2020年

2月

17日

高校柔道部で「励まし」を受ける。そして、「小野泰伸」のこと。

  高校柔道部の仲間から、「大臣退任の慰労と激励」の会を開いてもらった。久しぶりの面々から温かい友情をもらい、一層元気が湧き出てきました。今年は衆議院選挙が必至であること、大臣もあと1、2回は目指すこと、を広言して同志たちの支援をお願いしました。
  「小山台 (こやまだい) 高校」は東京都品川区にあります。私にとっては福岡県から途中転入、アメリカ留学、大学への受験勉強、と非常に大事な2年半でした。その間も一貫して柔道部に属して心身を鍛えました。大学を出て、就職してからも、ずっと高校とは関わりましたが、とりわけ選挙(神奈川県)に出始めた昭和60年ごろには、先輩や同期、同窓生にどんなに世話になったことか、卒業母校のありがたさを実感したものです。今日出席の「宗岡正二」君 (元 新日鐵社長、会長、全日本柔道連盟会長)などとの交流も、先輩後輩で50年以上になります。

  私は挨拶の中で、「小野泰伸」君のことも偲びました。小野はこの小山台柔道部の後輩でした。私が選挙に出る頃小野が大学を出たので、無理に頼んで事務所の秘書に来てもらった。昭和61年の初出馬は落選、平成2年2月に初当選しましたが、その前後5年間は小野が一貫して選挙事務所を取り仕切った。当選して程なく、小野と同期生の谷屋が来て、「先生、小野の具合が良くないので事務所を辞めさせてくれ。持病(糖尿病)が悪化して体が持たない」という。しばらくは小康を得ていたが、2年後に死んだ。

  私は今でもあの過酷な5年間が、小野の命を縮めたのではないかと悩んでいるのです。

2020年

2月

15日

囲碁「棋聖戦」に立ち会う。

  囲碁界の最高峰と言われる「棋聖戦」に立ち合う機会に恵まれました。場所は太宰府の九州国立博物館、棋聖戦の第4局目、井山裕太棋聖と河野臨九段との対局。テレビではその風景を見たことはありますが、その一角に自分が座るとは、本当に緊張しました。(読売新聞主催)

  囲碁ファンにとっては、あり得ない舞台です。私は、アマ3段、囲碁を一番の趣味としています。囲碁は攻めたり、守ったり、その活動の領域は無限に広く、深い。「頭を使う(思考、思索)」訓練には大いに役立つと言われています。
これらプロ高段者の頭脳は一体どうなっているのでしょうか。そばで触れただけでも、少し強くなったような気が致します。

2020年

2月

14日

国士を見送る。嗚呼、目良(めら)さん!

  「目良(めら)浩一さん」と言っても、多くの人は知らない。半生をアメリカで暮らし、祖国日本のことを思いながら、死んでいった。「慰安婦問題」、「南京事件」など日本の戦後歴史問題について、独り懸命に闘った。如何にアメリカ社会は日本人を蔑(さげす)んでいるか。何故日本人は、正しく、強く、反論しないのか。職を失い、家族を路頭に迷わせ、支援者も集まらず、しかし懸命に訴えた。慰安婦像が建てられ、身を張って各地で反対した。懸命に本を書いた、何本も裁判を起こした・・・そして遂に力尽きたのか。
  来日すると、私の事務所に寄ってくれた。運動を巡って熱く語った。私は、しかし、いつも非力を詫びていた。 祖国は、あなたに余りに冷たかった。

  「偲ぶ会」で、私は挨拶に立った。「あなたには本当に辛い思いをさせた、まず、日本人がだらしない、外務省がだらしない、そして何よりわれわれ政治家がだらしなかった。この国を守るのに結局あなた1人を見殺しにしてしまった。本当に申し訳けありませんでした。」と呼び掛けた。目良浩一さん、享年86歳、心からご冥福を祈ります。

  昨年12月のある日、事務所の秘書が「めら、という人から電話」と言う。目良さんから、成田空港からの電話でした。ちょっと病気で日本に戻っていました、今からまたアメリカに戻ります、と言う。私も久しぶりだったので、「良いお年を、お大事に」と甲高く送り出したものです。そして1月、訃報が届きました。

