2019年

11月

19日

習近平氏の「国賓」来日、これでいいのか

  来春に予定されているという中国習近平主席の「国賓」来日について、日中間のさまざまな現実問題を見過ごしたまま、祝賀ムードだけで良いのか。
  自民党総務会において、私は発言した。「日中間は今、非常に良い関係にあるといわれており、日韓間が困難だけにことさらその感が強い。ただ祝賀ムードだけで良いのか。ほぼ連日、尖閣列島への侵入が続き、東シナ海ガス田は解決が見えず、南シナ海はアジア安全保障上最大の火種、日本人の失踪さえ起こる。香港やチベットなど中国の内政問題に口出せとまでは言わないが、日本との間でこれだけ現実のトラブルがありながら、それを国賓として、天皇陛下にまで会って頂く。わが国民はどう思うか、アメリカはどう思うか、世界中の人々はどう思うか。まずは自民党として、政府に対しその是非を問い、中国には正対して抗議すべきである・・・」
  自民党総務会。自民党組織では、最高、最終の組織とされる。私は、満を持して発言した、これだけの外交案件となれば十分な時間こそ必要で、時間切れこそ避けなければならないからだ。
残念ながら、今日の総務会では反応はなかった。

2019年

11月

18日

盲学校 (その2)

  この盲学校は110年の歴史を持っています。実に明治時代から、わが国は盲人、聾唖者(ろうあ者=聴覚不全)を擁護してきました。十分かどうか、わが先人たち、指導者たちが、少なくともその意識で懸命に努力してきたことには、心から誇りを覚えます。
  校長室には2つの写真が掲げられています。あのヘレン・ケラー女史、もう1つは「貝島嘉藏」氏、貝島氏は地元福岡県の石炭実業家として大変に有名な人。大きな財を築かれて、その多くを福祉事業に尽くされた (ことは初めて学びました。)

  「開校110年記念式典」は予定通り、整然と進んでいました。ただ途中で気付いたこと、全く拍手がないことです。あたかも拍手することが許されないような、重苦しい雰囲気でした。

  私は意を決して立ち上がり、後ろの来賓席に向かって大声を掛けました。「今日はお祝いの式典です。大きな拍手で激励してやりましょうよ。」それがきっかけか、次第に拍手は広がり、最後の生徒代表の挨拶には、会場万雷の拍手で応えました。

  盲学校と言っても暗くなる必要はない、大いに盛り上げて元気付けようではありませんか。

2019年

11月

18日

盲学校で思ったこと

  光を失った子、光を知らない子、に出会って私は涙を止めることが出来なかった。どんな世界に生きているのか。真っ暗な世界なのか、希望はあるのか。
一方、私は今、明るい光の中にいて、こんなに幸せでいいのか・・・

  地元の盲学校「福岡視覚特別支援学校」の「開校110周年記念式典」が行われました。幼児から中学生まで多くの子どもたちが出席していました。校長やPTAや来賓の挨拶が進む、その都度生徒たちは立ち上がって挨拶します、元気よく。最後に生徒代表が挨拶します、感謝に溢れた、立派な言葉で挨拶しました。

  続いて生徒たちによる生活発表。男の子と女の子2人の発表では本当に泣きました。「お父さん、お母さんにはいつも抱かれていました、自分はお母さんのお手伝いすることが一番嬉しいです。今は杖を使ってひとりで遠くに出かけるようになりました。買い物にも行けます。大きくなったら、支援学校の先生になります・・・」

  続いて賑やかな舞台に変わりました。ドラムの演奏、コーラス合唱、決して上手ではありませんが、本当に懸命に歌います。校歌もまた心を大きく揺さぶります、「光」や「夢」、「明るさ」と「希望」、生徒たちにとっては本当にすがるような言葉に違いありません。

  盲学校こそ、政治の原点が詰まっています、弱き人、悩める人たちをどう支えるか。

2019年

11月

17日

福岡県 「八丁トンネル」開通。『原田トンネル』?

  福岡県朝倉市と嘉麻市を結ぶ国道322号線八丁峠道路(「八丁トンネル」)が開通した。地元の期成会が出来て20年以上、工事に掛かって13年、大工事であったが、福岡県の道路トンネルとしては最長(3.8キロ)で、北九州から久留米を直結する縦断道路。その開通による地域的、経済的、社会的影響は計り知れない。雲ひとつない秋空の下、嘉麻市での式典、テープカット、地元芸能、通り初め。場所を替えて朝倉市で懇親会が行われ、大変思い出深いものとなりました。

  追 ① このトンネル開発は、元県会議長「吉原太郎氏」が終生取り組んでこられ、今日は未亡人らが遺影とともに出席された。2年前、トンネルの貫通記念式の際、私と2人で意気投合、このトンネルの実質提案者「佐藤信秋氏」(現 自民党参議院議員、当時 建設省道路局官僚)を招いて感謝の飲み会を開こうと約束しました。その約束は最早果たせないまま、佐藤氏には今日のことを報告します。後日 飲み会を実行し、天上から吉原先生にも参加して貰おうと考えています。
  追 ② 実は、私は、嘉麻市(旧山田市)で生まれ、現在は朝倉市を活動基盤としています。私は挨拶の中で「私事で大変恐縮ですが」と断ったうえで、「私にとっては、嘉麻市と朝倉市という2つの故郷を結ぶ特別のトンネルとなりました。」と広言して、人々の笑いと拍手を頂きました。散会後、「言ってみれば『原田トンネル』だね」と冷やかされた(蔵内勇夫 自民党前県連会長)のには参りました。

2019年

11月

15日

天皇陛下への謝辞記帳

  大嘗祭を前にして、私は皇居にひとり参内しました。大臣を辞して2ヶ月、この間大臣職に対するご慰労を込めて天皇陛下より小型金盃を賜りました。ついては慣例に従い、私は年長の故をもって、他の大臣を代表して参内、「賜物御礼」と銘打ち、陛下への謝辞の記帳をして参りました。身の引き締まる瞬間でした。

2019年

11月

14日

『九州 国道整備決起集会』、九州はひとつ、頑張ろう!

  表記の集会が早朝に行われ、九州各県 市町村長らが一同に揃いました。道路整備の重要性は言うまでもなく、未だ九州には遅れたところが多く残されており、また近年の熊本、朝倉、佐賀などの豪雨災害の跡地は復旧途上でさらに緊急対策が必要、また昔にあった「道路特定財源」こそ目指すべきという意見も発表された。「武末(たけすえ )那珂川市長」の顔も見えます。最後は全員の「頑張ろうコール」で閉じました。
  例年今の時期は自民党の予算編成を前にして、地方自治体の陳情、要望活動が集中して、霞ヶ関、永田町界隈はいつになく活気に溢れています。議員事務所も地元関係者の応接に懸命です。

2019年

11月

11日

韓国全国紙『東亜日報』でも「処理水問題」報道

  私の「福島原発 処理水」発言は、韓国でも有名になっており、韓国『東亜日報』も記事に取り上げました。9月発言の当初には随分とニュースとなりましたが次第に理解が進み、最近では必ずしも悪い報道ばかりでないと言われています。
  「彼は国務大臣、国会議員、政治家として責任を持って発言した」と取材した通り正確に書いてくれていることは良かったと思います。
  日韓関係はこれでいいはずはない、いずれか早い時期に回復することを強く望みたい。

2019年

11月

10日

天皇即位、大祝賀パレード

  素晴らしい秋空の下、東京では「祝賀御列の儀」が行われ、国中にお祝いと喜びの輪が広がりました。私も是非参列したかったのですが、地元行事と重なり、地元での移動車内でしっかりとお祝いしました。日本人と生まれたことの幸せを改めて感じました。

2019年

11月

09日

早稲田大学、わが「準 」母校

  学園祭の早稲田大学で講演をしました。「人物研究」という小さなサークル(40人くらい)でしたが、私にとって若い人と話すことは大変有意義でした。私の生きてきた道、政治、経済、憲法議論、外交問題を話し、質疑の中では「LGBT(性的少数者)」や「表現の不自由展」など難しい話も出ました。
  なお私は昔、司法試験の受験中、東大は学園紛争中だったので早稲田大学に通って勉強していました。
  また早稲田大学創設の大隈重信侯は佐賀県出身、慶応大学創設の福沢諭吉侯は大分県出身、私の福岡県からは国士舘大学創設の「柴田徳次郎」侯がおり、九州北部3県こそが日本の大学発祥の地であると自説を展開したところです。

2019年

11月

08日

千葉真一、芸能60年

  往年のアクション スター千葉真一さんの「芸能生活60年、80歳誕生日 」記念パーティーが行われて、私も招待を受けた。千葉真一といえば激しいアクションで、大人気のほか、よく怪我をしないものだと思っていた。私も真似して、皆んなを笑わせてこともあった・・
  我らの千葉真一に今の若い人の馴染みはどれほどか。私ら、日頃パーティーは多いが政治がらみばかり、さすがに芸能人のパーティーは趣きが異なり、感心することしきり。1000人の客、映画技術を駆使しての演出で、千葉真一の半生がよく分かった。自ら学校を創り多くのアクションスターも育てたという。千葉は、高倉健、大山倍達(空手家)、深作欣二(映画監督) 3人を「生涯の師」と呼び挙げ、泣いた。(最後に北島サブちゃんもお祝いに)

2019年

11月

07日

発展する、テンプル大学

  アメリカに本部をおく「テンプル大学 日本校」(Temple University Japan TUJ)は、今国内でも非常にユニークな国際大学として発展しています。この大学がこの日、東京の雑居ビルから、晴れて独自の校舎を持つキャンパスに移りました。厳密には「昭和女子大学」の一部を借り受けて本格的態勢を整えたということで、日本の国際教育にも大きなステップを加えたものと評価すべきものと思います。
  もう何十年も前、我が国には多くの外国系大学が進出したことがあります。しかし色々な理由で、(多分文部科学省の規制が厳しすぎたのが一番の理由と思うが、)結局全部撤退して、今唯一日本にきちんと残っているのがテンプル大学といえます。当然並大抵の大変な苦労と努力があったものと思います。例えば、学生の通学学割が外国大学には認められてなかった、なぜなら日本の大学基準に沿わないから。また消費税負担の問題、校舎の管理問題など、日本の政府、政治といちいちうまくいかなかった。その際、何故か細田博之代議士と私とで、相談を受け解決してきた経緯があります。今回の移転も、2人で協力したものです。
  実は私は同大学の学長ブルースさん(Bruce Stronach)とは本当に古い友人で、ともに30代前半、私がボストンのTufts大学Fletcher大学院に留学していた時、指導教官に指示されて2人でMichigan州の日本企業への現地調査に出かけたことがある(2週間くらい)。爾来ずっと兄弟分として付き合い、彼は遂に日本に住み着くようになり、そして横浜私立大学学長を経て今日、TUJの学長を務めるようになったのです。
ブルース君と会うたびに、あのミシガン湖の寒村で勉強した日々を思い出すのです。

2019年

11月

06日

< 参考> 5月27日分 日記

トランプ大統領との会話、瞬時に「global warming !」

  トランプ大統領の来日は、その存在感故に国中の耳目を一身に集めました。世界の政治指導者であり、この人とどう折り合うかは、国としても現実の問題であります。(好悪は別として、)政治家としても大いに考えさせられる3日間でした。

