬時の会話でしたが、トランプ大統領が環境問題、地球温暖化に強い関心を持っていることが分かりました。それ以上に、私が「環境大臣」と言った途端に「global warming 」と返ってきたその反応の速さには、内心驚きました。(失礼ながら、)これはやはり、ただ者ではない、と思った瞬間です。中国への拘りにも驚きました。

2019年

11月

04日

米国、「パリ協定」から離脱、「愚かな指導者」よ

  米国が遂に環境対策の国際協定「パリ協定」から離脱することを正式に通告、効力は1年後になる。「パリ協定」は今や温暖化規制、環境規制の象徴(シンボル)としても大事なもので、その成立には米国こそが最も努力したという。トランプ大統領の政治的、選挙対策判断でこの決定になったと専ら言われるが、なんと「愚かな指導者」かとしか思えない。
  環境大臣在職中、私は米国関係者と国際会議の都度、脱退しないように要請したが、彼らは一様に言葉を濁して悩んでいた。
極め付けは今年の5月27日、トランプ大統領が天皇即位後の国賓来日の際、私は対面して直々に挨拶をした。私が「日本の環境大臣です」と自己紹介した途端、大統領はいきなり「global warming (地球温暖化)」の言葉を2、3回連呼で返された。私は大統領の予期せぬ反応と環境意識に、ひとり強い安心と自信を感じたものであったが。

  本当に残念である。地球温暖化は決して緩めてはならない。米国がいずれ早い時期に協定復帰することを祈りたい。グレタ・トーンベリさんの怒りを忘れてはならない。

2019年

11月

03日

「レジ袋の有料化」と私の決意

  「レジ袋の有料化」がいよいよ本格的に動き出した。環境省と経済産業省、合同の協議会を通じて、来年7月、オリンピックを直前にして実施する方針とし、そのための細則、産業界や消費者との意見調整、法的整備などを急ぐこととされた。
  プラスチック廃棄物が地球上の海洋を汚染しているという危機感から、今年6月のG20環境大臣会議、首脳会議はほぼその対策に追われました。その中でも「レジ袋有料化」は必要でかつ有効な手法として挙げられていたもの。

  なお、敢えて言うなら、「レジ袋有料化」は、この私が大臣主導で決定したものです。世界中では何カ国もすでに実行していること、さらにわが国では富山県が先行実施していることを学習した上で、私は、6月3日に記者会見を開いてその方針(「富山県方式」に準拠する旨)を明らかにしたものです。大臣というのは非常に強い権限を持っており、政治的責任を取る覚悟さえあれば、ほぼ何でも決断できる強い立場にあります。強い決意で臨んだこと、それ故にその後もしっかりフォローする責任を持つことを感じたものです。

2019年

11月

01日

猫の「ジャンヌ・ダルク」総裁から感謝状

2019年

11月

01日

『これでいいのか、日本!』で自由討議

 「ラジオ日本」の『これでいいのか、日本!』。政治評論家「清水勝利」さんのレギュラー番組で楽しく議論ができました。環境問題、少子高齢化(とりわけ少子化)問題、外交安保、経済政策、柳井 正(ユニクロ)会長の警告、政治家の役割、原発処理水問題・・・テーマはあまりに多岐にわたり、些か焦点は散りましたが、清水勝利さんの「政治家は全て(議論ばかりでなく)結果を出さなければならない」との主張には押され気味で、私も今後一層心掛けようと思いました。

(注)『柳井正 警告』とは。日本は平成30年間に国際的に経済的地位を大きく落としてきた、このままでは日本は消滅する、過去の成功体験から脱却して、国内態勢、意識改革、外国人の登用、GAFAへの挑戦、ボーダレス産業の育成などを急がなければならない・・・という警世の言葉。

2019年

10月

30日

緒方貞子さん逝く。「国際益」と「国益」のこと。

  元国連高等弁務官、元JICA(国際協力機構)理事長の緒方貞子さんが亡くなった。外交安全保障分野では重要な役割を果たし、戦後日本の平和外交を象徴するような人で、「難民支援」の代名詞でもあった。政府の外交議論にはいつもどこかで見え隠れされた。

  自民党にも来られたことがある。確かJICAの理事長であった。大会議室で経済援助、難民支援について熱の籠った講演をされた。その時何度も「国際益」という言葉を使われた、途上国への援助こそが、回り回って、日本のためにも役に立つという脈絡であった。緒方さんの思想と哲学そのものであった。
  後半質疑に入った時、私は一番に手を挙げて、敢えて発言しました。 「国際益」という言葉は初めて聞きました、大変に尊い言葉です。ただ「国益」を踏まえての「国際益」でなければならない、如何なる経済援助にもそれが日本の「国益」に繋がるかを考えることも必要だと思います。
会議場は一瞬凍りつきました。若き時代の、緒方さんとの思い出です。

  享年92歳、本当にご苦労様でした。ご冥福をお祈り致します。

2019年

10月

29日

AFS 留学制度 65周年記念式典

  AFS (American Field Service )という組織が日本の高校生を対象にアメリカへの留学制度を発足させてから65年が経ち、その記念集会が東京オリンピック村で行われました。多くの関係者、現在の若い留学生も含めて400人ほどが集まりました。
  私も実はその9回目のプログラム(1962〜3年)でアメリカに渡り、最も多感な高校生で1年間の貴重な外国体験したのです。今日は私も先輩、来賓として呼ばれ、昔の思い出とこれからの期待を挨拶させて頂きました。(『ヨッシーが町にやって来た』に詳しい。)