  およそ政治家たるもの、彼の死に奮い立たずして何を目指そうとするか。

2020年

2月

12日

野村監督、逝く。「負けに不思議な負けなし」

  プロ野球の南海などの元監督 「野村克也」氏が亡くなった。名監督で、私は大ファンでした。多くの言葉を残されたが、自分に最も大事な言葉は、『勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし』という言葉。勝つときはともかく、負けるときは必ず明確な原因が自分にある、という意味です。私はこの言葉を常に人生の、また選挙活動の、基本においてやっています。
  私は、人への愚痴や不平を決して言いません。事務所の人間にも厳しく躾けています。物事に失敗するのは全て自分に原因があるからです。選挙での失敗は全てこちらに原因があるのです。私は選挙活動では、いつもこの言葉で陣営に喝を入れます。
選挙用語でもう一つ、詠み人知らずで、『選挙は強いから勝つのではない、侮(あなど)るから負けるのである』という言葉。

  私はこの2つの言葉をしっかり胸に秘めて、今日も、明日も、厳しい選挙活動に取り組んでいきます。野村克也監督のご冥福をお祈りします。

2020年

2月

11日

「建国記念日」、福岡大会

  建国記念日」の福岡大会が日本会議主催で行われた。私は今年も県知事に続いて来賓演説をしました。環境政策、新型コロナウイルス対策、憲法改正のほか中国の習近平氏国賓問題を取り上げ、尖閣列島侵入、邦人の故なき司法拘束を厳しく非難しました。折角の建国記念日にしては盛り上がりは大きくない。

2020年

2月

10日

天満宮の梅香、総理官邸を包む

  太宰府天満宮が紅白の梅を安倍総理に手渡しました。恒例行事となりましたが、西高辻(信宏)宮司は、代替わりにより今回が初のご挨拶でした。広い官邸も今日ばかりは梅の香りで埋まり、安倍総理も世事をしばし忘れられた感でした。太宰府と「令和」、「曲水の宴」などが話題となりました。

2020年

2月

09日

世界の子どもを助けよう!

  この2人は、私の「里子!」です。アフリカの女の子、バングラの男の子。
  私は長く、この福祉団体のメンバーです。世界の極貧地帯の子ども達の教育と生活を支援するために、Child Sponsor( チャイルド スポンサー 里親)となり、ほぼ定期的に子ども達と通信し合うのです。今日は福岡でその連絡会があり、多くの里親と近況を交換し、励まし合いました。
  気持ちはあるが、中々実行できない人もおられるので、皆さまにもご紹介します。チャイルド1人当たり、1日150円 ( 月々4500円)の支援で、子ども達の「未来」を変えることが出来るのです。
「 ワールド ・ビジョン ・ジャパン 0120 465 009 www.worldvision.jp 」までどうぞ。

2020年

2月

09日

「青山繁晴 」議員、激白。新春の集い、2題。

  恒例の「新春の集い」を朝倉市で行いました。私は、500人を前にして、環境大臣としての仕事、気候変動対策、フロン対策、プラスチック汚染、レジ袋の有料化等々について報告、さらに朝倉豪雨災害の復旧復興、福島原発処理水、新型コロナウイルス、習近平国賓問題などについても最近況を論じました。ゲストの青山繁晴議員には講演と応援演説で大いに盛り上げて貰った。
  午後は福岡市に場所を移して、「青山議員の講演会」。テーマは内政外交、古今東西に及び、私と「鬼木誠議員」を織り込みながら、1時間半、300人の参加者は、実際の「青山節」に酔いしれたものです。

2020年

2月

08日

太宰府天満宮・梅の木、「新宿御苑」へ記念樹

  新天皇の即位と「令和」元号への切り替わりを記念して、太宰府天満宮ゆかりの梅の木が「新宿御苑」に植樹された。「令和」は万葉集の句集から取られたが、この句は1300年前、太宰府市の「坂本八幡神社」の「梅香の宴」で詠まれたものと伝えられています。
  なお、新宿御苑は環境省の管理下にあり、私が大臣 在任中、入場料を200円から500円に値上げしました。多少心配したのですが、むしろ入場者は増え、年間の入場料収入も4.1億円から7.9億円へとほぼ倍増したとの報告を受けました。オリンピック、パラリンピックを控え、今外国人客( インバウンド )の多さが目立っています。大都会の中の大自然、新宿御苑は正式には「国民公園」と呼ばれ、文字通り「国民の宝」です。