  長い列、人混みの中で、ようやく私の番が来ました。直面すると、190センチ、100キロ以上の体格にはさすがに圧倒されます。テレビで余りに馴染みの顔で、初対面とは思えません。人懐こい。 

  私は自分を「環境大臣です」、と紹介して、「お会いできて光栄です」と型通りに挨拶しました。彼はいきなり「global warming (地球温暖化)は重要だ、global warming は国際的に協力しなければならない。」と返しました。続けて「中国は難しい国だ。」と加えました。私は、「日本とアメリカこそが力を合わせて頑張らなければなりません」と結びました。早や、別れですが、握手はグローブのような大きな厚い手でした。

  瞬時の会話でしたが、トランプ大統領が環境問題、地球温暖化に強い関心を持っていることが分かりました。それ以上に、私が「環境大臣」と言った途端に「global warming 」と返ってきたその反応の速さには、内心驚きました。(失礼ながら、)これはやはり、ただ者ではない、と思った瞬間です。中国への拘りにも驚きました。

2019年

11月

04日

米国、「パリ協定」から離脱、「愚かな指導者」よ

  米国が遂に環境対策の国際協定「パリ協定」から離脱することを正式に通告、効力は1年後になる。「パリ協定」は今や温暖化規制、環境規制の象徴(シンボル)としても大事なもので、その成立には米国こそが最も努力したという。トランプ大統領の政治的、選挙対策判断でこの決定になったと専ら言われるが、なんと「愚かな指導者」かとしか思えない。
  環境大臣在職中、私は米国関係者と国際会議の都度、脱退しないように要請したが、彼らは一様に言葉を濁して悩んでいた。
極め付けは今年の5月27日、トランプ大統領が天皇即位後の国賓来日の際、私は対面して直々に挨拶をした。私が「日本の環境大臣です」と自己紹介した途端、大統領はいきなり「global warming (地球温暖化)」の言葉を2、3回連呼で返された。私は大統領の予期せぬ反応と環境意識に、ひとり強い安心と自信を感じたものであったが。

  本当に残念である。地球温暖化は決して緩めてはならない。米国がいずれ早い時期に協定復帰することを祈りたい。グレタ・トーンベリさんの怒りを忘れてはならない。

2019年

11月

03日

「レジ袋の有料化」と私の決意

  「レジ袋の有料化」がいよいよ本格的に動き出した。環境省と経済産業省、合同の協議会を通じて、来年7月、オリンピックを直前にして実施する方針とし、そのための細則、産業界や消費者との意見調整、法的整備などを急ぐこととされた。
  プラスチック廃棄物が地球上の海洋を汚染しているという危機感から、今年6月のG20環境大臣会議、首脳会議はほぼその対策に追われました。その中でも「レジ袋有料化」は必要でかつ有効な手法として挙げられていたもの。

  なお、敢えて言うなら、「レジ袋有料化」は、この私が大臣主導で決定したものです。世界中では何カ国もすでに実行していること、さらにわが国では富山県が先行実施していることを学習した上で、私は、6月3日に記者会見を開いてその方針(「富山県方式」に準拠する旨)を明らかにしたものです。大臣というのは非常に強い権限を持っており、政治的責任を取る覚悟さえあれば、ほぼ何でも決断できる強い立場にあります。強い決意で臨んだこと、それ故にその後もしっかりフォローする責任を持つことを感じたものです。

2019年

11月

01日

猫の「ジャンヌ・ダルク」総裁から感謝状

2019年

11月

01日

『これでいいのか、日本!』で自由討議

 「ラジオ日本」の『これでいいのか、日本!』。政治評論家「清水勝利」さんのレギュラー番組で楽しく議論ができました。環境問題、少子高齢化(とりわけ少子化)問題、外交安保、経済政策、柳井 正(ユニクロ)会長の警告、政治家の役割、原発処理水問題・・・テーマはあまりに多岐にわたり、些か焦点は散りましたが、清水勝利さんの「政治家は全て(議論ばかりでなく)結果を出さなければならない」との主張には押され気味で、私も今後一層心掛けようと思いました。

(注)『柳井正 警告』とは。日本は平成30年間に国際的に経済的地位を大きく落としてきた、このままでは日本は消滅する、過去の成功体験から脱却して、国内態勢、意識改革、外国人の登用、GAFAへの挑戦、ボーダレス産業の育成などを急がなければならない・・・という警世の言葉。

2019年

10月

30日

緒方貞子さん逝く。「国際益」と「国益」のこと。

  元国連高等弁務官、元JICA(国際協力機構)理事長の緒方貞子さんが亡くなった。外交安全保障分野では重要な役割を果たし、戦後日本の平和外交を象徴するような人で、「難民支援」の代名詞でもあった。政府の外交議論にはいつもどこかで見え隠れされた。

  自民党にも来られたことがある。確かJICAの理事長であった。大会議室で経済援助、難民支援について熱の籠った講演をされた。その時何度も「国際益」という言葉を使われた、途上国への援助こそが、回り回って、日本のためにも役に立つという脈絡であった。緒方さんの思想と哲学そのものであった。
  後半質疑に入った時、私は一番に手を挙げて、敢えて発言しました。 「国際益」という言葉は初めて聞きました、大変に尊い言葉です。ただ「国益」を踏まえての「国際益」でなければならない、如何なる経済援助にもそれが日本の「国益」に繋がるかを考えることも必要だと思います。
会議場は一瞬凍りつきました。若き時代の、緒方さんとの思い出です。

  享年92歳、本当にご苦労様でした。ご冥福をお祈り致します。

2019年

10月

29日

AFS 留学制度 65周年記念式典

  AFS (American Field Service )という組織が日本の高校生を対象にアメリカへの留学制度を発足させてから65年が経ち、その記念集会が東京オリンピック村で行われました。多くの関係者、現在の若い留学生も含めて400人ほどが集まりました。
  私も実はその9回目のプログラム(1962〜3年)でアメリカに渡り、最も多感な高校生で1年間の貴重な外国体験したのです。今日は私も先輩、来賓として呼ばれ、昔の思い出とこれからの期待を挨拶させて頂きました。(『ヨッシーが町にやって来た』に詳しい。)

  American Field Serviceとは、第二次世界大戦で欧米諸国、とりわけヨーロッパ戦線で多くの犠牲者を出した反省から、戦後の復興、国作りの過程で、人々の平和的交流、とりわけ若い人々を積極的に交流させることが 重要とされた。アメリカを中心にその運動が展開され、高校生の留学制度として成立した。

  私は、いかにこの所期の理念が尊くも正しいものであったかを身をもって感ずるものであります。日本から外国に2万人以上、外国から日本に8000人くらいがすでにこの制度で交流しています。

2019年

10月

26日

天皇陛下 「饗宴の儀」

  多くの国会議員らとともに「天皇陛下即位礼」に続く「饗宴の儀」に出席しました。宮中「豊明殿」と言われる大広間での会食ですが、その全景、舞台付けには圧倒されます。皇族、安倍総理、三権の長ほか3〜400人の盛会で、この場に参席出来る幸運をしっかり心に刻みました。
  天皇皇后両陛下は、この「饗宴の儀」を4回にわたって主宰される(今日は第2回目)ということで、本当に大変なことと拝察します。大切な国事であり、心から感謝とお労いを申し上げます。

2019年

10月

25日

元太宰府市長 「井上保廣氏」を悼む

  元太宰府市長 井上保廣氏が急逝されてただ驚き、大きく落胆しています。平成19年から2期8年、市長を務められた。直情径行、物事を何事もきっちり処理する性格で、地域のためには本当に多くのことを遂げられた。九州国立博物館も仕上げられ、今日で開館から15年を迎えますが、すでに1300万人を超す来場者を数え、国内のみならず東アジアでは最も活発な博物館と評価されています。平成20年12月には麻生太郎首相が率いる日中韓3カ国首脳サミットも開かれて太宰府に国際政治の歴史を刻みました。
  井上氏は全国遺跡保存市長会会長としても全国を駆け回りました。また平成23年3月の東北大震災では、姉妹都市 宮城県多賀城市には特別に援助協力態勢を組み、大いに感謝されていると聞きます。
  なお私とは政治的にも行政的にも軌を一にしており、当然ながらお互い緊密な情報交換に務めてきました。ここで同氏を突然に失ったことの無念さは大変大きいものがあります。平成27年、市長3期目の選挙では、われわれの油断もあってつい不覚を取ったことは今もって心残りであり、せめてはそこから貴重な教訓を得たこととなっています。
  井上氏のご冥福を心からお祈り致します。

2019年

10月

25日

「励ます会」(東京大会)、大盛会、有難うございました。

  恒例の「原田君を励ます会」(東京大会)が開かれ、本当に多くの方が応援に駆けつけて頂きました。大枚(会費)を叩いてのご参加には心苦しくも思いますが、これからそれに相応しい活動でこそ応えなければなりません。環境問題もライフワークとして取り組みます。
  今日は麻生太郎財務大臣、河野太郎防衛大臣、小泉進次郎環境大臣、田中和徳復興大臣を含む多くの来賓から力強い言葉を頂き、勇気百倍、大臣期間に控えてきた政治的言動も今は自由に解き放たれて闊達に行います。内外多くの珍客もあり、私はまだまだ「発展途上(!)」ということを改めて自覚したパーティでした。

2019年

10月

22日

キルギス共和国 大統領とともに

  中央アジアの「キルギス共和国」とは、私も殊の外強い関わりを持って、議員連盟の副会長も務めています(会長は中谷元 元防衛大臣)。「天皇即位礼」の後、議員連盟として茶会を催し、ジュエンベコフ大統領らと親しく懇談しました。未だ貧しい小国で、中国、ロシアという大国に挟まれながら、日本との絆を大事にしてひた向きに生きようとする大統領の一言一言は胸打つものがあります。経済支援、地域開発など、日本のやるべきこと、議連の課題もたくさんあり、懇談は大いに有意義でした。私の発足させた「日本・中央アジア環境大臣会議」についてもしっかり発展させようということになりました

2019年

10月

22日

天皇陛下「即位礼正殿の儀」

  10月22日、天皇陛下「即位礼正殿の儀」が厳かに行われました。宮中では外国元首ら、政府要人らとともにわれわれ議員団も古式豊かな儀式に出席することが出来て(約2000人)、またとない光栄な瞬間でした。私は平成2年の「天皇即位礼」にも出席しており、身の幸運を改めて感謝しています。雨の中ではありましたが、儀式も滞りなく終えて、いよいよわが国も若き天皇とともに新しい時代を進むこととなりました。

2019年

10月

22日

エルサルバドル副大統領を迎えて

  いよいよ明日は「天皇即位礼」で国内では興奮が高まっています。世界各国から元首を含む要人来賀が続いています。中米の「エルサルバドル共和国」のフェリックス・ウジョロ副大統領が来られたので、議員連盟(会長 原田)として歓迎会を開きました。同行のベネキ外務副大臣、在京のマルタ・セラヤンディア大使ほか、当方 議連の林幹雄 党幹事長代理、大野敬太郎 議連事務局長 出席。
  同国と日本は外交関係85年と長く、繋がりはもっと古い。
会食は大変楽しいひと時でした。同国は中南米の中で、親米関係を貫いていますが、対メキシコやベネズエラ、対中国、また移民問題、パナマ運河問題、環境問題など難しい問題に囲まれており、何処の国も楽でない、一方日本には一層の協力強化をお願いされたところです。