  American Field Serviceとは、第二次世界大戦で欧米諸国、とりわけヨーロッパ戦線で多くの犠牲者を出した反省から、戦後の復興、国作りの過程で、人々の平和的交流、とりわけ若い人々を積極的に交流させることが 重要とされた。アメリカを中心にその運動が展開され、高校生の留学制度として成立した。

  私は、いかにこの所期の理念が尊くも正しいものであったかを身をもって感ずるものであります。日本から外国に2万人以上、外国から日本に8000人くらいがすでにこの制度で交流しています。

2019年

10月

26日

天皇陛下 「饗宴の儀」

  多くの国会議員らとともに「天皇陛下即位礼」に続く「饗宴の儀」に出席しました。宮中「豊明殿」と言われる大広間での会食ですが、その全景、舞台付けには圧倒されます。皇族、安倍総理、三権の長ほか3〜400人の盛会で、この場に参席出来る幸運をしっかり心に刻みました。
  天皇皇后両陛下は、この「饗宴の儀」を4回にわたって主宰される(今日は第2回目)ということで、本当に大変なことと拝察します。大切な国事であり、心から感謝とお労いを申し上げます。

2019年

10月

25日

元太宰府市長 「井上保廣氏」を悼む

  元太宰府市長 井上保廣氏が急逝されてただ驚き、大きく落胆しています。平成19年から2期8年、市長を務められた。直情径行、物事を何事もきっちり処理する性格で、地域のためには本当に多くのことを遂げられた。九州国立博物館も仕上げられ、今日で開館から15年を迎えますが、すでに1300万人を超す来場者を数え、国内のみならず東アジアでは最も活発な博物館と評価されています。平成20年12月には麻生太郎首相が率いる日中韓3カ国首脳サミットも開かれて太宰府に国際政治の歴史を刻みました。
  井上氏は全国遺跡保存市長会会長としても全国を駆け回りました。また平成23年3月の東北大震災では、姉妹都市 宮城県多賀城市には特別に援助協力態勢を組み、大いに感謝されていると聞きます。
  なお私とは政治的にも行政的にも軌を一にしており、当然ながらお互い緊密な情報交換に務めてきました。ここで同氏を突然に失ったことの無念さは大変大きいものがあります。平成27年、市長3期目の選挙では、われわれの油断もあってつい不覚を取ったことは今もって心残りであり、せめてはそこから貴重な教訓を得たこととなっています。
  井上氏のご冥福を心からお祈り致します。

2019年

10月

25日

「励ます会」(東京大会)、大盛会、有難うございました。

  恒例の「原田君を励ます会」(東京大会)が開かれ、本当に多くの方が応援に駆けつけて頂きました。大枚(会費)を叩いてのご参加には心苦しくも思いますが、これからそれに相応しい活動でこそ応えなければなりません。環境問題もライフワークとして取り組みます。
  今日は麻生太郎財務大臣、河野太郎防衛大臣、小泉進次郎環境大臣、田中和徳復興大臣を含む多くの来賓から力強い言葉を頂き、勇気百倍、大臣期間に控えてきた政治的言動も今は自由に解き放たれて闊達に行います。内外多くの珍客もあり、私はまだまだ「発展途上(!)」ということを改めて自覚したパーティでした。

2019年

10月

22日

キルギス共和国 大統領とともに

  中央アジアの「キルギス共和国」とは、私も殊の外強い関わりを持って、議員連盟の副会長も務めています(会長は中谷元 元防衛大臣)。「天皇即位礼」の後、議員連盟として茶会を催し、ジュエンベコフ大統領らと親しく懇談しました。未だ貧しい小国で、中国、ロシアという大国に挟まれながら、日本との絆を大事にしてひた向きに生きようとする大統領の一言一言は胸打つものがあります。経済支援、地域開発など、日本のやるべきこと、議連の課題もたくさんあり、懇談は大いに有意義でした。私の発足させた「日本・中央アジア環境大臣会議」についてもしっかり発展させようということになりました

2019年

10月

22日

天皇陛下「即位礼正殿の儀」

  10月22日、天皇陛下「即位礼正殿の儀」が厳かに行われました。宮中では外国元首ら、政府要人らとともにわれわれ議員団も古式豊かな儀式に出席することが出来て(約2000人)、またとない光栄な瞬間でした。私は平成2年の「天皇即位礼」にも出席しており、身の幸運を改めて感謝しています。雨の中ではありましたが、儀式も滞りなく終えて、いよいよわが国も若き天皇とともに新しい時代を進むこととなりました。

2019年

10月

22日

エルサルバドル副大統領を迎えて

  いよいよ明日は「天皇即位礼」で国内では興奮が高まっています。世界各国から元首を含む要人来賀が続いています。中米の「エルサルバドル共和国」のフェリックス・ウジョロ副大統領が来られたので、議員連盟(会長 原田)として歓迎会を開きました。同行のベネキ外務副大臣、在京のマルタ・セラヤンディア大使ほか、当方 議連の林幹雄 党幹事長代理、大野敬太郎 議連事務局長 出席。
  同国と日本は外交関係85年と長く、繋がりはもっと古い。
会食は大変楽しいひと時でした。同国は中南米の中で、親米関係を貫いていますが、対メキシコやベネズエラ、対中国、また移民問題、パナマ運河問題、環境問題など難しい問題に囲まれており、何処の国も楽でない、一方日本には一層の協力強化をお願いされたところです。