2020年

2月

06日

『納豆こそ地球を救う!』

  「納豆」が今、健康食として大いに見直されているという。上質のタンパク質を備え、血圧を下げ、糖尿を遠ざけ、成人のがん罹患率は、食べる人と食べない人では際立った差が出ると国立健康センターだかが発表した。朝のテレビを見ていた私は、丁度納豆を食べていたので歓声を上げました。
  私は、納豆が大好きなのです。実は、3食でも食べたいくらいで、現実に朝と昼はほぼ毎日食べています。お陰様で私は健康に恵まれ、毎日元気に活動していますが、それが今や、納豆のお陰だということも実感しています。

  実は若い頃、青年会議所だかの若い仲間で、納豆好きが集まりました。しかもその健康への効用、効果が凄いとお互いが一致して、遂には「納豆運動」を始めようとなった。パンフレットを作ったり、スローガンには『納豆こそ地球を救う !』と大きく出た。騒ぐだけ騒いで、1年くらい、あとはどうなったか。

  しかしこの歳になって、あの若き時代が誇れるとは。やっぱり、納豆サマのお陰か。

2020年

2月

17日

高校柔道部で「励まし」を受ける。そして、「小野泰伸」のこと。

  高校柔道部の仲間から、「大臣退任の慰労と激励」の会を開いてもらった。久しぶりの面々から温かい友情をもらい、一層元気が湧き出てきました。今年は衆議院選挙が必至であること、大臣もあと1、2回は目指すこと、を広言して同志たちの支援をお願いしました。
  「小山台 (こやまだい) 高校」は東京都品川区にあります。私にとっては福岡県から途中転入、アメリカ留学、大学への受験勉強、と非常に大事な2年半でした。その間も一貫して柔道部に属して心身を鍛えました。大学を出て、就職してからも、ずっと高校とは関わりましたが、とりわけ選挙(神奈川県)に出始めた昭和60年ごろには、先輩や同期、同窓生にどんなに世話になったことか、卒業母校のありがたさを実感したものです。今日出席の「宗岡正二」君 (元 新日鐵社長、会長、全日本柔道連盟会長)などとの交流も、先輩後輩で50年以上になります。

  私は挨拶の中で、「小野泰伸」君のことも偲びました。小野はこの小山台柔道部の後輩でした。私が選挙に出る頃小野が大学を出たので、無理に頼んで事務所の秘書に来てもらった。昭和61年の初出馬は落選、平成2年2月に初当選しましたが、その前後5年間は小野が一貫して選挙事務所を取り仕切った。当選して程なく、小野と同期生の谷屋が来て、「先生、小野の具合が良くないので事務所を辞めさせてくれ。持病(糖尿病)が悪化して体が持たない」という。しばらくは小康を得ていたが、2年後に死んだ。

  私は今でもあの過酷な5年間が、小野の命を縮めたのではないかと悩んでいるのです。

2020年

2月

15日

囲碁「棋聖戦」に立ち会う。

  囲碁界の最高峰と言われる「棋聖戦」に立ち合う機会に恵まれました。場所は太宰府の九州国立博物館、棋聖戦の第4局目、井山裕太棋聖と河野臨九段との対局。テレビではその風景を見たことはありますが、その一角に自分が座るとは、本当に緊張しました。(読売新聞主催)

  囲碁ファンにとっては、あり得ない舞台です。私は、アマ3段、囲碁を一番の趣味としています。囲碁は攻めたり、守ったり、その活動の領域は無限に広く、深い。「頭を使う(思考、思索)」訓練には大いに役立つと言われています。
これらプロ高段者の頭脳は一体どうなっているのでしょうか。そばで触れただけでも、少し強くなったような気が致します。

2020年

2月

14日

国士を見送る。嗚呼、目良(めら)さん!