2019年

10月

20日

船上での友人喜寿のお祝い

  川崎市時代の親友で公認会計士 「増山雅久氏」が喜寿(77歳)となり、皆んなでお祝いしました。東京湾を走る遊覧船の中という洒落た場所で、本当に楽しいひと時でした。増山氏は事業を手広く進めており、大阪や東京、神奈川の同業者、経済界など厚く幅広い人脈で、彼の人柄が偲ばれます。変わり種には(田中角栄元首相の孫で)同業の「田中雄一郎氏」もおりました。ご家族や従業員を非常に大事にしていることも見て取れます。
  私とは青年会議所(JC)仲間で、選挙に出る時にはどれだけ世話になったか、会えば直ぐ昔の青年時代に戻ります。

2019年

10月

19日

英国エリザベス女王の軍楽隊が皇居広場に ( 中止のご報告)

  天皇陛下御即位祝賀のために、英国エリザベス女王派遣の王室軍楽隊が皇居外苑広場で演奏する予定でした。日英王室の限りない弥栄(いやさか)を願う素晴らしい企画でしたが、生憎の雨天のため中止となりました。主催の稲川素子さんら、関係者一丸となって万端整えたところでしたが、その思いこそ皇居にも十分届いたものと信じます。私も多少の手伝いを通じて珍しい経験もしましたし、多くの人にご心配もかけたところです。
  なお写真は前日の現場打ち合わせ模様。

2019年

10月

18日

靖国参拝

  靖国神社秋季大祭に議員団とともに参拝しました。私には都合が付かず数年ぶりの参拝になりますが、毎度本当に厳粛な気持ちとなります。先日の地元「大刀洗飛行場」記念祭への追悼といい、私たちは先人たちの犠牲とご苦労に対して一時も感謝の気持ちを忘れてはなりません。

2019年

10月

16日

台風19号、緊急対策本部、自民党本部

  台風19号の被害は全国で増え続け、また政府の対策も進んでいます。自民党本部では緊急対策会議が開催され、その中間報告と政府各省の対策状況を聴き取りしました。関係地域出身の議員たちからも懸命の現地報告もありました。
  自民党は責任政党として、如何なる事故、事件に対しても現状把握と総合対策の立案に全党挙げて取り組みます。

2019年

10月

15日

「大刀洗(たちあらい)飛行場」100周年、「大刀洗平和記念館」10周年、記念式典

  福岡県にあった「大刀洗飛行場」は開場100年になる、かの太平洋戦争では日本陸軍最大の空軍基地として機能し、特攻隊員を送り出しや多くの戦争犠牲者を生んだその場所として語り継がれる。
  「大刀洗平和記念館」はこれら太平洋戦争の歴史事実をしっかりと後世に伝える生き証人で、今日まで130万人の来場を記録する。筑前町は今や全国に「食(農業)と平和の町」として知られる。私もその建設に手伝いしたことを誇りに思います。

2019年

10月

14日

空前の災害、台風19号

  台風19号は空前の被害を東日本全域にもたらした。三重から始まり静岡、神奈川、東京、長野の千曲川、栃木、群馬と東北一帯、かつてこのような広がりを見せた台風はなかったようです。千葉県などはひと月前の15号台風の停電も修復ならないまま。
  「川崎市高津区、中原区」は多摩川決壊で大変な被災に。私の昔の選挙区でよく知っているだけにテレビ報道は痛々しいもので、多くの人々を思い出しました。

2019年

10月

14日

「嗚呼、主よ、キリストよ、守り給え。」

  「西南学院中学校」の同窓会総会。多くの旧友と懐かしく出会いました。私は中学3年で福岡市の西南中学校に1年間だけ通いました。学区制があって県立高校を受験するには私立学校しか選べなかったこと、母親が私のことに懸命で、キリスト教の私立学校を何処かから探してきたのでしょう。
  学校では 聖書(バイブル)を読み、教会での水曜日礼拝、讃美歌を大声で歌う、田舎の公立しか知らない私には余りに初めての経験でした。それでも直ぐに慣れ、学校でも多くのことを学びました。 良い先生と友達に恵まれ、幸い学校の成績もトップクラスで、受験の時期とはいえ良い思い出しかありません。外国人教師など西欧的雰囲気も憧れでした。
  西南学院の生活はこの時だけでしたが 、キリストと出逢うというのは、私の人生にとっては大きいものでした。 宗教というものを始めて意識したこと、その数年後、高校留学ではアメリカ人家庭のキリスト教生活にどっぷりと溶け込んだものです。
  同窓会総会では出身政治家として呼び上げられたので、「・・・私はキリスト者ではないが、Be true to Christ.(キリストに誠実たれ!)という建学の精神はいつまでも身に着いています・・」と挨拶致しました。私は確かに人の持つ信仰を大事にできるように育ちました。目に見えぬものが、きっとそこにあることを感得するようにもなりました。

  しかも時にふと思うこと。私はたった1年間なのに「西南中学校卒業」というだけで、多くの人々が選挙では応援に回ってくれました。西南学院は幼稚園から大学まで、100年を超える歴史、福岡県では一大学校グループを作り上げています。これもまた神の仕業に違いないと何時も感謝しているのです。 (当時は男子校、今は共学です。)

2019年

10月

10日

自民党会議「人生100年時代、全世代型社会制度」

  自民党の朝の社会制度委員会は表記の課題で、実に重要かつ中身の濃い会議で、1時間の予定をはるかに超えて終わりません。私も久しぶり自民党本部の会議で、多くの議員たちの真剣な討論を聴き、自分の勉強不足を感じました。
  日本医師会の横倉会長も、歯科医師会長、薬剤師会長とともに基調講演をされて全体の議論をリードされました。この会議は、しばらく継続し、今後の日本の社会制度政策の基本を提示します。

2019年

10月

09日

「原田氏は卑怯」か

  「原田氏は政治家として卑怯だ」と「田崎史郎氏」は言った。福島原発の処理水の海洋放流問題がテーマになった昼のテレビ番組(10月3日 TBS 「ひるおび!」)で。私が大臣辞任の前日、最後の記者会見で発言したことについて、なぜ逃げるように発言したのか、なぜ在任中に発言しなかったのか、ということを指したもの。
政治家はその言動について如何に批判をされようとも覚悟の上ですが、「卑怯」という言葉は容赦できません、政治家が最も嫌う、最も人格を傷つける表現だからです。私は未だ「卑怯」と言われた記憶はありませんし、「卑しい」とか「ずるい」とかだけは言われないように心掛けてきました。私は決して自分を立派とも、まして完璧な人間だとも思っていません。多くの欠点のある普通の人間ですが、ただ少なくとも政治家として立派であろうと不断の努力はしているつもりです。
  そしてこの福島原発の処理水問題につき、1年近く思い巡らせてそれを発表したことに対し「卑怯だ」と言われる筋合いは全く見出せません。
私はそのことでTBS社に抗議しました。担当者レベルで謝罪も受けました。私は田崎氏にはその旨しっかり伝えて欲しいと依頼しました。

  昨年10月、大臣就任早々に福島の原発事故跡の現場を視察しました。広大な敷地に1000個にも及ぶ異様なタンク群と「今後の見通しは立っていない」という東電職員の説明に、これでいいのかと素朴な疑問と強い違和感を持ったのが最初でした。爾来、折を見つけて、政府の担当者、多分10人を超える専門家とも個別に意見を交換しました。意識的に新聞記事など周辺情報も集めました。とりわけ「原子力規制委員会」委員長 「更田(ふけた)豊志氏」が一貫して「処理さえすれば、放出しても良い」、「国際的安全基準は心配ない」の発言には大変心強く思いました。前任の委員長「田中俊一氏」も同じだったと聞きました。

  大方の人が、「放出やむを得ない、しかしそれを言えば大変な混乱を起こす」という印象でした。経産省の小委員会ではつい結論を出せないまま、延々と日が経ってきた。様々の方策、例えば貯留水を蒸発させる方式、地下に埋める方式、「凍土壁」を作って放射能デブリ(燃料廃棄物)と遮断する方式、遠く外洋に捨てる方式・・・いずれも現実的な解決とは思えなかった。処理水は今も毎日170トン増えている、この8月の貯留量(累積)は115万トンになる。2022年夏には137万トンとなり、既設の貯留スペースは満杯となり、どこか広大な場所を探さなければならない。いつ終わるのか、予測は立たない。その費用は一体誰が負担するのか、も大事な論点である。

  記者会見では、記者団に訊かれるままに、福島原発に触れた時「海洋への放出、稀釈しか残された選択はない」と発言しました。記者団は少し騒ぎになりました。私はその瞬間誰かが言わなければならないと素直に決断しました。本件、厳密には経産大臣の専管事項であって所管外の人間が発表する案件でなかったこと、しかし自分は広く原発問題を扱う「環境大臣」、「原子力防災担当大臣」であり、それ以上に『国務大臣』としての仕事があること、政治家として最後の勇気を振るわなければいけないと咄嗟に判断したものです。

  私はそのことも、またその後に起こったことにも、一切後悔はしていません。

2019年

10月

07日

(相手のいない独り言)「雑踏と孤独と幸せと。」

  終便を待つまでの福岡空港、1人、ロビー廊下のベンチにしばし座っています。多くの人が歩いています。次から次から、右から左から、人が湧いて来ます。これから乗る人、もう降りて帰る人。会った人、別れる人。幼児が駆けていくのを、父親が追っかけて、子供が転び、泣いていました。並ぶお店は最後のお土産で、賑わっています。どの店にも『博多通りもん』(銘菓)が積んであります。皆んな生き生きしています。今日1日はきっと楽しかったのでしょうか、悩みの顔は見当たらない。
  1人でいるなど本当に何年ぶりです。寂しいかって?いや、とても幸せです。そして日頃の生活に感謝を思います。明日朝もまた、早やそうです。機中では、一寝入りできるかも・・・

2019年

10月

07日

天皇御即位奉祝「福岡県民大会」

  天皇御即位奉祝「福岡県民大会」が福岡市で行われました。10月22日「即位の礼」への雰囲気が次第に盛り上がってくるのを体感致します。

  第2部としてサンマリノ共和国大使「マンデロ・カデロ」氏の記念講演がありました。カデロ氏は日本で最も長い駐箚(ちゅうさつ=駐在)大使で、現在日本への外交団団長を務めておられる。サンマリノ本国に正式な神社を建立し、日本と皇室とを非常に大事にしておられる。サンマリノとはイタリアの内陸にある、共和制の小国です。

2019年

10月

06日

日米韓、議員指導者会議

  名古屋市で開かれた「日米韓、議員指導者会議」に、福岡からとんぼ返りで出席して多くの関係者と出会いました。太平洋を挟んだ平和と繁栄がテーマで、とりわけ日韓の外交的暗礁が議論されました。なかなか名案が出て来ないのも今回の特徴です。
  米国の有名なギングリッジ元下院議長(共和党)とも短く会話しましたが、思ったより紳士でした。