2019年

10月

20日

船上での友人喜寿のお祝い

  川崎市時代の親友で公認会計士 「増山雅久氏」が喜寿(77歳)となり、皆んなでお祝いしました。東京湾を走る遊覧船の中という洒落た場所で、本当に楽しいひと時でした。増山氏は事業を手広く進めており、大阪や東京、神奈川の同業者、経済界など厚く幅広い人脈で、彼の人柄が偲ばれます。変わり種には(田中角栄元首相の孫で)同業の「田中雄一郎氏」もおりました。ご家族や従業員を非常に大事にしていることも見て取れます。
  私とは青年会議所(JC)仲間で、選挙に出る時にはどれだけ世話になったか、会えば直ぐ昔の青年時代に戻ります。

2019年

10月

19日

英国エリザベス女王の軍楽隊が皇居広場に ( 中止のご報告)

  天皇陛下御即位祝賀のために、英国エリザベス女王派遣の王室軍楽隊が皇居外苑広場で演奏する予定でした。日英王室の限りない弥栄(いやさか)を願う素晴らしい企画でしたが、生憎の雨天のため中止となりました。主催の稲川素子さんら、関係者一丸となって万端整えたところでしたが、その思いこそ皇居にも十分届いたものと信じます。私も多少の手伝いを通じて珍しい経験もしましたし、多くの人にご心配もかけたところです。
  なお写真は前日の現場打ち合わせ模様。

2019年

10月

18日

靖国参拝

  靖国神社秋季大祭に議員団とともに参拝しました。私には都合が付かず数年ぶりの参拝になりますが、毎度本当に厳粛な気持ちとなります。先日の地元「大刀洗飛行場」記念祭への追悼といい、私たちは先人たちの犠牲とご苦労に対して一時も感謝の気持ちを忘れてはなりません。

2019年

10月

16日

台風19号、緊急対策本部、自民党本部

  台風19号の被害は全国で増え続け、また政府の対策も進んでいます。自民党本部では緊急対策会議が開催され、その中間報告と政府各省の対策状況を聴き取りしました。関係地域出身の議員たちからも懸命の現地報告もありました。
  自民党は責任政党として、如何なる事故、事件に対しても現状把握と総合対策の立案に全党挙げて取り組みます。

2019年

10月

15日

「大刀洗(たちあらい)飛行場」100周年、「大刀洗平和記念館」10周年、記念式典

  福岡県にあった「大刀洗飛行場」は開場100年になる、かの太平洋戦争では日本陸軍最大の空軍基地として機能し、特攻隊員を送り出しや多くの戦争犠牲者を生んだその場所として語り継がれる。
  「大刀洗平和記念館」はこれら太平洋戦争の歴史事実をしっかりと後世に伝える生き証人で、今日まで130万人の来場を記録する。筑前町は今や全国に「食(農業)と平和の町」として知られる。私もその建設に手伝いしたことを誇りに思います。

2019年

10月

14日

空前の災害、台風19号

  台風19号は空前の被害を東日本全域にもたらした。三重から始まり静岡、神奈川、東京、長野の千曲川、栃木、群馬と東北一帯、かつてこのような広がりを見せた台風はなかったようです。千葉県などはひと月前の15号台風の停電も修復ならないまま。
  「川崎市高津区、中原区」は多摩川決壊で大変な被災に。私の昔の選挙区でよく知っているだけにテレビ報道は痛々しいもので、多くの人々を思い出しました。

2019年

10月

14日

「嗚呼、主よ、キリストよ、守り給え。」

  「西南学院中学校」の同窓会総会。多くの旧友と懐かしく出会いました。私は中学3年で福岡市の西南中学校に1年間だけ通いました。学区制があって県立高校を受験するには私立学校しか選べなかったこと、母親が私のことに懸命で、キリスト教の私立学校を何処かから探してきたのでしょう。
  学校では 聖書(バイブル)を読み、教会での水曜日礼拝、讃美歌を大声で歌う、田舎の公立しか知らない私には余りに初めての経験でした。それでも直ぐに慣れ、学校でも多くのことを学びました。 良い先生と友達に恵まれ、幸い学校の成績もトップクラスで、受験の時期とはいえ良い思い出しかありません。外国人教師など西欧的雰囲気も憧れでした。
  西南学院の生活はこの時だけでしたが 、キリストと出逢うというのは、私の人生にとっては大きいものでした。 宗教というものを始めて意識したこと、その数年後、高校留学ではアメリカ人家庭のキリスト教生活にどっぷりと溶け込んだものです。
  同窓会総会では出身政治家として呼び上げられたので、「・・・私はキリスト者ではないが、Be true to Christ.(キリストに誠実たれ!)という建学の精神はいつまでも身に着いています・・」と挨拶致しました。私は確かに人の持つ信仰を大事にできるように育ちました。目に見えぬものが、きっとそこにあることを感得するようにもなりました。

  しかも時にふと思うこと。私はたった1年間なのに「西南中学校卒業」というだけで、多くの人々が選挙では応援に回ってくれました。西南学院は幼稚園から大学まで、100年を超える歴史、福岡県では一大学校グループを作り上げています。これもまた神の仕業に違いないと何時も感謝しているのです。 (当時は男子校、今は共学です。)