  「目良(めら)浩一さん」と言っても、多くの人は知らない。半生をアメリカで暮らし、祖国日本のことを思いながら、死んでいった。「慰安婦問題」、「南京事件」など日本の戦後歴史問題について、独り懸命に闘った。如何にアメリカ社会は日本人を蔑(さげす)んでいるか。何故日本人は、正しく、強く、反論しないのか。職を失い、家族を路頭に迷わせ、支援者も集まらず、しかし懸命に訴えた。慰安婦像が建てられ、身を張って各地で反対した。懸命に本を書いた、何本も裁判を起こした・・・そして遂に力尽きたのか。
  来日すると、私の事務所に寄ってくれた。運動を巡って熱く語った。私は、しかし、いつも非力を詫びていた。 祖国は、あなたに余りに冷たかった。

  「偲ぶ会」で、私は挨拶に立った。「あなたには本当に辛い思いをさせた、まず、日本人がだらしない、外務省がだらしない、そして何よりわれわれ政治家がだらしなかった。この国を守るのに結局あなた1人を見殺しにしてしまった。本当に申し訳けありませんでした。」と呼び掛けた。目良浩一さん、享年86歳、心からご冥福を祈ります。

  昨年12月のある日、事務所の秘書が「めら、という人から電話」と言う。目良さんから、成田空港からの電話でした。ちょっと病気で日本に戻っていました、今からまたアメリカに戻ります、と言う。私も久しぶりだったので、「良いお年を、お大事に」と甲高く送り出したものです。そして1月、訃報が届きました。

  およそ政治家たるもの、彼の死に奮い立たずして何を目指そうとするか。

2020年

2月

12日

野村監督、逝く。「負けに不思議な負けなし」

  プロ野球の南海などの元監督 「野村克也」氏が亡くなった。名監督で、私は大ファンでした。多くの言葉を残されたが、自分に最も大事な言葉は、『勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし』という言葉。勝つときはともかく、負けるときは必ず明確な原因が自分にある、という意味です。私はこの言葉を常に人生の、また選挙活動の、基本においてやっています。
  私は、人への愚痴や不平を決して言いません。事務所の人間にも厳しく躾けています。物事に失敗するのは全て自分に原因があるからです。選挙での失敗は全てこちらに原因があるのです。私は選挙活動では、いつもこの言葉で陣営に喝を入れます。
選挙用語でもう一つ、詠み人知らずで、『選挙は強いから勝つのではない、侮(あなど)るから負けるのである』という言葉。

  私はこの2つの言葉をしっかり胸に秘めて、今日も、明日も、厳しい選挙活動に取り組んでいきます。野村克也監督のご冥福をお祈りします。

2020年

2月

11日

「建国記念日」、福岡大会

  建国記念日」の福岡大会が日本会議主催で行われた。私は今年も県知事に続いて来賓演説をしました。環境政策、新型コロナウイルス対策、憲法改正のほか中国の習近平氏国賓問題を取り上げ、尖閣列島侵入、邦人の故なき司法拘束を厳しく非難しました。折角の建国記念日にしては盛り上がりは大きくない。

2020年

2月

10日

天満宮の梅香、総理官邸を包む

  太宰府天満宮が紅白の梅を安倍総理に手渡しました。恒例行事となりましたが、西高辻(信宏)宮司は、代替わりにより今回が初のご挨拶でした。広い官邸も今日ばかりは梅の香りで埋まり、安倍総理も世事をしばし忘れられた感でした。太宰府と「令和」、「曲水の宴」などが話題となりました。

2020年

2月

09日

世界の子どもを助けよう!

  この2人は、私の「里子!」です。アフリカの女の子、バングラの男の子。
  私は長く、この福祉団体のメンバーです。世界の極貧地帯の子ども達の教育と生活を支援するために、Child Sponsor( チャイルド スポンサー 里親)となり、ほぼ定期的に子ども達と通信し合うのです。今日は福岡でその連絡会があり、多くの里親と近況を交換し、励まし合いました。
  気持ちはあるが、中々実行できない人もおられるので、皆さまにもご紹介します。チャイルド1人当たり、1日150円 ( 月々4500円)の支援で、子ども達の「未来」を変えることが出来るのです。
「 ワールド ・ビジョン ・ジャパン 0120 465 009 www.worldvision.jp 」までどうぞ。