2019年

10月

06日

1964年東京オリンピック、五輪の飛行雲、青空に

  1964年10月10日、東京オリンピック開会式。青空にいきなり飛行機が5機飛んで来て、鮮やかな5輪を描いて、また遠くに飛び去りました。航空自衛隊の「ブルーインパルス」という部隊ということを後で知りました。
  その「ブルーインパルス」の隊長だった人が、今日の 新聞(読売)に墓碑銘で載っていました。日本人にどんなに誇りと自信を与えた飛行だったか。実に私はその真下、「国立競技場」の中にいたのです。澄み切った青空、5つの真白い輪、首が痛いくらい見上げたものです。
  「父は来年のオリンピックは是非見たいと言っていましたが、遂に果たせませんでした。」というのは息子さん。皆んな、追憶の中で、この瞬間は生きているのです。

2019年

10月

05日

福岡での激励会「日本を語る会」

  臨時国会が始まりました。明治期から数えて200回になるという記念すべき国会会期で、私も当然ながら気持ちを新たに頑張る決意であります。

  地元福岡で、「日本を語る会」として激励会を開いて頂きました。ほぼ恒例とはいえ、毎度多くの皆様に物心多大な負担をお願いするのは恐縮の至りですが、その分政治の本務でしっかりと返さなければなりません。閣僚を降りて、新たな気持ちでその職務に当たることを皆様に訴えました。

2019年

10月

04日

自民党 外交部会へ復帰。青山氏「習近平国賓、断固反対」

  久しぶり、自民党の外交部会に復帰しました。閣僚時代には、もちろん政府部内が混乱せぬように言動は控えていましたが、内心の葛藤は大きいものがありました。
  早速思いの一部を発言しました。
1 )中国の尖閣列島への進出、領海への侵略は目に余るものがある。以前のように政府、外務省は中国への厳しい抗議を毎度やっているのか、首脳会談、外相会談の際正面から侵略は止めろと言っているのか。今、日本と中国は空前の関係改善などと言っているが、浮かれておられる状態なのか、と質問しました。
  すると、青山繁晴議員が私をフォローして、来春には習近平主席が来日するなどが議論されているが、このままでは「国賓招待などは断固反対」すると発言された。


2)ロシアとの北方領土交渉に付いて、今や2島も返ってくるか懸念されている。私は過去に「4島一括」としか演説した記憶はない。2島に落とし込むのなら、日本が4島に徹底的に拘った末にロシア側こそが「2島で許してくれ」と妥協してこさせるのが領土交渉のイロハである。平和条約への道筋に付いてもう一度「4島一括」を復活させるべきではないか。


3)イランへの外交活動にはローハニ大統領を相手にするのでなく、ハメネイ最高指導者を目指さなければ全く効果がないと言われる。再検討して欲しい。

2019年

10月

03日

日テレ『深層ニュース』に出演

  人気番組、辛坊治郎さんの「深層ニュース」に出ました。福島原発処理水の海洋放出問題と関西電力の不明朗金銭問題がテーマ、特に後者は余りの酷さに声を失う。いずれもいくら時間があっても足りない重たいテーマ、私には大いに得意分野であるが、テレビ出演というあの時間帯でどこまで言えたか、分かってもらえたかは自信がない。ただ辛坊さんらの「政治が悪い」、「電力会社が悪い」類いのやや一方的まとめ方にはいささか意見を異にする。番組の性格上やむを得ないのか。
  私もこのところすっかりマスコミ付き合いが多くなり、発言と影響力には十分気を配らなければなりません。

2019年

10月

01日

誕生日にあたり

  お陰様で誕生日を迎えました。75歳という歳になって気がつくのですが、我ながら今日まで本当によく元気に頑張った、そして心身ともに40歳くらいに生気が漲っており、今は亡き父母に、この立派な五体を授けてくれたこと、あの子どもの時代になんと手塩に掛けて育ててくれたことかを改めて感謝することになります。
  今後益々、社会国家のために努力を続けたいと思っております。皆様の更なるご叱正をお願い申し上げます。

  多くのfbの友人たちから心のこもった誕生日お祝いを頂きました。いちいち返事は書けませんが心から感謝していることをお伝え致します。ご期待のとおり、これからもしっかりと務めを果たして参りますのでよろしくご指導お願い致します。

2019年

9月

30日

「上杉鷹山」の思想と業績(その2)

≪財政改革 ≫
倹約の徹底、一汁一菜、絹から綿へ、奥女中 50人ー>9人、「上書箱」(投書箱)、「元払帳」(金銭出納帳)
≪産業振興≫
養蚕、絹織物(「米沢織」)、木工(「笹部一刀彫り」)、和紙(漆、こうぞ)、陶磁器(「成島焼」)、「籍田の礼」(藩主が鍬入れ儀式)
≪精神改革≫
藩主は「民の父母」、勧善懲悪、慣習の打破(乗馬する位置、祝宴の料理、下級武士への声掛け)
『伝国の辞』(家訓)、国家は私物でない、祖先から子孫へ、民は国家に属する、藩主は国家、人民のために働く、民が藩主のためにあるのではない。
教育機関「興譲館」の創設(人材育成には100年かかる)
≪福祉政策≫
出生手当金、養育手当金(15歳以下5人の家族に)、養老金、敬老金(老人は邪魔者ー>家の誇り)

 

(参考)

・内村鑑三「代表的日本人」“Japan and the Japanese” (1894 )、「上杉鷹山、西郷隆盛、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮」、 ケネディ大統領、クリントン大統領「上杉鷹山」

・米沢藩の貧窮した原因 関ヶ原では敗軍(石田三成側)に付いた。120万石から15万石に減封、重税を科して人口逃げる(13万人ー>10万人)

2019年

9月

29日

今こそ「上杉鷹山」。宮崎県 高鍋町との姉妹都市 文化交流

  宮崎県 高鍋(たかなべ)町と福岡県 朝倉市とは50年を越えて姉妹都市にあります。翌日の文化交流大会を控えて歓迎晩餐会、私は「今の時代こそ、上杉鷹山(ようざん)公の精神と業績を学び直そう」と挨拶しました。
  江戸時代の名君の筆頭と讃えられた上杉鷹山公。出羽国米沢藩(山形県米沢市)藩主 は、その祖先を朝倉市秋月に持ち、秋月は縁組で日向国高鍋藩(宮崎県高鍋町)と繋がっています。
  鷹山は高鍋藩主の次男として江戸屋敷に生まれ、早くに米沢藩に養子にとられた。利発さを頼まれ弱冠17歳で米沢藩主となった。余りに貧窮を極める米沢藩を立て直すことは容易ではなかったが、財政改革、産業振興、何よりも精神改革に努め、35歳で引退する時には米沢藩を稀代の雄藩にまで育てた。
 「為せばなる・・・」の格言は余りに有名。米JF ケネディ大統領が最も尊敬する日本人と讃えた。
  私が最も敬愛する偉人でもあります。

2019年

9月

29日

西日本新聞 9月29日

2019年

9月

26日

国際水素エネルギー大会

  中国江蘇省 如皋(じょほう)市で行われた「第4回国際水素エネルギー大会」は、1000人を越す出席者、企業など予想以上に大規模な大会で、水素エネルギーに対する国際社会の関心の強さと中国の意気込みを思わせるものでした。
偶然ではない、昨日は東京で日本(経産省)主催の「第2回水素閣僚会議」が行われており、私はその説明ととに、元大臣さらに国会議員の立場で日本の現状と政策的な考えについて演説しました。一般論では、日本の水素技術の水準は世界でトップクラスを走っているようで、私は自信を持って政策展開と今後の発展分野、自動車のみならず列車や船舶への展開などにも触れました。外の壮大な展示会場でも各国から相当な新製品の展示が出されており、かつ深圳(しんせん)地区初め他都市からのイベント招待も受け、日本もうかうか出来ないというのが率直な感想です。

  なお昨日、上海では日本の「森ビル」系に立ち寄った。創立10年を迎えるというが、その際は中国全土一のビルで、101階建て、高さ100メートルを超えた。今は昔の印象であるが、そいう時代もあったこと、日本も自信を失う必要はない。

2019年

9月

25日

中国・上海に出張、水素エネルギーの国際協力

  水素エネルギーは、エネルギー政策として各国で研究開発が進んでいますが、中国の熱意も大変なものがあり、上海の「上海交通大学」を中心とするグループから呼び掛けを受けて出席しています。私は日本の環境政策を概説した上で、地球温暖化対策、再生エネルギーの必要性、とりわけ「究極の環境型エネルギー」としての水素エネルギーを開発することの重要性を訴えました。環境省と九州大学がその協同研究を始めたこと、5月にはフランス、ドイツに現地視察に行ったことも紹介し、日中の協力にも積極的に臨むことを約しました。
  言うまでもなく、中国の経済開発は目覚ましいものがあり、その研究態勢からして意気込みが違う。多くの分野での日中協力は将来に亘って進むと思われますが、しかしわが国としては自らの態勢を十分に固めて、ことに臨むことが必要であります。

  午後には3時間離れた如皋(じょほう)市まで移動、余り有名でない都市ですが人口150万人、深圳((しんせん)に負けない工業都市で、その概要も紹介されました。なかなかの迫力で、これら地方都市の躍進ぶりこそ中国の底力であると学ぶところ大いに感じました。夜は晩餐会、明日の「水素エネルギー大会」に備えます。

2019年

9月

25日

国連・気候変動サミット 、 グレタさん「怒りの演説」

  国連の気候変動サミットは終わったが、ハイライトはスェーデンの環境活動家グレタ・トーンベリさん(16歳)の存在、彼女は今の環境政策、温暖化対策に対し怒りを持って糾弾し、世界の指導者たちに抜本的改善方を訴えました。私はかねがね世界の青年達の環境活動に対して強い関心と敬意を持っています。
  最も温室効果の高い「石炭火力発電」の抑制についても特段の議論が行われたが、具体的対策には結びつかなかった。

<石炭火力問題について>

環境大臣を辞してこの方、福島県の原発処理水の放出問題では大きな議論を喚起し、報道も含めて世論の認知度と関心は広まった。大変に良いことだと思います。一方環境省は石炭火力の抑制、撤廃こそ日本の環境政策の最大課題であると標榜しています。政策としては一貫してそのことを訴え、計画中止を決める企業まで出てきたが一般論でははるかに不十分であった。私は、その最大の関係者たる東京電力(株)を呼び出し、その旨説得し、ついには当該社長宛て環境大臣からの文書を発出し、その抑制要請を行った。おそらく極めて稀な措置であり、他省からは抗議を受け、官邸の一部からも注意を蒙った。私はしかしそれを実行した、なぜなら、環境大臣でいる限り、私こそが日本の環境対策の最終責任者であって、決して逃げてはならないと思ったのです。( 8月25日 fb 参照のこと)

  今日テレビで見たグレタさんの演説は本当に激しいものでした。グレタさんは泣いていました。私も心で泣きました。地球温暖化も石炭火力対策も事態はそれ程に急迫しているのです。