2019年

10月

10日

自民党会議「人生100年時代、全世代型社会制度」

  自民党の朝の社会制度委員会は表記の課題で、実に重要かつ中身の濃い会議で、1時間の予定をはるかに超えて終わりません。私も久しぶり自民党本部の会議で、多くの議員たちの真剣な討論を聴き、自分の勉強不足を感じました。
  日本医師会の横倉会長も、歯科医師会長、薬剤師会長とともに基調講演をされて全体の議論をリードされました。この会議は、しばらく継続し、今後の日本の社会制度政策の基本を提示します。

2019年

10月

09日

「原田氏は卑怯」か

  「原田氏は政治家として卑怯だ」と「田崎史郎氏」は言った。福島原発の処理水の海洋放流問題がテーマになった昼のテレビ番組(10月3日 TBS 「ひるおび!」)で。私が大臣辞任の前日、最後の記者会見で発言したことについて、なぜ逃げるように発言したのか、なぜ在任中に発言しなかったのか、ということを指したもの。
政治家はその言動について如何に批判をされようとも覚悟の上ですが、「卑怯」という言葉は容赦できません、政治家が最も嫌う、最も人格を傷つける表現だからです。私は未だ「卑怯」と言われた記憶はありませんし、「卑しい」とか「ずるい」とかだけは言われないように心掛けてきました。私は決して自分を立派とも、まして完璧な人間だとも思っていません。多くの欠点のある普通の人間ですが、ただ少なくとも政治家として立派であろうと不断の努力はしているつもりです。
  そしてこの福島原発の処理水問題につき、1年近く思い巡らせてそれを発表したことに対し「卑怯だ」と言われる筋合いは全く見出せません。
私はそのことでTBS社に抗議しました。担当者レベルで謝罪も受けました。私は田崎氏にはその旨しっかり伝えて欲しいと依頼しました。

  昨年10月、大臣就任早々に福島の原発事故跡の現場を視察しました。広大な敷地に1000個にも及ぶ異様なタンク群と「今後の見通しは立っていない」という東電職員の説明に、これでいいのかと素朴な疑問と強い違和感を持ったのが最初でした。爾来、折を見つけて、政府の担当者、多分10人を超える専門家とも個別に意見を交換しました。意識的に新聞記事など周辺情報も集めました。とりわけ「原子力規制委員会」委員長 「更田(ふけた)豊志氏」が一貫して「処理さえすれば、放出しても良い」、「国際的安全基準は心配ない」の発言には大変心強く思いました。前任の委員長「田中俊一氏」も同じだったと聞きました。

  大方の人が、「放出やむを得ない、しかしそれを言えば大変な混乱を起こす」という印象でした。経産省の小委員会ではつい結論を出せないまま、延々と日が経ってきた。様々の方策、例えば貯留水を蒸発させる方式、地下に埋める方式、「凍土壁」を作って放射能デブリ(燃料廃棄物)と遮断する方式、遠く外洋に捨てる方式・・・いずれも現実的な解決とは思えなかった。処理水は今も毎日170トン増えている、この8月の貯留量(累積)は115万トンになる。2022年夏には137万トンとなり、既設の貯留スペースは満杯となり、どこか広大な場所を探さなければならない。いつ終わるのか、予測は立たない。その費用は一体誰が負担するのか、も大事な論点である。

  記者会見では、記者団に訊かれるままに、福島原発に触れた時「海洋への放出、稀釈しか残された選択はない」と発言しました。記者団は少し騒ぎになりました。私はその瞬間誰かが言わなければならないと素直に決断しました。本件、厳密には経産大臣の専管事項であって所管外の人間が発表する案件でなかったこと、しかし自分は広く原発問題を扱う「環境大臣」、「原子力防災担当大臣」であり、それ以上に『国務大臣』としての仕事があること、政治家として最後の勇気を振るわなければいけないと咄嗟に判断したものです。

  私はそのことも、またその後に起こったことにも、一切後悔はしていません。

2019年

10月

07日

(相手のいない独り言)「雑踏と孤独と幸せと。」

  終便を待つまでの福岡空港、1人、ロビー廊下のベンチにしばし座っています。多くの人が歩いています。次から次から、右から左から、人が湧いて来ます。これから乗る人、もう降りて帰る人。会った人、別れる人。幼児が駆けていくのを、父親が追っかけて、子供が転び、泣いていました。並ぶお店は最後のお土産で、賑わっています。どの店にも『博多通りもん』(銘菓)が積んであります。皆んな生き生きしています。今日1日はきっと楽しかったのでしょうか、悩みの顔は見当たらない。
  1人でいるなど本当に何年ぶりです。寂しいかって?いや、とても幸せです。そして日頃の生活に感謝を思います。明日朝もまた、早やそうです。機中では、一寝入りできるかも・・・

2019年

10月

07日

天皇御即位奉祝「福岡県民大会」

  天皇御即位奉祝「福岡県民大会」が福岡市で行われました。10月22日「即位の礼」への雰囲気が次第に盛り上がってくるのを体感致します。

  第2部としてサンマリノ共和国大使「マンデロ・カデロ」氏の記念講演がありました。カデロ氏は日本で最も長い駐箚(ちゅうさつ=駐在)大使で、現在日本への外交団団長を務めておられる。サンマリノ本国に正式な神社を建立し、日本と皇室とを非常に大事にしておられる。サンマリノとはイタリアの内陸にある、共和制の小国です。

2019年

10月

06日

日米韓、議員指導者会議

  名古屋市で開かれた「日米韓、議員指導者会議」に、福岡からとんぼ返りで出席して多くの関係者と出会いました。太平洋を挟んだ平和と繁栄がテーマで、とりわけ日韓の外交的暗礁が議論されました。なかなか名案が出て来ないのも今回の特徴です。
  米国の有名なギングリッジ元下院議長(共和党)とも短く会話しましたが、思ったより紳士でした。