2020年

2月

09日

「青山繁晴 」議員、激白。新春の集い、2題。

  恒例の「新春の集い」を朝倉市で行いました。私は、500人を前にして、環境大臣としての仕事、気候変動対策、フロン対策、プラスチック汚染、レジ袋の有料化等々について報告、さらに朝倉豪雨災害の復旧復興、福島原発処理水、新型コロナウイルス、習近平国賓問題などについても最近況を論じました。ゲストの青山繁晴議員には講演と応援演説で大いに盛り上げて貰った。
  午後は福岡市に場所を移して、「青山議員の講演会」。テーマは内政外交、古今東西に及び、私と「鬼木誠議員」を織り込みながら、1時間半、300人の参加者は、実際の「青山節」に酔いしれたものです。

2020年

2月

08日

太宰府天満宮・梅の木、「新宿御苑」へ記念樹

  新天皇の即位と「令和」元号への切り替わりを記念して、太宰府天満宮ゆかりの梅の木が「新宿御苑」に植樹された。「令和」は万葉集の句集から取られたが、この句は1300年前、太宰府市の「坂本八幡神社」の「梅香の宴」で詠まれたものと伝えられています。
  なお、新宿御苑は環境省の管理下にあり、私が大臣 在任中、入場料を200円から500円に値上げしました。多少心配したのですが、むしろ入場者は増え、年間の入場料収入も4.1億円から7.9億円へとほぼ倍増したとの報告を受けました。オリンピック、パラリンピックを控え、今外国人客( インバウンド )の多さが目立っています。大都会の中の大自然、新宿御苑は正式には「国民公園」と呼ばれ、文字通り「国民の宝」です。

2020年

2月

06日

『納豆こそ地球を救う!』

  「納豆」が今、健康食として大いに見直されているという。上質のタンパク質を備え、血圧を下げ、糖尿を遠ざけ、成人のがん罹患率は、食べる人と食べない人では際立った差が出ると国立健康センターだかが発表した。朝のテレビを見ていた私は、丁度納豆を食べていたので歓声を上げました。
  私は、納豆が大好きなのです。実は、3食でも食べたいくらいで、現実に朝と昼はほぼ毎日食べています。お陰様で私は健康に恵まれ、毎日元気に活動していますが、それが今や、納豆のお陰だということも実感しています。

  実は若い頃、青年会議所だかの若い仲間で、納豆好きが集まりました。しかもその健康への効用、効果が凄いとお互いが一致して、遂には「納豆運動」を始めようとなった。パンフレットを作ったり、スローガンには『納豆こそ地球を救う !』と大きく出た。騒ぐだけ騒いで、1年くらい、あとはどうなったか。

  しかしこの歳になって、あの若き時代が誇れるとは。やっぱり、納豆サマのお陰か。

2020年

2月

17日

高校柔道部で「励まし」を受ける。そして、「小野泰伸」のこと。

  高校柔道部の仲間から、「大臣退任の慰労と激励」の会を開いてもらった。久しぶりの面々から温かい友情をもらい、一層元気が湧き出てきました。今年は衆議院選挙が必至であること、大臣もあと1、2回は目指すこと、を広言して同志たちの支援をお願いしました。
  「小山台 (こやまだい) 高校」は東京都品川区にあります。私にとっては福岡県から途中転入、アメリカ留学、大学への受験勉強、と非常に大事な2年半でした。その間も一貫して柔道部に属して心身を鍛えました。大学を出て、就職してからも、ずっと高校とは関わりましたが、とりわけ選挙(神奈川県)に出始めた昭和60年ごろには、先輩や同期、同窓生にどんなに世話になったことか、卒業母校のありがたさを実感したものです。今日出席の「宗岡正二」君 (元 新日鐵社長、会長、全日本柔道連盟会長)などとの交流も、先輩後輩で50年以上になります。

  私は挨拶の中で、「小野泰伸」君のことも偲びました。小野はこの小山台柔道部の後輩でした。私が選挙に出る頃小野が大学を出たので、無理に頼んで事務所の秘書に来てもらった。昭和61年の初出馬は落選、平成2年2月に初当選しましたが、その前後5年間は小野が一貫して選挙事務所を取り仕切った。当選して程なく、小野と同期生の谷屋が来て、「先生、小野の具合が良くないので事務所を辞めさせてくれ。持病(糖尿病)が悪化して体が持たない」という。しばらくは小康を得ていたが、2年後に死んだ。