  元々環境問題に不熱心と言われた米トランプ大統領が、国連の議場に急遽顔を出し、すぐ退所した。偶然にもグレタさんと出口で鉢合わせになったという・・・

2019年

9月

22日

産経新聞 9月21日

2019年

9月

21日

お寺での講話

  東京都品川区の桐ヶ谷寺(曹洞宗 黒田純生師)で檀家のみなさまの前で講演をしました。多くは年配の方々が相手でしたが、私の略史と政治にかかる思い、最近の動きなどを話しました。
  住職の黒田師は小山台高校(品川区)の先輩にあたり、私は大学を出たあたりからこのお寺に往き来するようになりました。師は四肢に大きな障害を持っています。詳しく存じませんが、青年時代、ガス会社だかの業務で仕事中、事故で倉庫の中に取り残され全身大火傷、文字通り九死に一生を得た方です。お寺を継ぎ、黒田師は社会活動も活発で、私は何故か当時からこのお寺に「先輩、先輩」と訪ねていました。選挙に出るときもいろいろとご指導頂いたものです。久しぶりお寺に戻ってきて、懐かしい思い出にも浸りました。お寺は、また他所にない、自らを振り返る、見つめ直す場所でもありました。

2019年

9月

21日

週刊文春

2019年

9月

20日

「アパホテル横浜」のオープン式

  「アパホテル横浜」がオープンしました。全国で最大級2400室を備える、元谷外志雄(もとやとしお)代表の気合いが相変わらず凄い。常に世界に目を向けて伸びようとする。私も祝辞に立ち、ホテル運営には常に環境を重視されていること、元谷代表の「2兎を追え」(実業と確固たる保守思想)を最も学んでいること、を話しました。

2019年

9月

20日

「TBSテレビ」に出演

  BSーTBSの『報道1930』に出演しました。ゴールデンタイムの人気番組で、視聴者も大変多いと言われます。テーマは、原子力発電処理水の海洋放出問題と今日判決された東京電力元幹部の福島原発の津波被害責任(刑事無罪)問題、ほかに小泉環境大臣との事務引継ぎや福島対策など、多岐に亘った。キャスターと都合3人の学者、コメンテーターとの討論会で、私の得意分野でもあり、もっと時間さえあれば、という気持ちでした。
 「海洋放出」という私の発言がこんなにも大きくなるとは内心驚きですが、「社会に一石を投じた」というのは事実で、実際の社会を変える大きなインパクトにもなると思われます。連日のテレビ出演、新聞取材、週刊誌での報道など、余り経験のない扱われ方で、自分も政治、社会的に大きな存在になったという自覚と自信を持たなけれなりません。今後もしっかりフォローして参ります。

2019年

9月

19日

報道について。お詫びと真意。

  「原発処理水」については、お陰さまで活発な報道が続いております。これらの問題が広く国民の関心を呼ぶことは決して悪いことではないと思っています。
  今日のある報道では、私が後任の小泉氏に対し一定の政治的方向を「忠告した」なぞの記述があって、それが事実上全国ニュースと広がっていました。私が記者会見したのは9月10日(火)午前11時頃で、後任大臣を知る由も無い段階でした(判明したのは、同日夕方)。更には引退する大臣が後任の大臣に、直接であれ、間接であれ、「忠告」を残すなどは決してあり得ない話です。自由、開放的なマスコミ取材で、その分丁寧かつ注意して発言したところではありますが、私の真意は必ずしも伝わっていない、一旦外に出た記事は止めようもありません。
  あるいは小泉大臣初め政治関係者、読者に対して大変な誤解やご迷惑を与えたのではないかを心から心配しております。 結果、自分の不注意を責めるしか方法がないもので、今後更なる慎重さが必要ということを改めて思った次第です。

2019年

9月

18日

オーストラリアの高校生

  オーストラリアの高校生らの訪問を受けて、久しぶりリラックスしました。私は海外研修留学生の世話をしていますが、混迷し始めた国際関係の中で、若い人々をしっかり交流させることは大変大事なことと考えています。
日本語にもなった「ブーメラン」(boomerang)という言葉は、オーストラリアの原住民から来たということも改めて話題になりました。

2019年

9月

18日

「原発処理水」報道、続く

 「原発処理水を海洋に放出する」とした私の発言が多くの報道に取り上げられています。国民の認識と関心が広まることは決して悪いことではありません。ネットでのコメントも前向きで、産経新聞は社説で応援し、テレ朝の「報道ステーション」でも真面目に取り上げられました。 押し並べて私の考えに肯定的な意見が多いことには勇気付けられます。私も丁寧にフォローすることが必要です。  

2019年

9月

16日

小泉進次郎君のこと

  小泉進次郎君は今最も有名な政治家の一人で、将来も大いに嘱望されている。その人気は政界を超えて社会現象にさえなっている。その彼が、環境大臣に任命され、私の大臣後任となったことで、私までついでに報道に露出することが多くなった。
  私は実は、小泉家とは浅からぬ縁がある。ご尊父 小泉純一郎氏は言うまでもない、名実ともに一世を風靡した元首相である。その彼と私は若い頃、昭和の末から平成の初めまで約10年、中選挙区の神奈川県2区(横須賀市、川崎市)で選挙を争った。昔の中選挙区というのは、同じ自民党同志で血で血を洗うような激しいものがあった。私は平成2年に初当選を果たした。 平成7年には生まれ育ちの福岡県に移り、小選挙区5区(太宰府市など)で当選するようになった。政治家は選挙区さえ同じでなければどんなにでも親しくなる、ということで、私は小泉厚生大臣の元で、政務次官として、1年半近く一緒に仕事した。「介護保険法」の成立こそこの時の最大の思い出である。可愛がって貰ったこともあり、私は小泉氏の自民党総裁選(平成13年)においては、若手としての応援演説を繰り返し、恩返しをしたつもりだった。
  時経て、進次郎氏が初当選(平成21年)の頃、「君は俺のこと知っているか」と聞くと、「もちろんよく覚えています」という。中学1、2年頃まで、私は父親と激しく横須賀地区で中選挙区選挙をやっていたことになる。

  進次郎氏はその後、目覚ましく成長した。その活躍ぶりは有名で、今や知らぬ日本人はいないだろう。非常に鋭い頭脳と感性を持ち、日本の近い将来を任せるに若過ぎることはないというのが私の率直な印象。親父純一郎氏を超えるか、の問いも決して的外れでない。その彼の初入閣が環境大臣の後任というのも、私にとって不思議な因縁ということになる。まずは、思う存分持ち味を発揮してくれれば良い、私らはひたすら彼の行動をバックアップしてやることが大切であろう。実力以上に人気が先行、とよくいわれるが、今は何事にもじっくりと勉強することが大切で、それが彼の将来に活きてくる。

2019年

9月

13日

「他策は勿かりしか」。原発処理水(その2)

  「他策は勿かりしか」という言葉があります。本当に他の道は無かったのか?これは明治時代の外務大臣「陸奥(むつ)宗光」が発したとされる。
  1895年、明治政府は租借中の遼東半島を、独仏露3国の強い圧力を受けて清(中国)に返還させられた(三国干渉)。国内では「弱腰、軟弱」という非難が轟々と起こり、「臥薪嘗胆 (がしんしょうたん)」という言葉が流布した。その政治責任で窮した外務大臣 陸奥宗光が発したとされる。
  「他策」= 他に方法は無かっただろうか? 全力で努力したが、結局他の方策は見つからなかった。あらゆる非難や批判は覚悟の上、この結論を選択した。責任はもちろん取る、いずれ歴史が評価してくれる・・・『蹇蹇録(けんけんろく)』(「他策 勿かりしを信ぜむと欲す」)。
  なおこの「三国干渉」が歴史的には、その後の日露戦争(1905年)の遠因となったとされる。

 ※※※
「原発処理水放出」を発言するに、この言葉が常に脳裏にあったことを、私は敢えて申し添えます。

2019年

9月

13日

「原発処理水放出」のその後

  私の「原発処理水 放出」発言が、大きな議論の輪となって、マスコミ、報道でも大きく扱われているようです。小泉環境大臣に引き継がれたことで余計に注目度が大きくなった。実は漁業団体(全漁連)からも厳しい非難声明も出され、私は誠実に文書で回答もしました。

  正直言って、私はこのことを長いこと真剣に考えていました。昨年秋に現場を視察して、これでいいのかと疑問を持ったのが最初でした。政府の担当者、多くの専門家と意見交換しました。新聞記事など多くの周辺情報も集めました。とりわけ「原子力規制委員会」委員長 更田(ふけた)豊志氏が一貫して信念を持って「放出しても良い」、「安全基準は心配ない」の発言にはいつも心が震えました。
  大方の人が、「放出やむを得ない、しかしそれを一旦口に出せば本当に大変なことになる。」政府の委員会ではつい結論を出せないまま、延々と日が経ってきた。様々の方策、例えば貯留水を蒸発させる技術はないか、といっても現実的なものは出てこない。処理水は今も毎日170トン増えている、この8月の貯留量(累積)は115万トンになる。2022年夏には137万トンとなり、既設の貯留スペースは満杯となり、どこか広大な場所を探さなければならない。いつ終わるのか、予測は立たない・・・。その費用は一体誰が持つのか、も大事な論点である。
  記者会見では、淡々と1年の行事を振り返りながら、福島原発に触れていた時、日頃考えたままに「海洋への放出、稀釈しか残された選択はない」と発言しました。記者団は少し騒ぎになりました。しかし私は、これでいずれは世の中が変わる、という不思議な自信も付いてきました。誰かが言わなければならない、自分はその捨て石になってもいい、と素直に自認しました。

2019年

9月

13日

小泉大臣と「事務引き継ぎ」、環境省に別れ

  小泉進次郎環境大臣と「事務引き継ぎ」を行なった。どの省でも大臣交代の時期に行う儀式ですが、小泉氏が相手の場合、大臣室には見たことのない多くの報道、マスコミ陣が殺到して、小泉氏の人気、モテぶりには圧倒されました。私のメディア露出も増えたことでしょう。
  2人は報道陣の前で簡単なコメントを交わしたうえで、しっかり握手、私は先輩として激励を送り、思い出深い大臣室を後にしました。

  引き続き職員を相手に離任のあいさつ、続いて多くの職員から、一階ロビー出口において盛大な見送りを受けました。万感を胸に環境省生活の全てを終えました。

2019年

9月

12日

大臣辞任、後任は「小泉進次郎氏」

  9月11日、臨時閣議にて辞表に署名、11ヶ月半の環境大臣を辞任しました。長いようで短いようで、ひたすら忙しくかつ全力で頑張って、思い残すことはありません。ただ政策課題は余りにも多く、私は、これからも環境議員として、また自らのライフワークとして携わっていきたい。
  パリ協定、COP24、G20環境大臣会議、サミット、プラスチック規制、レジ袋有料化、脱化石燃料、石炭火力発電規制、福島県や原発サイト、愛玩動物管理、国立公園・・・思い出は走馬灯のように広がる。環境と経済の好循環、ESG、グリーン経済、即ち環境対策にこそ金融界までが積極的に応援する。石炭火力抑制には懸命に取り組み、福島の復旧、復興、第一原発の汚染水処理にまで悩み抜いた。
  後任の大臣には、政治家として最も注目を集める小泉進次郎氏、若くして首相候補ともうわさされる。環境省に間違いなく新風を吹き込んでくれる。内外高い知名度で、環境行政のイメージアップとその積極的な推進に役立ってくれるに違いない。私には過ぎたる後継者と感謝しており、環境行政がさらに大いに発展することを期待したい。