2019年

10月

06日

1964年東京オリンピック、五輪の飛行雲、青空に

  1964年10月10日、東京オリンピック開会式。青空にいきなり飛行機が5機飛んで来て、鮮やかな5輪を描いて、また遠くに飛び去りました。航空自衛隊の「ブルーインパルス」という部隊ということを後で知りました。
  その「ブルーインパルス」の隊長だった人が、今日の 新聞(読売)に墓碑銘で載っていました。日本人にどんなに誇りと自信を与えた飛行だったか。実に私はその真下、「国立競技場」の中にいたのです。澄み切った青空、5つの真白い輪、首が痛いくらい見上げたものです。
  「父は来年のオリンピックは是非見たいと言っていましたが、遂に果たせませんでした。」というのは息子さん。皆んな、追憶の中で、この瞬間は生きているのです。

2019年

10月

05日

福岡での激励会「日本を語る会」

  臨時国会が始まりました。明治期から数えて200回になるという記念すべき国会会期で、私も当然ながら気持ちを新たに頑張る決意であります。

  地元福岡で、「日本を語る会」として激励会を開いて頂きました。ほぼ恒例とはいえ、毎度多くの皆様に物心多大な負担をお願いするのは恐縮の至りですが、その分政治の本務でしっかりと返さなければなりません。閣僚を降りて、新たな気持ちでその職務に当たることを皆様に訴えました。

2019年

10月

04日

自民党 外交部会へ復帰。青山氏「習近平国賓、断固反対」

  久しぶり、自民党の外交部会に復帰しました。閣僚時代には、もちろん政府部内が混乱せぬように言動は控えていましたが、内心の葛藤は大きいものがありました。
  早速思いの一部を発言しました。
1 )中国の尖閣列島への進出、領海への侵略は目に余るものがある。以前のように政府、外務省は中国への厳しい抗議を毎度やっているのか、首脳会談、外相会談の際正面から侵略は止めろと言っているのか。今、日本と中国は空前の関係改善などと言っているが、浮かれておられる状態なのか、と質問しました。
  すると、青山繁晴議員が私をフォローして、来春には習近平主席が来日するなどが議論されているが、このままでは「国賓招待などは断固反対」すると発言された。


2)ロシアとの北方領土交渉に付いて、今や2島も返ってくるか懸念されている。私は過去に「4島一括」としか演説した記憶はない。2島に落とし込むのなら、日本が4島に徹底的に拘った末にロシア側こそが「2島で許してくれ」と妥協してこさせるのが領土交渉のイロハである。平和条約への道筋に付いてもう一度「4島一括」を復活させるべきではないか。


3)イランへの外交活動にはローハニ大統領を相手にするのでなく、ハメネイ最高指導者を目指さなければ全く効果がないと言われる。再検討して欲しい。

2019年

10月

03日

日テレ『深層ニュース』に出演

  人気番組、辛坊治郎さんの「深層ニュース」に出ました。福島原発処理水の海洋放出問題と関西電力の不明朗金銭問題がテーマ、特に後者は余りの酷さに声を失う。いずれもいくら時間があっても足りない重たいテーマ、私には大いに得意分野であるが、テレビ出演というあの時間帯でどこまで言えたか、分かってもらえたかは自信がない。ただ辛坊さんらの「政治が悪い」、「電力会社が悪い」類いのやや一方的まとめ方にはいささか意見を異にする。番組の性格上やむを得ないのか。
  私もこのところすっかりマスコミ付き合いが多くなり、発言と影響力には十分気を配らなければなりません。

2019年

10月

01日

誕生日にあたり

  お陰様で誕生日を迎えました。75歳という歳になって気がつくのですが、我ながら今日まで本当によく元気に頑張った、そして心身ともに40歳くらいに生気が漲っており、今は亡き父母に、この立派な五体を授けてくれたこと、あの子どもの時代になんと手塩に掛けて育ててくれたことかを改めて感謝することになります。
  今後益々、社会国家のために努力を続けたいと思っております。皆様の更なるご叱正をお願い申し上げます。

  多くのfbの友人たちから心のこもった誕生日お祝いを頂きました。いちいち返事は書けませんが心から感謝していることをお伝え致します。ご期待のとおり、これからもしっかりと務めを果たして参りますのでよろしくご指導お願い致します。

2019年

9月

30日

「上杉鷹山」の思想と業績(その2)

≪財政改革 ≫
倹約の徹底、一汁一菜、絹から綿へ、奥女中 50人ー>9人、「上書箱」(投書箱)、「元払帳」(金銭出納帳)
≪産業振興≫
養蚕、絹織物(「米沢織」)、木工(「笹部一刀彫り」)、和紙(漆、こうぞ)、陶磁器(「成島焼」)、「籍田の礼」(藩主が鍬入れ儀式)
≪精神改革≫
藩主は「民の父母」、勧善懲悪、慣習の打破(乗馬する位置、祝宴の料理、下級武士への声掛け)
『伝国の辞』(家訓)、国家は私物でない、祖先から子孫へ、民は国家に属する、藩主は国家、人民のために働く、民が藩主のためにあるのではない。
教育機関「興譲館」の創設(人材育成には100年かかる)
≪福祉政策≫
出生手当金、養育手当金(15歳以下5人の家族に)、養老金、敬老金(老人は邪魔者ー>家の誇り)

