2018年

10月

14日

佐渡ヶ島、トキ野生復帰10周年

  「トキ野生復帰10周年」の記念式典に出席のため、新潟県佐渡ヶ島に渡った。「ニッポニア・ニッポン」という学名を持つ日本を代表する鳥であるトキは、日本では一時野生下で絶滅した。中国とのトキ保護協力で、10年前に2羽を譲り受け、それを起点に今や野生下においても350羽を超えるまでに回復した。

  本日は日中交流の10周年を記念して、眞子内親王殿下のご臨席を得て、盛大に記念式典が行われた。私は環境省主催の立場から式辞、表彰者表彰、またレセプション祝辞などを行った。新潟県知事、佐渡ヶ島市長、中国総領事、歌手 加藤登紀子さんら出席。事前にトキ生育の現場等を視察しました。

 

2018年

10月

13日

新聞紹介記事。学歴問題など。

  内閣改造では入閣新人が新聞で紹介される。私も遂に漫画入りで各紙が扱ってくれた。正直、政治家の夢のひとつではあった。綺麗事ではない、激辛い文章、それでも自分の知らない自分のこと、むしろ愛情いっぱい書いてくれた。担当の記者と似顔絵さんに心から感謝したい。

  ところでひとつだけ、私には昔、「学歴虚偽」の過去がある。平成16年のこと、文部科学副大臣の1年目。ある新聞社から電話があり、本当に「ボストン・タフツ大学政治外交大学院」を「卒業」したのかという問い合わせ、私は慌てて大学に確認した。時間を少しかけて来た返事、確かに私は必須科目をひとつ落として、正規には卒業に達してなかった。...
  卒業間際で帰国準備を急いでいたこと、しかし卒業単位は確信していたこと、帰国してから大学出版の卒業名簿には一貫して「修士号(M)」として明記してあったことなど。私は当然ながら選挙の際の公報には大学院「卒業」と銘打っていたのだ。
  虚偽記載が分かった翌日、誰も知られる前に、私は大臣に辞表を申し出た。直ぐに記者会見を開き辞任を発表した。各紙は一斉に「学歴詐称」、「文部科学副大臣辞任」で埋め尽くした。何処かから刑事告訴さえ起こされた。私は不明を恥じつつも、しかし身の潔白は訴えたかった。衆議院「政治倫理審査会」に自ら申し出て、一件顛末を弁明する機会を与えられた。決して「故意」や「悪意」でなかったことを懸命に訴えた・・・

かくして、大臣を受けるにあたり、このことを思い出させて頂いた。若き日の過ち、軽率と不注意と、今に汗顔の至りだが、今後の自戒への得難い学びとしていきたい。

2018年

10月

10日

福島県、再訪(その2)

  昨日は一旦帰京し、今朝10日は閣議に出席。午後には東北新幹線で福島県を再訪、富岡町の町長、議長を訪問した。復興に向けての努力に敬意を表するとともに、互いの連絡態勢を良くするよう約束した。広大な「特定廃棄物埋立処分場」と情報広報施設「リプルンふくしま」を視察した。
  秋元副大臣、菅家大臣政務官 同行。

 

2018年

10月

10日

福島県 原発被災町、訪問

  福島県 原発事故からの被災地の現状を視察させて頂きました。安倍内閣は「福島の復興なくして日本の復興はあり得ない」という決意のもと、復興政策の強化、統合を目指しています。事故から7年半、「未だ道半ば」というのが実情です。
  10月9日は同県楢葉町、双葉町、大熊町の3町を訪問、それぞれ町長、議会議長に公式訪問しました。現状認識を相互に交換した上で、今後の復興対策をさらに加速しようとの方向で意見一致しました。その概要をいずれもその場での記者会見で報告しました。福島県内で除染された土壌などを30年後の県外最終処分までの間、安全に保管する場所が「中間貯蔵施設」です。大熊町、双葉町の地元の皆様の御協力に改めて感謝申し上げます。

 

2018年

10月

08日

地元で初活動、SPとの行動

  忙しい国会での週を終えて、3連休の週末は地元に戻りました。1日目(10月6日)は台風のため行事は大方中止、2日目、3日目、天気は快復して、運動会や施設の地鎮祭、文化祭など多くの行事、イベント、護国神社での合同慰霊祭などに出席しました。多くの人々と挨拶、会釈を交わしました。皆様も笑顔で祝って頂き、地元とは本当に有り難いものだと感謝の気持ちで一杯です。
  あちこちで来賓挨拶させてもらうのですが、自分も大臣になったと意識するし、お客も多分そう意識されていると思うと、実は普段と変わらないのですが意識が高ぶり、とちってはいけないと思うと、一層とちったりします。
  一番大きな違いは、四六時中同行する「セキュリティ警護(SP)」です。全く経験のなかったことで未だ戸惑いは隠せませんが、「大臣」とはかくも重要な職務であるということを改めて自意識させるもので、彼らの行動が社会とできる限り調和できるような配慮も必要です。