2019年

9月

11日

「原発処理水、海洋放出しかない」発言

  閣僚としての任期も後1日となりました。閣議後の記者会見は今日で最後になります。「一年を振り返って印象は何か」との記者質問があったので、思いつくままに話しました。プラスチック汚染対策、パリ協定、原子力対策ほか動物愛護対策、国立公園視察、新宿御苑改革までその範囲は余りに広い。石炭火力の抑制については、遂に東京電力宛てに環境大臣の要請文書を発したことも思い出すままに話しました。
  そして東京電力福島の原発問題では、汚染処理水の問題についてはあえて「海洋放出、稀釈の方法しか解決策は残されていない。漁業者の被害、風評被害、韓国などの国際非難・・・など大変な困難は待ち受けているが、しかし、われわれは何処かで結論を出さなければならない。」と話しました。「この汚染処理水の排出については、安全性、科学的基準は全て満たされている。原子力規制委員会の委員長も2代に亘ってはっきりと早く放出稀釈すべしと発言している。世界の、日本の、全ての原発からは処理水海洋放出が当たり前のように行われており、何の問題も起こっていない。」「そして最も大事なこと、それは国が責任をもって漁業者を中心に地域の潜在被害者に全面的な補償を約束すること、風評被害や外国の風評懸念には、逃げずに正面から、科学的安全性と世界基準を徹底的に説明することで、必ず理解されるはずだ。」と続けました。

  福島の現場に行くと誰でも分かる、処理水を貯留するに何百の貯留タンクを作っており、2、3年後にはさらに新しい場所を見つけて巨大なタンクを作らなければならない。国民はその不条理には早く気づかなければならない・・・

  誰かが言わなければならない。この思いが多分私を追い立てた。汚染水対策は、厳密には環境大臣の所管でなく経産省の所管だという。しかし原発問題は国家国民にとって決定的に重要なもので、原子力規制委員会こそ最も権威ある環境省の部局である。私は「環境大臣」の前に「国務大臣」、その前に国民を代表する「国会議員」であって、国家に必要なことは発言する。国益のためには誰かが言わずに、この大問題をズルズルと引っ張るわけにはいかない。

2019年

9月

09日

令和初「全国豊かな海づくり大会」(秋田大会)に出席

  9月8日、天皇陛下御即位を記念する「第39回 全国豊かな海づくり大会」が秋田県(秋田市)で行われました。私は昨年(高知県)に引き続き、大島衆議院議長(大会会長)、吉川農水大臣らとともに出席しました。
  天皇皇后両陛下もお元気にご出席、当日の式典と前夜のレセプションと立派に務められ、秋田県及び全国の海洋、漁業関係者に力強い激励を与えられました。なお午後からの「稚魚放流」の儀式は、台風15号東京接近で急遽ご帰京、後は大島会長以下で務めました。秋田県民の熱烈歓迎ぶりは、両陛下にとっても感激されたものと思います。

2019年

9月

08日

「 日本は何故、清潔か」、『環境大臣感謝状』の授与

  環境政策は、環境省や行政が当然に仕事として進めていますが、実際には多くの民間の人々が人知れず環境保全のために頑張っておられます。その人々に「環境大臣感謝状」を授与し、細(ささ)やかながら環境省の気持ちの一端を表すこととしています。これらの人々は地域や社会において、長年信じたことをやり通し、それが結果として環境保全に大いに役立っています。

  「日本は美しい、何より清潔だ」と、外国の人は帰るときに必ず言って行きます。それは日本の「文化」だからと言うほど簡単なものではありません。環境を守るために国民全てに生まれ育った感性があり、また国中が不断の努力をしているからということです。私はそれが日本人の「美徳」であると解釈しています。外国に行くと、このことを特に感じます。
  私は大臣職を務めながら多くの人と接していますが、どんな場所でも環境保全を率先して引っ張る人がいることに気付きました。彼らに感謝し、これからさらに頑張ってもらうお願いを込めて、この「大臣感謝状」になったものです。

2019年

9月

05日

佐賀県 豪雨災害 視察

  8月末、佐賀県西部では降った豪雨によって大きな災害が発生しました。死者も3人出ました。環境省として現状の把握、今後の対策を検討するために現地を視察しました。山口 佐賀県知事、水川 大町(おおまち)町長、小松 武雄市長と面談し、陳情を受け、それぞれに全力で対応すべきことを伝えました。
  大町町は鉄工企業が冠水し、工業用油が流出するという事故となり、油の除去、拡散防止という大きな困難が伴っています。武雄市では商業地域から出た夥しい量の廃棄物をどう処理するかが焦点となっています。ことの大きさはやはり現場視察に叶うものはなく、財政負担の必要性も含めて、これらを官邸や関係省庁に伝えます。自衛隊も大きな役割を果たしており、自衛隊詰所に出向いて感謝の挨拶を致しました。

2019年

9月

05日

世界柔道選手権大会

  日本武道館にて世界柔道選手権大会、最終日の団体戦(男女混合)に辛うじて間に合いました。日本はホームグランドの有利さもあって、昨年に引き続き順調な成績を収めています。全柔連の山下泰裕会長(日本オリンピック委員会会長)らと共に、試合は安心して応援することができました。来年のオリンピック本番を控えて、選手も、また柔道界も着実に盛り上がっています。
  試合を見るに、審判ルールが変わってきたことで試合の印象が昔と大分違います。時代の流れでやむを得ません。おしなべて、内外とも、寝技のレベルが落ちてきたことが気になります。

  4、5年前、日本柔道界は、不祥事も頻発し、大変な時期にありました。今の落ち着きは隔世の感を思わせます。関係者の努力に敬意を表します。

2019年

9月

02日

9月1日、「防災の日」

  朝はまず「内閣府原子力防災大臣室」において身を引き締めました。
  続いて徒歩で官邸に出向き、官邸では安倍総理の主催「緊急防災対策本部」会議。東京直下型、震度7・5を想定に災害対策を検討。
  続いて、環境省に登庁し、幹部職員と防災対策会議。最後は私から防災訓示を発しましたが、「訓練は本番のように、本番は訓練のように」という慣わしの言葉で締めくくりました。

2019年

8月

31日

国連ハビタット事務次長、来訪。

  TICAD(「アフリカ開発会議」)横浜大会も終わり、その足で国連ハビタット(Habitat=人間居住計画)本部 事務次長が挨拶に来られて、今後の段取りを相談しました。ハビタット組織は途上国の住生活、住環境を向上させる非常に有力なNGO組織で(ケニア・ナイロビ)、日本も経済援助で大きく寄与しています。その日本の事務局は「福岡市」にあり、10数年前、その福岡誘致に私も手伝いました。
  環境省としても、個別に援助をしており、来年度はさらに援助額を増額することとしており、その際日本人の採用枠を増やして欲しい、と率直に申し入れしました。 事務次長はナイロビ本部では大きな権限を持ち、中々の親分肌の人で、私が「福岡出身」、「福岡事務所」を強調することで、多少は期待が持てると判断しました。

2019年

8月

30日

サウジアラビア 2日目、産廃埋立て地 視察。環境省、エネルギー省訪問

  サウジアラビアにとっても産廃対策は大変です。首都リヤドから、1時間の距離に広大な砂漠があり、首都圏人口800万人の廃棄物は大方そこに運び、埋め立てる歴史が長く続いてきました。しかし今は廃棄物は埋立てから処分へと行政の方針も変わってきて、この埋立て地域もいずれは縮小され、跡地はグリーン化されたり、公園化されると説明されました。国と都市圏の協同で真剣な対策がとられています。責任者の説明が終わった段階で、私は彼らを労いつつ、多くの協力分野を日本・サウジ両国で進めていこうとあいさつで結びました。              都心に戻って、環境省、エネルギー省の副大臣らと、来年のG20の議題などについて突っ込んだ議論を致しました。成果の大きいサウジ訪問でした。

2019年

8月

29日

サウジアラビアへの出張。確かに、暑い!

  今サウジアラビアに来ています。来年は、サウジアラビアがG20会議の議長国になります。今年は日本が議長国でしたが、その先輩国として、申し送るべきことを伝えるために訪問しました。サウジは遠い、ドバイ空港で乗り換え、サウジの副首都ジェッダに着きました。
  ファドリー環境・農業大臣と会談し、廃棄物処理対策、海洋プラスチック汚染、G20議長国問題等広く環境問題を議論しました。続き、大臣が本来実業家ということもあって、貿易や経済問題にも話しが及び大変に中身の濃い会談となりました。
  夕刻には首都リヤドまで飛び、大使公邸にて、日本人会の代表団らとの懇親が行われた。サウジは中東では圧倒的に存在感の大きい国です。私も通産省の時代から40年以上、石油経済や外交で関わっていますが、久しぶりに現地を訪問して、改めてこの国の戦略的重要性を再認識しました。イランやエジプト、イスラエル、当然米中ロ、仏独EU、日本の立ち位置など、ここは世界の政治、経済、外交の交流点で、それ故に、この国の政治運営、王室や社会的自由化政策、イスラム宗教の動きなどには目が離せないとの上村 司大使らの解釈には大いに学びました。                                     サウジアラビアに来て、暑いかと問われれば、暑い。しかし日本も暑い、熱中症に気をつけていると答えています。

2019年

8月

28日

アフリカ諸国への協力。「TICAD7」総会

  日本のアフリカ支援の頂点にある第7回TICAD (アフリカ開発会議) が横浜市で行われますが、それに先立つ2日間、環境・廃棄物処理に関する委員会「第2回ACCP」(「アフリカの美しい都市を目指す総会」)が行われ、主催者(環境省)としてあいさつをしました。アフリカ諸国との国際協力は多岐に広がって、私も多く関与してきましたが、彼らの環境、廃棄物処理に掛ける思いは大変に真剣で、それだけ国内に困難を抱えているものと感じました。
  その中に「福岡方式」という言葉が何度も出てきます。これは廃棄物処理分野での特殊な工事手法で、福岡大学の松藤教授らが開発、福岡県、福岡市などが積極的に推進しており、今や国際的に一般名称と使われています。このような場で「福岡」の名前を聞くのは誇らしい限りです。

2019年

8月

27日

「日本のエジソン」、『ドクター中松』の説得力

  有名な「世界の発明王 ・ドクター中松(義郎)」氏の来訪を受け、大変有意義な時間を過ごしました。先生は92歳になられますが、益々お元気で、驚くべきはその知力と、それ以上に物を産み出そう(発明する)とする意欲と精神力です。今日も7、8つの創作品やアイデアを持ってこられ、そのほとばしるエネルギーには圧倒されます。
  『すじ、ピカっと、生かす』というのが先生の思考原理で、私なりの解釈では、(すじ)「世の中の現状を冷静に、理論的に学習し、把握する」、(ピカッと)「閃き、思いつき、感性に任せて想いを巡らせる」、(生かす)「それを整理して、実用化する、世の中に理解させる、遂には特許権を取って利益にも結び付ける」ということです。その3つが揃って初めて世の中で役に立つ、どの一つが欠けても役に立たないということです。先生は今まで3500だかの特許権を取られた。因みにあのエジソンは、1500だそうです。
  私は高校生の時、アメリカ・オクラホマ州に留学しましたが、その学校は 正式に「Thomas A.Edison High School」と言って、発明王エジソンの名前が付いていました。今でもほぼ唯一覚えているエジソンの言葉が、「天才とは、99%の努力と1%の閃き(inspiration)である」という言葉で、私はそれをいつも自室に貼っていたものです。そのことを言いますと、中松先生は、全く同じものですと答えられました。
  中松先生の迫力とエネルギーにはしっかりと学ばなければなりません。今後とも先生の勉強会には是非参加したい、としてお送りしました。