 

(参考)

・内村鑑三「代表的日本人」“Japan and the Japanese” (1894 )、「上杉鷹山、西郷隆盛、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮」、 ケネディ大統領、クリントン大統領「上杉鷹山」

・米沢藩の貧窮した原因 関ヶ原では敗軍(石田三成側)に付いた。120万石から15万石に減封、重税を科して人口逃げる(13万人ー>10万人)

2019年

9月

29日

今こそ「上杉鷹山」。宮崎県 高鍋町との姉妹都市 文化交流

  宮崎県 高鍋(たかなべ)町と福岡県 朝倉市とは50年を越えて姉妹都市にあります。翌日の文化交流大会を控えて歓迎晩餐会、私は「今の時代こそ、上杉鷹山(ようざん)公の精神と業績を学び直そう」と挨拶しました。
  江戸時代の名君の筆頭と讃えられた上杉鷹山公。出羽国米沢藩(山形県米沢市)藩主 は、その祖先を朝倉市秋月に持ち、秋月は縁組で日向国高鍋藩(宮崎県高鍋町)と繋がっています。
  鷹山は高鍋藩主の次男として江戸屋敷に生まれ、早くに米沢藩に養子にとられた。利発さを頼まれ弱冠17歳で米沢藩主となった。余りに貧窮を極める米沢藩を立て直すことは容易ではなかったが、財政改革、産業振興、何よりも精神改革に努め、35歳で引退する時には米沢藩を稀代の雄藩にまで育てた。
 「為せばなる・・・」の格言は余りに有名。米JF ケネディ大統領が最も尊敬する日本人と讃えた。
  私が最も敬愛する偉人でもあります。

2019年

9月

29日

西日本新聞 9月29日

2019年

9月

26日

国際水素エネルギー大会

  中国江蘇省 如皋(じょほう)市で行われた「第4回国際水素エネルギー大会」は、1000人を越す出席者、企業など予想以上に大規模な大会で、水素エネルギーに対する国際社会の関心の強さと中国の意気込みを思わせるものでした。
偶然ではない、昨日は東京で日本(経産省)主催の「第2回水素閣僚会議」が行われており、私はその説明ととに、元大臣さらに国会議員の立場で日本の現状と政策的な考えについて演説しました。一般論では、日本の水素技術の水準は世界でトップクラスを走っているようで、私は自信を持って政策展開と今後の発展分野、自動車のみならず列車や船舶への展開などにも触れました。外の壮大な展示会場でも各国から相当な新製品の展示が出されており、かつ深圳(しんせん)地区初め他都市からのイベント招待も受け、日本もうかうか出来ないというのが率直な感想です。

  なお昨日、上海では日本の「森ビル」系に立ち寄った。創立10年を迎えるというが、その際は中国全土一のビルで、101階建て、高さ100メートルを超えた。今は昔の印象であるが、そいう時代もあったこと、日本も自信を失う必要はない。

2019年

9月

25日

中国・上海に出張、水素エネルギーの国際協力

  水素エネルギーは、エネルギー政策として各国で研究開発が進んでいますが、中国の熱意も大変なものがあり、上海の「上海交通大学」を中心とするグループから呼び掛けを受けて出席しています。私は日本の環境政策を概説した上で、地球温暖化対策、再生エネルギーの必要性、とりわけ「究極の環境型エネルギー」としての水素エネルギーを開発することの重要性を訴えました。環境省と九州大学がその協同研究を始めたこと、5月にはフランス、ドイツに現地視察に行ったことも紹介し、日中の協力にも積極的に臨むことを約しました。
  言うまでもなく、中国の経済開発は目覚ましいものがあり、その研究態勢からして意気込みが違う。多くの分野での日中協力は将来に亘って進むと思われますが、しかしわが国としては自らの態勢を十分に固めて、ことに臨むことが必要であります。

  午後には3時間離れた如皋(じょほう)市まで移動、余り有名でない都市ですが人口150万人、深圳((しんせん)に負けない工業都市で、その概要も紹介されました。なかなかの迫力で、これら地方都市の躍進ぶりこそ中国の底力であると学ぶところ大いに感じました。夜は晩餐会、明日の「水素エネルギー大会」に備えます。

2019年

9月

25日

国連・気候変動サミット 、 グレタさん「怒りの演説」

  国連の気候変動サミットは終わったが、ハイライトはスェーデンの環境活動家グレタ・トーンベリさん(16歳)の存在、彼女は今の環境政策、温暖化対策に対し怒りを持って糾弾し、世界の指導者たちに抜本的改善方を訴えました。私はかねがね世界の青年達の環境活動に対して強い関心と敬意を持っています。
  最も温室効果の高い「石炭火力発電」の抑制についても特段の議論が行われたが、具体的対策には結びつかなかった。

<石炭火力問題について>

環境大臣を辞してこの方、福島県の原発処理水の放出問題では大きな議論を喚起し、報道も含めて世論の認知度と関心は広まった。大変に良いことだと思います。一方環境省は石炭火力の抑制、撤廃こそ日本の環境政策の最大課題であると標榜しています。政策としては一貫してそのことを訴え、計画中止を決める企業まで出てきたが一般論でははるかに不十分であった。私は、その最大の関係者たる東京電力(株)を呼び出し、その旨説得し、ついには当該社長宛て環境大臣からの文書を発出し、その抑制要請を行った。おそらく極めて稀な措置であり、他省からは抗議を受け、官邸の一部からも注意を蒙った。私はしかしそれを実行した、なぜなら、環境大臣でいる限り、私こそが日本の環境対策の最終責任者であって、決して逃げてはならないと思ったのです。( 8月25日 fb 参照のこと)