  私は今でもあの過酷な5年間が、小野の命を縮めたのではないかと悩んでいるのです。

2020年

2月

15日

囲碁「棋聖戦」に立ち会う。

  囲碁界の最高峰と言われる「棋聖戦」に立ち合う機会に恵まれました。場所は太宰府の九州国立博物館、棋聖戦の第4局目、井山裕太棋聖と河野臨九段との対局。テレビではその風景を見たことはありますが、その一角に自分が座るとは、本当に緊張しました。(読売新聞主催)

  囲碁ファンにとっては、あり得ない舞台です。私は、アマ3段、囲碁を一番の趣味としています。囲碁は攻めたり、守ったり、その活動の領域は無限に広く、深い。「頭を使う(思考、思索)」訓練には大いに役立つと言われています。
これらプロ高段者の頭脳は一体どうなっているのでしょうか。そばで触れただけでも、少し強くなったような気が致します。

2020年

2月

14日

国士を見送る。嗚呼、目良(めら)さん!

  「目良(めら)浩一さん」と言っても、多くの人は知らない。半生をアメリカで暮らし、祖国日本のことを思いながら、死んでいった。「慰安婦問題」、「南京事件」など日本の戦後歴史問題について、独り懸命に闘った。如何にアメリカ社会は日本人を蔑(さげす)んでいるか。何故日本人は、正しく、強く、反論しないのか。職を失い、家族を路頭に迷わせ、支援者も集まらず、しかし懸命に訴えた。慰安婦像が建てられ、身を張って各地で反対した。懸命に本を書いた、何本も裁判を起こした・・・そして遂に力尽きたのか。
  来日すると、私の事務所に寄ってくれた。運動を巡って熱く語った。私は、しかし、いつも非力を詫びていた。 祖国は、あなたに余りに冷たかった。

  「偲ぶ会」で、私は挨拶に立った。「あなたには本当に辛い思いをさせた、まず、日本人がだらしない、外務省がだらしない、そして何よりわれわれ政治家がだらしなかった。この国を守るのに結局あなた1人を見殺しにしてしまった。本当に申し訳けありませんでした。」と呼び掛けた。目良浩一さん、享年86歳、心からご冥福を祈ります。

  昨年12月のある日、事務所の秘書が「めら、という人から電話」と言う。目良さんから、成田空港からの電話でした。ちょっと病気で日本に戻っていました、今からまたアメリカに戻ります、と言う。私も久しぶりだったので、「良いお年を、お大事に」と甲高く送り出したものです。そして1月、訃報が届きました。

  およそ政治家たるもの、彼の死に奮い立たずして何を目指そうとするか。

2020年

2月

12日

野村監督、逝く。「負けに不思議な負けなし」

  プロ野球の南海などの元監督 「野村克也」氏が亡くなった。名監督で、私は大ファンでした。多くの言葉を残されたが、自分に最も大事な言葉は、『勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし』という言葉。勝つときはともかく、負けるときは必ず明確な原因が自分にある、という意味です。私はこの言葉を常に人生の、また選挙活動の、基本においてやっています。
  私は、人への愚痴や不平を決して言いません。事務所の人間にも厳しく躾けています。物事に失敗するのは全て自分に原因があるからです。選挙での失敗は全てこちらに原因があるのです。私は選挙活動では、いつもこの言葉で陣営に喝を入れます。
選挙用語でもう一つ、詠み人知らずで、『選挙は強いから勝つのではない、侮(あなど)るから負けるのである』という言葉。

  私はこの2つの言葉をしっかり胸に秘めて、今日も、明日も、厳しい選挙活動に取り組んでいきます。野村克也監督のご冥福をお祈りします。

2020年

2月

11日

「建国記念日」、福岡大会

  建国記念日」の福岡大会が日本会議主催で行われた。私は今年も県知事に続いて来賓演説をしました。環境政策、新型コロナウイルス対策、憲法改正のほか中国の習近平氏国賓問題を取り上げ、尖閣列島侵入、邦人の故なき司法拘束を厳しく非難しました。折角の建国記念日にしては盛り上がりは大きくない。