2019年

8月

26日

海浜ゴミで芸術発表

  福岡市西区の交流センターにて。環境活動家でアーティストの柴田みなみさんは、海洋汚染を防ごうと身近な素材で作品を作っています。ビニール製包み紙などの漂着ゴミを集めて制作した長さ4メートルのクジラなど作品50点、多くの人々の応援もありました。
  「環境大臣来たる」で会場は盛り上がり、翌日の地元紙には上手く載せてくれました。

2019年

8月

24日

「オリンピック柔道、55年」(大祝賀会)。ルスカ夫人との再会は。

  柔道がオリンピック種目になったのは、1964年(昭和39年)「東京オリンピック」の時。次の「東京オリンピック」を来年に控え、今年はその55年目にあたり、盛大な記念祝賀パーティが行われました。主催は世界柔連のビゼール会長、山下康裕全日本会長、井上康生全日本監督ら。来賓には皇族、森元総理はじめ綺羅星の如き、1000人規模の大パーティです。過去の金メダリストたちが、悉く参列し表彰され、柔道ファンにとってはこれ以上の祭典はありません。

  その第1回目、東京オリンピックでは、かのオランダの「ヘーシンク」選手が外国人初という歴史的な優勝を遂げた。その決勝の瞬間に、私は日本武道館のその場にいました。
  ヘーシンク選手は早くに亡くなっており、今回、身内の男性が代理受賞をされた。
1972年「ミュンヘン・オリンピック」では、オランダの「ルスカ」選手が、2階級で、金メダルを獲得した。

  選手は既に故人であって、夫人が出席されていた。私は、実はこの夫人と再会(!)したことになる。ミュンヘン大会前の1年間、ルスカ選手は日本で稽古を積んでおり、その時私は彼と講道館の道場で知り合うことになった。オリンピックで彼は見事に優勝した。そして大会の2、3ヶ月後、私はスイスのジュネーブに仕事で暫く滞在したことがある。ある日、私は思い立って連絡を取って、アムステルダム(オランダ)に飛んだ。そしてルスカ選手のアパートを探し訪ねて、夫妻に大歓迎を受けた。本物の金メダルというもの、しかも2個も、初めて触らせてもらった。

  遠い昔のこと、ルスカ夫人は記憶はしておられなかったが、それでも優しく応じられた。記念のサインもしてくれた。私は「故人によろしく」(という表現がオランダにあるかどうかわかりませんが、)らしき言葉で別れました。

  ルスカ選手との実際の稽古は今も体に残っています。(投げられ続けて)「立っている暇のない」という、柔道表現があるが、私の柔道生活でのエポックのひとつです。

2019年

8月

23日

同級 「福井廣雄」君 (修猷館高校)

  福岡県の母校 修猷館高校の同級生、「福井廣雄」君がお祝いに来てくれた。
  私はこの高校に実は1年半しかいなかった。私は高校も大学も、そして社会に出てからも、めまぐるしく移り変わった。高校出て60年近く経つが、福井君は、私がいつ何処にいても、声を掛けてくれた。忘れた頃に、私が選挙で苦労してる頃に、不思議と声を掛けてくれた。今日は私の大臣祝いに駆けつけてくれた。「良かったなー」と言ってくれるだけでも、私たちは意が通ずる。持つべきは友、ということばが身にしみる。

2019年

8月

22日

中国大使 来訪

  孔げんゆう中国大使の訪問を受けました。日中また国際的な環境問題について、しっかり協力していこうと話しました。既に中国の要人とは何人とも接触していますが、孔大使もなかなかの迫力の人で、日本語が特段に完璧であることにも敬意を表します。

2019年

8月

21日

産学官プロジェクト<環境省と東京工業大学、そして北海道十勝地区>

  環境省の基本政策『※地域循環共生圏 構想』を実践するために、東京工大、帯広畜産大学及び北海道十勝地区などが新しく産学官の研究共同体を発足しました。
(※地域循環共生圏= 地域の自立分散型の資産を活用して自主的な環境施策を推進することで、「地方再生」という大なる目標を達成すること)
  私は来賓挨拶の中で、「…この事業は、十勝の『ハイセル企業』の佐藤、松村両氏の長い間の涙ぐましい努力と忍耐無くして実現しなかった・・・」と、二人のことを敢えて紹介して、会場の拍手を促しました。 

 「ハイセル企業」のお二人は実質的にこのプロジェクトを長い間引っ張ってきた。実に7年も前から、畜産と環境、地域開発の観点から、北海道と東京で懸命に訴え続け、その間、私も助言、協力することを惜しまなかった。彼らの努力無くして今日の成果は無いし、この プロジェクトによって、今後十勝地区こそが北海道発展の新しい旗手となるものと考えます。十勝地区代表 高橋正夫氏(本別町長)も同席されて事業推進を確認された。

2019年

8月

16日

平和の誓い 令和も

2019年

8月

16日

千鳥ヶ淵 戦没者墓苑 参拝

2019年

8月

15日

「初盆参り」とは

  今年のお盆も、地元では100軒を超える「初盆」の家庭を訪問しました。私にとってはこの20余年、多分一度も外したことのない重要な恒例行事です。故人には生前のご交誼を感謝したうえで、哀悼とご冥福の祈りを捧げます。霊界と向き合うことは、自分の人生を振り返ることでもあります。 さらにご家族には日頃のご無沙汰を詫びながら、短時間ですがあいさつを交わします。直接ご意見を伺ったり、また近況を説明するなど貴重なタイミングでもあります。
  何と日本的な行事でしょうか、しかし、私にとっては、「初盆参り」は大変に重要な地元活動です。

  8月は、一年でも特別な月と言えます。8月15日の終戦記念日と合わせて、 お盆は日本人にとって特別意味のある行事です。家族や先祖や、また国のことを改めて考えさせてくれます。とりわけ私たち政治家にとっては特に重要な行事月でもあります。

2019年

8月

12日

山に親しみ、山に感謝する・・・ 『山の日』全国大会

  8月11日は国民の祝日「山の日」です。今年はその4回目、記念全国大会が山梨県甲府市で行われました。豊かな山林の日本に生まれたことを感謝して、この大自然を大事にしていこう・・・「山と生きる」国民運動もどんどん広がっています。林野庁長官、山梨県知事ら多くの人々と出席しました。

「山こそふるさと、山は父🎶」、「山こそふるさと、山は母🎶」・・・

  明るい式典は、子供達が大声で唄う「 山の歌」で締めくくられました。
来年の全国大会は、大分県九重町で開催されます。

 

2019年

8月

11日

女子世界選手権、姉妹で目指す

  レスリングの「入江ゆき」、「ななみ」選手は姉妹で日本代表、秋の世界選手権大会(カザフスタン)に出場します。私は福岡県少年 レスリング連盟の会長も務めており、 その激励会に 北九州市小倉まで駆けつけました。2人は来年の東京オリンピックでも非常に有望 な選手で、地域の皆さんとともに、つい必勝の応援にも力が入りました。 
  小さな身体で、可愛い笑顔をして、どこにそんなパワーがと思うのですが、どんなに厳しい練習を積んできたのでしょう、かすかに残る耳の変形(たこ)こそそれを伝えています。私の同志で、地元の辻監督の涙ぐましい指導、そして何より(もう1人妹を加えて)3姉妹をレスリング選手に育ててくれた入江家ご両親 に心から敬意を表します。

  私は柔道が専門ですが、高校生のアメリカ留学の時にレスリングの訓練も本格的に受けました。最後はオクラホマ州の選手権大会で負けましたが、そこで 得たこと、 学んだことは本当に大きく、ジム・セラーズ監督は今もなお「生涯の師」として 慕っています。

2019年

8月

11日

将棋、「藤井聡太」7段らで盛り上がる

  恒例、JT主催の将棋大会(福岡大会)のレセプションが行われ、私も来賓として出席しました。少年大会と合わせ、高段者による記念対局も行われます。   

  福岡県は全国で最も活発な将棋県のひとつとして紹介されました。藤井7段も登場して会は大いに盛り上がりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年

8月

10日

熱中症対策、各省連絡会議

  連日の高温で全国、熱中症(搬送)患者が急増しており、死亡者も多く出ています。熱中症の話題は、台風の発生などとともにいつも気象情報のトップを占めています。熱中症対策は全政府の問題ですが、8月8日、環境省が関係省庁を集め緊急の対策連絡会議を開催して、現状と今後の取り組みなど意見交換しました。
  お盆を過ぎて「残暑」の時季を迎え、人々には夏の疲れも溜まってきます。水分の補給を忘れないなど、当たり前のことをこの時期にそれぞれが一層確認しあうことが大切です。「男性も日傘をさそう」、と私の運動も紹介しておきました。

 

 

 

2019年

8月

08日

環境省、子ども参観、2日目

  昨日に続いて、夏休みの恒例イベント、大勢の小・中学生が環境省を訪ねてきました。大会議室を開放してさまざまな趣向を凝らしており、子どもたちは興奮して出し物の説明を受け、ゲームに興じています。付き添いのお母さん達も結構真剣です。
  私たちは、環境に対する認識を国民にどう普及するか(環境教育)をいつも論じていますが、子どもの年齢からこんなに関心が高いのなら、そんなに心配は要らないかもしれません。

 

 

2019年

8月

08日

柔道世界選手権大会、壮行会

  柔道の世界選手権大会は、今月末に東京の日本武道館で行われますが、選手激励の「壮行会」が講道館大道場で行われました。私は柔道推進議員連盟役員(副会長)として、また大臣の立場で出席しました。山下泰裕 全柔連会長(日本オリンピック連盟会長)の式辞の後、私は「日頃の猛稽古の成果を出して、国民の声援に応えるよう。そしてあの世界女子で優勝したゴルフの『渋野日向子』選手の精神力と図太さを見習うように」と訓示しました。
  この数年、日本の柔道界は大変盛り上がっており、今回の世界選手権でもきっと良い成績が残せると思います。

 

 

 

2019年

8月

07日

小学生、大臣室来訪

  夏休み中のプロジェクト、沢山の小学生が環境大臣室を訪問して、交流の時間を過ごしました。一人一人から用意されていた質問を受け、私も汗かきながら回答しました。「大臣はどんな仕事をしてますか」、「プラスチックゴミはどうすればなくなりますか」、「私たち小学生は何をすればいいですか」・・・皆さんも環境のことを真剣に考えています。
  環境の問題は、政府や役所が頑張るばかりでなく、国民一人一人が、子ども達も、身の回りのことをやることが必要で、「海岸のゴミ拾い大会にも多くの子供達が参加しています」と呼び掛けました。 

 

 

 

 

 

 

 

2019年

8月

06日

原子力防災訓練とは ( 内閣府原子力防災・原子力規制庁)