 

2018年

10月

06日

「環境大臣」として活動開始。皆様のご指導に心から感謝致します。

  多くの多くの皆様から心改まるお祝いを頂いております。無上の感激と緊張の中で、長きに亘ってご指導ご支援頂いた、まず地元福岡県の皆様、そして全ての皆様に、心から感謝を申し上げます。かくなる上は、政治家になることを決意した若き日の原点をいささかも忘れることなく、全身全霊で職務に当たる覚悟であります。何分の一層のご指導を伏してお願い致します。

  本日5日も朝1番に総理官邸で閣議、続いて東宮(皇太子)御所はじめ各宮家にご挨拶(記帳)回り、本省に戻って会議に次ぐ会議、午後から省内記者会見、朝倉市(市長、議長ら)の来訪、国会秘書との打ち合わせ、医療関係会議へのビデオメッセージ、自民党本部幹事長らへ挨拶、懸賞論文の審査委員会・・・ 福岡行き飛行機に乗ったのが夜7時30分。

 

2018年

10月

04日

「環境大臣」、始動

  10月2日
総理官邸に呼び込み、
皇居にて天皇陛下より「国務大臣」任命認証、...
官邸にて総理大臣から「環境大臣」への補職、初閣議、合同記念撮影、合同記者会見
環境省に入り、幹部職員への挨拶、環境省担当記者会への記者会見

  10月3日
環境省にて中川前大臣と事務引継ぎ、総職員への就任挨拶、内閣府職員への就任挨拶、
福島市まで新幹線で出張し、福島地方環境事務所で職員への挨拶、福島県知事、県議会議長への挨拶、県記者会への記者会見、帰京・・・

2018年

10月

01日

九州大学と「古河(ふるかわ)財閥」のこと

  九州大学が全面移転して、新しく生まれ変わる(伊都キャンパス)。福岡で生まれ育った者として、こんなに誇らしいことはありません。その上で・・・

明治34年(1901年)、帝国議会を終えた明治天皇の車列に男が飛び出した。羽織はかまの正装、手には「謹奏」の包み紙が。男の名は田中正造、足尾銅山(栃木県)の鉱毒の窮状を訴える、厳罰も覚悟の直訴である。政府は「正気不全」をもって不敬罪は免じた。...
足尾銅山の惨状が伝わると世間が沸騰した。後の首相 原敬は「古河財閥」に対し社会貢献事業を勧めた。古河側は文部省の指導を受けて建物を建設(福岡市箱崎)、丸ごと国に献納した。かくして開学したのが九州帝国大学、今の九州大学である・・・(西日本新聞 10月1日)

  私は「古河」という名前に無関係ではありません。私の父親は戦前、若い頃から福岡県筑豊地区、「古河鉱業」という炭鉱に事務職員として勤めていました。親戚も皆同じです。20年あと、炭鉱が閉山して、父が神奈川県に転職(富士通)したのも古河鉱業のお世話によるものです。私の両親は終生、古河とともにあり、いつも「会社のお陰」と言っていました。当然私は生まれた時からこの名前しか知らないくらいでした。
長じて古河財閥と足尾鉱毒事件、そして田中正造翁のことも学びました。それでもなお私はいつも古河のことを身内のように思っていました。

  非常に勝手ながら、私は九州大学との縁を更に近く感ずるようになりました。

2018年

9月

30日

イタリアの著名彫刻家チエッコ・簿ボナノッテさん<Cecco Bonanotte>

  縁あってイタリアの彫刻家チェッコさんとご一緒しました。チェッコさんはローマのカトリック・ヴァチカン宮殿にもいくつもの彫刻作品を納めておられる著名な彫刻家 で、日本とイタリアとの友好にも大きく活動されています。カトリックと 日本の各組織と宗教、宗派を超えた平和文化活動が出来ないかと地道な努力を続けておられます。

 

2018年

9月

29日

九州大学 伊都キャンパス完成記念

  九州大学が実に27年の歳月を掛けて、都心から福岡市西区に全面移転、その完成式典がキャンパス内の大講堂で行われた。生まれ変わった大学として、学問、教育を一層磨き、その成果を内外に発信する、「知の拠点」はまさに福岡一帯を新しい学園都市に作り替えることとなる。
  式典後、ノーベル賞学者「大隅良典」博士(福岡市出身)の「50年の研究生活とこれからの科学技術政策」と題した記念講演が行われた。私には本物のノーベル賞学者の講演は初めての経験で、強い感銘を受けました。