  今日テレビで見たグレタさんの演説は本当に激しいものでした。グレタさんは泣いていました。私も心で泣きました。地球温暖化も石炭火力対策も事態はそれ程に急迫しているのです。

  元々環境問題に不熱心と言われた米トランプ大統領が、国連の議場に急遽顔を出し、すぐ退所した。偶然にもグレタさんと出口で鉢合わせになったという・・・

2019年

9月

22日

産経新聞 9月21日

2019年

9月

21日

お寺での講話

  東京都品川区の桐ヶ谷寺(曹洞宗 黒田純生師)で檀家のみなさまの前で講演をしました。多くは年配の方々が相手でしたが、私の略史と政治にかかる思い、最近の動きなどを話しました。
  住職の黒田師は小山台高校(品川区)の先輩にあたり、私は大学を出たあたりからこのお寺に往き来するようになりました。師は四肢に大きな障害を持っています。詳しく存じませんが、青年時代、ガス会社だかの業務で仕事中、事故で倉庫の中に取り残され全身大火傷、文字通り九死に一生を得た方です。お寺を継ぎ、黒田師は社会活動も活発で、私は何故か当時からこのお寺に「先輩、先輩」と訪ねていました。選挙に出るときもいろいろとご指導頂いたものです。久しぶりお寺に戻ってきて、懐かしい思い出にも浸りました。お寺は、また他所にない、自らを振り返る、見つめ直す場所でもありました。

2019年

9月

21日

週刊文春

2019年

9月

20日

「アパホテル横浜」のオープン式

  「アパホテル横浜」がオープンしました。全国で最大級2400室を備える、元谷外志雄(もとやとしお)代表の気合いが相変わらず凄い。常に世界に目を向けて伸びようとする。私も祝辞に立ち、ホテル運営には常に環境を重視されていること、元谷代表の「2兎を追え」(実業と確固たる保守思想)を最も学んでいること、を話しました。

2019年

9月

20日

「TBSテレビ」に出演

  BSーTBSの『報道1930』に出演しました。ゴールデンタイムの人気番組で、視聴者も大変多いと言われます。テーマは、原子力発電処理水の海洋放出問題と今日判決された東京電力元幹部の福島原発の津波被害責任(刑事無罪)問題、ほかに小泉環境大臣との事務引継ぎや福島対策など、多岐に亘った。キャスターと都合3人の学者、コメンテーターとの討論会で、私の得意分野でもあり、もっと時間さえあれば、という気持ちでした。
 「海洋放出」という私の発言がこんなにも大きくなるとは内心驚きですが、「社会に一石を投じた」というのは事実で、実際の社会を変える大きなインパクトにもなると思われます。連日のテレビ出演、新聞取材、週刊誌での報道など、余り経験のない扱われ方で、自分も政治、社会的に大きな存在になったという自覚と自信を持たなけれなりません。今後もしっかりフォローして参ります。

2019年

9月

19日

報道について。お詫びと真意。

  「原発処理水」については、お陰さまで活発な報道が続いております。これらの問題が広く国民の関心を呼ぶことは決して悪いことではないと思っています。
  今日のある報道では、私が後任の小泉氏に対し一定の政治的方向を「忠告した」なぞの記述があって、それが事実上全国ニュースと広がっていました。私が記者会見したのは9月10日(火)午前11時頃で、後任大臣を知る由も無い段階でした(判明したのは、同日夕方)。更には引退する大臣が後任の大臣に、直接であれ、間接であれ、「忠告」を残すなどは決してあり得ない話です。自由、開放的なマスコミ取材で、その分丁寧かつ注意して発言したところではありますが、私の真意は必ずしも伝わっていない、一旦外に出た記事は止めようもありません。
  あるいは小泉大臣初め政治関係者、読者に対して大変な誤解やご迷惑を与えたのではないかを心から心配しております。 結果、自分の不注意を責めるしか方法がないもので、今後更なる慎重さが必要ということを改めて思った次第です。

2019年

9月

18日

オーストラリアの高校生

  オーストラリアの高校生らの訪問を受けて、久しぶりリラックスしました。私は海外研修留学生の世話をしていますが、混迷し始めた国際関係の中で、若い人々をしっかり交流させることは大変大事なことと考えています。
日本語にもなった「ブーメラン」(boomerang)という言葉は、オーストラリアの原住民から来たということも改めて話題になりました。

2019年

9月

18日

「原発処理水」報道、続く

 「原発処理水を海洋に放出する」とした私の発言が多くの報道に取り上げられています。国民の認識と関心が広まることは決して悪いことではありません。ネットでのコメントも前向きで、産経新聞は社説で応援し、テレ朝の「報道ステーション」でも真面目に取り上げられました。 押し並べて私の考えに肯定的な意見が多いことには勇気付けられます。私も丁寧にフォローすることが必要です。  