  内閣府原子力防災と原子力規制庁が、国内何処であろうとも、万が一の事故に備えて庁内での原子力防災訓練を行い、そこを視察しました。国内原子力施設はほぼ完璧な安全規制で運転されてはいますが、それでも尚、万が一の事故対応を怠ってはなりません。
  事故想定は隠しており、その上で一斉に組織が動き出す。訓練とはいえ、本番さながらの対応ですから、職員は真剣そのもので、自ずから迫力も伝わってきます。原子力機器本体の事故分析、現場の避難指示、総理官邸との連絡調整、医療指示、広報など夥しい事故部位で、いずれも瞬時又は超短時間で正しく判断すべきためには普段の注意力と能力の維持、人材の養成は欠かせない。情報の発信、伝達こそ精確さが求められる・・・
  8年前、あの東京電力 福島第一原発事故の時は、本当に大変だった。今から思うとパニックだったのではないか、国の中枢にそのための十分の準備が無かったのではないか。しかしそこで多くの貴重な経験と学習を得た。これを決して無にしてはいけない。その後の研究と事故対応にもこれらの経験と学習を活かしていかなければならない。
  この秋には、島根県松江市の原子力サイトを中心に、年一回、国挙げての原子力総合防災訓練が行われます。

 

 

2019年

8月

05日

阿寒湖、北海道東部「国立公園群」への視察

  北海道東部、2泊3日、中身の濃い視察で出張を終えました。北海道は広大であり、とりわけこの東部地域の阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖らの恵まれた自然遺産は、国立公園群として、環境省、北海道、地元自治体の協力の中で行き届いた管理と運営で保護されている。
  これら自然遺産は、一方で厳しく保全されつつも、観光資源、地方再生の目玉としての役割も大きく期待されており、環境省の「国立公園満喫プロジェクト」、「インバウンド 1000万人目標」の最先端の役割も担っています。
  なお、アイヌ新法施行に基づくアイヌ文化伝統の継承については国も本格化してきたことにつき、鈴木北海道知事と意見交換。また今や北海道でも全国どの地方と同じく高温度化と熱中症対策には、特段の注意が必要であると実体験しました。

<観察、視察先>

・阿寒湖畔 エコミュージアム、ボッケ遊歩道、カムイルミナ野外演出 鑑賞

・摩周湖畔展望、硫黄山、川湯温泉地域、廃屋予定地域、横綱大鵬記念館

・北海道知事面談、地元町村長との面談、「星空の街 ・全国大会」役員 高松市長、与論島町長面談・釧路湿原、ビジターセンター、野生動植物保護センター ほか

 

 

2019年

8月

04日

「星空の街、あおぞらの街」全国大会、北海道東部

  『星空の街、あおぞらの街』全国大会が北海道 弟子屈(てしかが)町で行われた。平成元年に始まり、今回で31回目、全国370自治体が参加している。 自然環境を限りなく保存し、かつ観光、地域興しへの活用も目指す。式典には高円宮妃殿下が臨席された。
  夜には屈斜路湖畔にて満天の星空、星座群の解説を聴いた。

 

 

2019年

8月

01日

国会開会

  8月1日、参議院選挙後初の国会(臨時国会)が始まり、新天皇即位後初めての開会式も行われました。参議院も改まり、政治は国の発展と安定のためにさらなる努力が必要です。

2019年

8月

01日

「ちびっこランド」を全国展開。その生命力は。

  新しいタイプの保育園「ちびっこランド」を展開している「学栄」社が久しぶり挨拶に来られた。その斬新な理念と幼児教育にかけるほとばしる情熱は、他の追随を許さない。「萩原吉博」会長は稀代の経営者でもある。全国に500園、在籍20000児童を抱え、英語教育、保育士の育成などその活動領域は広い。
  私との付き合いは長い。助けてもらうことが多く、手伝ったこともある。

  萩原氏には今、「声」が無い。彼は全く声を失っていた。彼はこの数年、厳しい闘病の中にあった。癌を得て、各所の手術も3、4回では済まない。喉も切った。超難病にも遭った。

  そして今、彼は雄々しく蘇った。声こそ失ったが、昔の彼はそこにいた。なんと懐かしい再会であったか。彼の信念と生命力には圧倒される思いで、心から敬意を払いたい。

2019年

7月

30日

「至誠 神の如く」(東郷平八郎神社)

  所用あって東京渋谷区の東郷神社を訪れて、参拝もした。宮司ほかの人々と挨拶を交わしたうえで、祭神東郷平八郎元帥の記念館・茶室にご案内された。至誠(=誠を尽くす)という言葉が多く見られ、元帥の生き様が彷彿とされる。
  東郷元帥は、日清戦争で名を挙げ、日露戦争では連合艦隊司令長官として完勝し、「世界の3大提督」の1人といわれた。米太平洋艦隊司令官ニミッツ提督には師と仰がれた。鹿児島県出身。

2019年

7月

30日

「炭素税導入を検討する」、記者会見

  定例の記者会見にて環境政策として「いわゆるcarbon pricing (炭素税)の導入を検討する」と発言しました。これは政治的、社会的に大きな問題で、今後国会の内外でも大議論となります。
  7月24日には環境省の中央環境審議会「カーボン・プライシング検討小委員会」が約1年を掛けた議論を取りまとめました。いわゆる炭素税を導入するに当たって如何なる問題点があるかを各界各層の意見を取りまとめたもので、結論は、導入すべしの意見と反対の意見が対立し具体的方向は決まられなかった。
  私は環境政策の立場から、導入の方向で検討すべきものとしました。気候変動、パリ協定、日本の政策的立場などから、これはかねがね必要なものと考えており、今後本格的検討を進めなければなりません。「環境と経済の好循環」(環境対策と経済成長との一体化)という思想も基本に据えています。

2019年

7月

28日

オクラホマ州タルサ兄弟よ、UAE(アラブ首長国連邦)環境大臣

  「UAE 環境大臣」を迎えて、両国の今後の環境協力について話し合いました。UAEには 今年の5月、「再生エネルギー閣僚会議」で訪問したところですが、経済的にも大変豊かで、政治も安定し、エネルギー環境政策の取り組みも非常に真面目であるものと理解しています。秋には実質トップの皇太子の来訪を機に、広範な協力協定を締結する予定です。
  なおジディオール環境大臣は、米国オクラホマ州タルサ市立大学に資源問題で留学しました。実はそのはるかに以前、私が高校生の時に、同じタルサ市に留学しており、2人の環境大臣は「タルサ市」を通じて「同郷の兄弟分」ということとなり、特段の親しみを共有したところです。

2019年

7月

26日

東京の夏祭り、涼を求めて「打ち水」行事

  東京駅の直線道路をぶち抜いて、今日(26日、金)夕方は丸の内地区「夏祭り」、暗くなれば盛大に盆踊りも行われるという。
  恒例の地元行事「打ち水」が行われ、私も環境省代表として呼ばれました。「打ち水」は江戸古来の庶民の知恵で、今や日本の風物詩、夏に涼をもたらす実益に繋がります。私は挨拶の中で、熱中症対策には、「男も日傘、パラソル」もあることを実演しました。
  東京駅前は一帯「三菱地所(株)」の勢力範囲、小池都知事、千代田区長らも来賓に同席。壇上と一般参加者、一斉に木杓で水を撒いて、歓声のうちに終了。
  梅雨も明け、本格的暑さが東京にもやって来ます。

 

 

2019年

7月

26日

「田中角栄先生」に接する

  柏崎刈羽から新幹線長岡駅への帰路、「田中角栄記念館」に寄りました。元総理、田中角栄先生はこの地域(西山)のご出身。余りに大きな活動、人臣を究め、波乱万丈の人生・・・、われわれが比すべきものは何もないが、われわれが政治家として学ぶべきことは余りに多く残された。
  村を流れる「別山川」に架かる4本の橋には、それぞれ「和田橋」、「市中橋」、「井角橋」、「東栄橋」と田中角栄先生の名前の各字が冠されているという。

  なお、私はその昔、一度だけ晩年の田中先生にお会いしたことがある。昭和60年春、私は通産省勤務を終え、政治生活を始めようとする時に砂防会館にてご挨拶した。私の岳父「前田かずお(佳都男)」が生前、田中派の参議院議員を務めており、特段の激励を賜った。それは緊張の瞬間であった。

 

 

2019年

7月

26日

原子力発電所、視察

  東電「柏崎刈羽原子力発電所」は7基の原子炉を持つ世界最大の原子力地点といわれます。平成23年3月の東日本大震災、福島原発事故を受けた安全基準の強化により現在は全ての原子炉が休止中です。その間でも、万が一の事故も起こしてならず、周辺地域、周辺住民の安全、防災対策、避難対策には万全を期さなければなりません。
  原子炉など内部施設も細かく説明受け、また要員の訓練実習や、事故時(想定)の実戦配備なども実見し、かつ発電所地域外の医療施設(総合病院)、オフサイトセンター、地域コミュニティなども視察しました。安全を守ろうとする自治体、地域社会と電力会社の協力態勢には気迫のような強い意志を感じました。冬の豪雪期の住民避難態勢は今後の課題でもあると考えました。記者会見ではこれらのことを率直に答えました。

 

 

 

2019年

7月

24日

東京電力 原子力発電所を視察。新潟県柏崎市。

  原子力防災担当大臣(内閣府)として、新潟県柏崎市に出張し、東電柏崎原発サイト所在地の「桜井雅浩 柏崎市長」、「品田宏夫 刈羽村長」ら地元関係者と親しく意見交換をした。7月23日、1日目の動きについては翌日の地元紙に掲載された。

2019年

7月

23日

「男も日傘を!」 <Parasol for men!>

  「宮武和広」さんは大阪から、家業が代々の洋傘屋さんですが、「男も日傘をさそう会」を20年来地道に続けてこられました。タレントの「稲垣吾郎」さんも熱心な日傘愛好者という。先日新聞のコラムに宮武さんが載っていたので、大臣室にお呼びして直接話しを聴きました。私も「日傘大臣」として売り出しましたが、すっかり意気投合したところです。
  まず日傘は夏の熱中症対策の切り札になる。しかも、女性は一般的、日本の美しい慣習、文化と定着していますが、男性にとっても、日傘スタイルが新しい慣習になり得るということです。自動車の生活が多くなりましたが、歩く運動(万歩計など)と日傘を組み合わせれば、健康増進と熱中症対策、男のファッション・・・と良いことづくめ、と盛り上がりました。「男も日傘」の会を強化しようとなり、環境省もバックアップするつもりです。男もパラソル!

 

2019年

7月

22日

参議院選挙、終わる。皆さま、ありがとうございました。

  参議院選挙が終わりました。私は今回は地元福岡には時間がなく、党本部の指示も踏まえて全国の同志の応援に走りました。演説では国の、自民党の政策を一方で訴えつつ、候補者の売り込みを行う、しかし折角の機会ですから、地球温暖化、プラスチックゴミやレジ袋有料化など環境政策についても協力要請を致しました。
  選挙の結果は、いつの世も非情なものです。多くは当選を果たしましたが、不幸にも負けた同志もおります。国民の審判は謙虚に受け取り、それぞれを真摯に活かしていくことこそ民主主義選挙の本来の役割であります。
自民党、与党で安定多数を取ることが出来ました。学ぶことも多くあり、さあ、次は衆議院選挙だ、と身の引き締まるのを覚えたところです。