2020年

2月

10日

天満宮の梅香、総理官邸を包む

  太宰府天満宮が紅白の梅を安倍総理に手渡しました。恒例行事となりましたが、西高辻(信宏)宮司は、代替わりにより今回が初のご挨拶でした。広い官邸も今日ばかりは梅の香りで埋まり、安倍総理も世事をしばし忘れられた感でした。太宰府と「令和」、「曲水の宴」などが話題となりました。

2020年

2月

09日

世界の子どもを助けよう!

  この2人は、私の「里子!」です。アフリカの女の子、バングラの男の子。
  私は長く、この福祉団体のメンバーです。世界の極貧地帯の子ども達の教育と生活を支援するために、Child Sponsor( チャイルド スポンサー 里親)となり、ほぼ定期的に子ども達と通信し合うのです。今日は福岡でその連絡会があり、多くの里親と近況を交換し、励まし合いました。
  気持ちはあるが、中々実行できない人もおられるので、皆さまにもご紹介します。チャイルド1人当たり、1日150円 ( 月々4500円)の支援で、子ども達の「未来」を変えることが出来るのです。
「 ワールド ・ビジョン ・ジャパン 0120 465 009 www.worldvision.jp 」までどうぞ。

2020年

2月

09日

「青山繁晴 」議員、激白。新春の集い、2題。

  恒例の「新春の集い」を朝倉市で行いました。私は、500人を前にして、環境大臣としての仕事、気候変動対策、フロン対策、プラスチック汚染、レジ袋の有料化等々について報告、さらに朝倉豪雨災害の復旧復興、福島原発処理水、新型コロナウイルス、習近平国賓問題などについても最近況を論じました。ゲストの青山繁晴議員には講演と応援演説で大いに盛り上げて貰った。
  午後は福岡市に場所を移して、「青山議員の講演会」。テーマは内政外交、古今東西に及び、私と「鬼木誠議員」を織り込みながら、1時間半、300人の参加者は、実際の「青山節」に酔いしれたものです。

2020年

2月

08日

太宰府天満宮・梅の木、「新宿御苑」へ記念樹

  新天皇の即位と「令和」元号への切り替わりを記念して、太宰府天満宮ゆかりの梅の木が「新宿御苑」に植樹された。「令和」は万葉集の句集から取られたが、この句は1300年前、太宰府市の「坂本八幡神社」の「梅香の宴」で詠まれたものと伝えられています。
  なお、新宿御苑は環境省の管理下にあり、私が大臣 在任中、入場料を200円から500円に値上げしました。多少心配したのですが、むしろ入場者は増え、年間の入場料収入も4.1億円から7.9億円へとほぼ倍増したとの報告を受けました。オリンピック、パラリンピックを控え、今外国人客( インバウンド )の多さが目立っています。大都会の中の大自然、新宿御苑は正式には「国民公園」と呼ばれ、文字通り「国民の宝」です。

2020年

2月

06日

『納豆こそ地球を救う!』

  「納豆」が今、健康食として大いに見直されているという。上質のタンパク質を備え、血圧を下げ、糖尿を遠ざけ、成人のがん罹患率は、食べる人と食べない人では際立った差が出ると国立健康センターだかが発表した。朝のテレビを見ていた私は、丁度納豆を食べていたので歓声を上げました。
  私は、納豆が大好きなのです。実は、3食でも食べたいくらいで、現実に朝と昼はほぼ毎日食べています。お陰様で私は健康に恵まれ、毎日元気に活動していますが、それが今や、納豆のお陰だということも実感しています。

  実は若い頃、青年会議所だかの若い仲間で、納豆好きが集まりました。しかもその健康への効用、効果が凄いとお互いが一致して、遂には「納豆運動」を始めようとなった。パンフレットを作ったり、スローガンには『納豆こそ地球を救う !』と大きく出た。騒ぐだけ騒いで、1年くらい、あとはどうなったか。

  しかしこの歳になって、あの若き時代が誇れるとは。やっぱり、納豆サマのお陰か。