2019年

9月

16日

小泉進次郎君のこと

  小泉進次郎君は今最も有名な政治家の一人で、将来も大いに嘱望されている。その人気は政界を超えて社会現象にさえなっている。その彼が、環境大臣に任命され、私の大臣後任となったことで、私までついでに報道に露出することが多くなった。
  私は実は、小泉家とは浅からぬ縁がある。ご尊父 小泉純一郎氏は言うまでもない、名実ともに一世を風靡した元首相である。その彼と私は若い頃、昭和の末から平成の初めまで約10年、中選挙区の神奈川県2区(横須賀市、川崎市)で選挙を争った。昔の中選挙区というのは、同じ自民党同志で血で血を洗うような激しいものがあった。私は平成2年に初当選を果たした。 平成7年には生まれ育ちの福岡県に移り、小選挙区5区(太宰府市など)で当選するようになった。政治家は選挙区さえ同じでなければどんなにでも親しくなる、ということで、私は小泉厚生大臣の元で、政務次官として、1年半近く一緒に仕事した。「介護保険法」の成立こそこの時の最大の思い出である。可愛がって貰ったこともあり、私は小泉氏の自民党総裁選(平成13年)においては、若手としての応援演説を繰り返し、恩返しをしたつもりだった。
  時経て、進次郎氏が初当選(平成21年)の頃、「君は俺のこと知っているか」と聞くと、「もちろんよく覚えています」という。中学1、2年頃まで、私は父親と激しく横須賀地区で中選挙区選挙をやっていたことになる。

  進次郎氏はその後、目覚ましく成長した。その活躍ぶりは有名で、今や知らぬ日本人はいないだろう。非常に鋭い頭脳と感性を持ち、日本の近い将来を任せるに若過ぎることはないというのが私の率直な印象。親父純一郎氏を超えるか、の問いも決して的外れでない。その彼の初入閣が環境大臣の後任というのも、私にとって不思議な因縁ということになる。まずは、思う存分持ち味を発揮してくれれば良い、私らはひたすら彼の行動をバックアップしてやることが大切であろう。実力以上に人気が先行、とよくいわれるが、今は何事にもじっくりと勉強することが大切で、それが彼の将来に活きてくる。

2019年

9月

13日

「他策は勿かりしか」。原発処理水(その2)

  「他策は勿かりしか」という言葉があります。本当に他の道は無かったのか?これは明治時代の外務大臣「陸奥(むつ)宗光」が発したとされる。
  1895年、明治政府は租借中の遼東半島を、独仏露3国の強い圧力を受けて清(中国)に返還させられた(三国干渉)。国内では「弱腰、軟弱」という非難が轟々と起こり、「臥薪嘗胆 (がしんしょうたん)」という言葉が流布した。その政治責任で窮した外務大臣 陸奥宗光が発したとされる。
  「他策」= 他に方法は無かっただろうか? 全力で努力したが、結局他の方策は見つからなかった。あらゆる非難や批判は覚悟の上、この結論を選択した。責任はもちろん取る、いずれ歴史が評価してくれる・・・『蹇蹇録(けんけんろく)』(「他策 勿かりしを信ぜむと欲す」)。
  なおこの「三国干渉」が歴史的には、その後の日露戦争(1905年)の遠因となったとされる。

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「原発処理水放出」を発言するに、この言葉が常に脳裏にあったことを、私は敢えて申し添えます。

2019年

9月

13日

「原発処理水放出」のその後

  私の「原発処理水 放出」発言が、大きな議論の輪となって、マスコミ、報道でも大きく扱われているようです。小泉環境大臣に引き継がれたことで余計に注目度が大きくなった。実は漁業団体(全漁連)からも厳しい非難声明も出され、私は誠実に文書で回答もしました。

  正直言って、私はこのことを長いこと真剣に考えていました。昨年秋に現場を視察して、これでいいのかと疑問を持ったのが最初でした。政府の担当者、多くの専門家と意見交換しました。新聞記事など多くの周辺情報も集めました。とりわけ「原子力規制委員会」委員長 更田(ふけた)豊志氏が一貫して信念を持って「放出しても良い」、「安全基準は心配ない」の発言にはいつも心が震えました。
  大方の人が、「放出やむを得ない、しかしそれを一旦口に出せば本当に大変なことになる。」政府の委員会ではつい結論を出せないまま、延々と日が経ってきた。様々の方策、例えば貯留水を蒸発させる技術はないか、といっても現実的なものは出てこない。処理水は今も毎日170トン増えている、この8月の貯留量(累積)は115万トンになる。2022年夏には137万トンとなり、既設の貯留スペースは満杯となり、どこか広大な場所を探さなければならない。いつ終わるのか、予測は立たない・・・。その費用は一体誰が持つのか、も大事な論点である。
  記者会見では、淡々と1年の行事を振り返りながら、福島原発に触れていた時、日頃考えたままに「海洋への放出、稀釈しか残された選択はない」と発言しました。記者団は少し騒ぎになりました。しかし私は、これでいずれは世の中が変わる、という不思議な自信も付いてきました。誰かが言わなければならない、自分はその捨て石になってもいい、と素直に自認しました。

2019年

9月

13日

小泉大臣と「事務引き継ぎ」、環境省に別れ

  小泉進次郎環境大臣と「事務引き継ぎ」を行なった。どの省でも大臣交代の時期に行う儀式ですが、小泉氏が相手の場合、大臣室には見たことのない多くの報道、マスコミ陣が殺到して、小泉氏の人気、モテぶりには圧倒されました。私のメディア露出も増えたことでしょう。
  2人は報道陣の前で簡単なコメントを交わしたうえで、しっかり握手、私は先輩として激励を送り、思い出深い大臣室を後にしました。

  引き続き職員を相手に離任のあいさつ、続いて多くの職員から、一階ロビー出口において盛大な見送りを受けました。万感を胸に環境省生活の全てを終えました。